源氏物語・葵の上奇譚/悲劇の正統派令嬢に転生した女子大生の愛と勇気の平安絵巻物語

相ヶ瀬モネ

第一章

第1話 プロローグ 1

『源氏物語』をメインにした平安時代の歴史小説ですが、大きく違うのは、桐壺更衣きりつぼのこういが、光源氏五歳の時点で存命です。


※主な人物と設定(葵の上が主人公)


・葵の上(葵の君)→9歳、左大臣の娘。母は今上(帝)の妹。

・第一皇子(のちの朱雀帝すざくてい)→朱雀の君。8歳。

弘徽殿女御こきでんのにょうご→第一皇子の母。右大臣の娘。

・光る君(第二皇子/光源氏)→5歳。

桐壺帝きりつぼてい→ 第一皇子と第二皇子(光る君)の父。帝。今上。(※在位中も分かりやすく区別するために、桐壺帝、朱雀帝、表記が出て参ります。)


※以下、本編です⬇︎



 *



〈 源氏物語の中にある平安時代、某海岸 〉



 海が大きく荒れた数日後、快晴の空の下、見たこともない異国の船の残骸であろうか? そんな様相を呈した板切れと共に、やはり見たこともない目の色、肌の色をした、残念ながらこと切れた異国人が、浜辺に流れつく。


 こわごわと近づいたわらしは、海藻の貼りついた死骸を見るや悲鳴を上げ、大人たちは、慌ててわらしを遠ざけると、僧侶を呼びにやり、やがて死骸は読経と共に、炎に包まれて空へと旅立ってゆく。


 難破して漂っていたせいか、はたまた未知の呪いのせいか、その死骸はまだ新しいにもかかわらず、鼻がもげた、異様な形相をしていた。


 その話はしばらくの間、村でもちきりであったが、辺鄙な田舎町のこと、せいぜいが行商らしき通行人に、うわさ話をするくらいで、やがて話は世間から忘れ去られていった。


「……おもしろい話だね」


 ひとりの男の興味を除いて。




〈 京の都 〉



 豪華絢爛な平安王朝の寝殿造しんでんづくり(基本的に壁がなく、さまざまな移動式遮蔽物しゃへいぶつで区切られた巨大ワンルーム)の一角にある、分厚い畳の上で、葵は体を起こしてビックリしていた。


 多分だけどサッカースタジアム並みに広いよ?!


『トンネルを抜けると、そこは平安時代でした』


 彼女は名作のタイトルを改変して、脳裏に浮かべながら、現実を拒否し、もう一度、目を閉じると、本来の自分を思い出そうとする。


 なんとか大学に入学し、ようやく冬を迎えた一回生の東山葵ひがしやまあおいは、巨大な寝殿造しんでんづくりのやかたの中で目を覚まし、夢でも見ているんだろうと、しばらく目を閉じていたが、いつまでもハッキリしている意識と、押し寄せる現実感に、恐る々々、もう一度目を開けて、脳内に巨大なエクスクラメーションマーク(!)を何度も浮かべ、首を七度くらい傾ける。


 常ならば、顎のラインで切りそろえられた、真っすぐな黒髪が顔の横で、さらりと揺れるはずだが、今現在は、『星々の輝きが降り注ぐ、夜の射干玉ぬばたまが流れ出したような美しい黒髪』が、背中でゆるりと波打つ気配がするだけであった。


 眉を寄せて自分の記憶をたぐり寄せる。


 確か今日は部活が休みだったので、大学でもらったジビエ料理のお店の『鹿肉グラタンセット』の半額クーポンを握りしめ、合氣道部の同期たちと幸せに食べてから、献血センターに寄っていたはずである。


 ちなみに彼女が所属している合氣道部は、全国に名前を広げる広報活動の一環? で、なにかと大学から恵まれた支援がある強化部に指定されているので、かなりハードな学生生活だ。


 強化部というのは、さまざまな優遇措置と引き換えに、全国レベルの好成績を維持するのは当然な上、勉強も頑張らないと、試合に出してもらえず、単位は落とした上に、あえなく退部。そんな悲劇も生まれる、素晴らしくも恐ろしい制度がある『超本気で文武両道』な部活動であった。


 厳しい上下関係の付随ふずいしたハードな部活に本来の勉強、奨学金も借りているとはいえ、交通費、外食費、その他一切合切を、ほぼ全額アルバイトで稼ぐ葵の姿は、知り合いになった教授をして、『昭和の苦学生』と言わしめるにふさわしい境遇であったが、幼い頃からよく言えば『忍耐強く』、悪く言えば『融通が利かない』そんな感じの、ほがらかで、いたって真面目な性格の彼女は、毎日が疲労困憊の全力疾走ながらも、それなりに楽しく日々を過ごしていた。


 そんな彼女の趣味は、簡単な健康管理もできて、人助けにもなる。一石二鳥の趣味と実益を兼ね合せた『献血』である。


 目が覚める前は確か、大学にやってくる献血車にタイミングが合わなかったので、学校の近くの献血ルームに足を運んでいた記憶は残っていた。


 前回は、全般的にバランスは取れているが、やや鉄分が少ないとの結果が出たため、三カ月間、食生活を見直して挑んだ今回の献血であった。


 体育会系の学生が、栄養管理や体調管理に取り組むのは、大前提ではあるが、同期の友人たちが、彼女につけたあだ名は『歩く食事管理アプリ』だった。


 みんながケーキセットを食べている横で、悔しいけれどフルーツタルトの上だけ食べて、台は友だちに譲る。


 彼女は、それくらい健康的で、ストイックな食生活を送っていた。


 鹿肉はヘム鉄たっぷり、冷え性改善と貧血予防、脳機能の向上やストレス軽減、疲労回復がうたわれているので、食べられるものなら、毎日でも食べたい、お肉の代表のひとつである。


 いつもなら諦める金額の外食だが、半額クーポンの魔法のおかげで、なんとか予算内で、おいしくいただけて幸せ……。今日はよい日だなぁと、のんきに葵はビルのエスカレーターに乗っていた。


 献血ルームの受付で手続きを終え、呼び出しブザーを持って順番を待つ。


 ふと、入り口に目を向けると、体育会の部室が並ぶ合氣道部の隣、同じく強化部で少林寺拳法部の親友、花音かのんちゃんが入ってくるのが見えたが、ブザーが鳴ったので、手を振ってから奥の採血室に向かった。


 簡易ベッドに横になり、献血の針を腕につながれた。目の前にある採血の暇つぶしに設置されている小さなモニターには、昔の邦画が流れている。


『あ――、これ何年も前に見たヤツだ』


 小さなモニターには、当時あまりにも凝っていた(らしい)圧巻の王朝恋愛絵巻『源氏物語』が無音で流れていた。総製作費が数億円とかなんとか……ちょっとだけわたしにくれないか?!


 奨学金で大学に通う葵は、頭に浮かんだ巨額の予算に脳内で突っ込んだが、それもどうしようもないことなので、気を取り直して採血されながら、何気なしに映像を見ていた。


 いわゆる体育会系女子である自分は、あまり物語に興味がないとはいえ、簡単には内容は把握している。いや、わりと詳しい方かもしれない……。


 なにせわたしは名前が『葵』なのだ。源氏物語の『葵の上』から、元歴女の母がつけた名前で、『源氏物語』好きの母は折に触れ、この人が一番素敵だという説を延々と話していた。


 が、どう考えても架空とはいえ、イケメンだけど残念過ぎる性格の男と結婚して祟られて死ぬ。そんな縁起でもない人生を送った人の名前を、自分の娘につけるのはどうかと思う。


 治ったとはいえ、かなりの喘息持ちであった小さい頃に、そんな名前をつけるから……なんて、咳き込みながら思った記憶は、まだこびりついている。


 そんなことを葵は、つらつらと考えつつ、腕から伸びる赤いくだから、たまってゆく血液パックの先に目を向け、変わったこともないので、再び映像に目を向けていた。


『あれ? こんなシーンあったっけ?』


 頭の中にある『源氏物語』は随分ずいぶんざっくりしているが、絶対に見た覚えのない、十歳になるかならないかの幼い少女の姿が映っていた。


 どうやら病気で寝込んでいるみたいで、豪華なやかたの中の雰囲気は重く暗い。


 この豪華な雰囲気は、紫の上の少女時代ではないだろう。彼女は寺に住んでいた気がする。明石の方は須磨だし。


 どう見ても京都にある豪華絢爛な御殿だし、少女は病にありながら、豪奢で華やかな雰囲気を持ち合わせていた。


『まさか……葵の上? もう祟られてるの?』


 暗澹あんたんたる思いにかられた。名前が被っているので、つい感情移入してしまうのは仕方がない。


 綺麗なころもを何枚もかけられて、悲壮な表情を浮かべた大勢の人々に囲まれながら、青白い顔で眠る美少女。


 そうか、まだ布団が開発されていなかったっけ? 誰か布団を思いついてあげて……。


 そんな、しょうもないことを考えながら、モニターをながめていると、電気の消えたトンネルに入ってゆくように、やがて自分の周囲が暗くなるのを感じた。


『う――眠い。そういえば課題で徹夜してたな』


 どこでもすぐに寝てしまうのは特技だ。まあ献血が終われば、看護師さんが起こしてくれるだろうし……。


 そう思いながら、モニターに、ぼんやりとした視線を向けていると、未来の『葵の上』になるであろう少女の助けを請う声が、小さく聞こえた気がした。


『助けられたら是非とも助けたいんだけど……あれ? このモニター、音が出てたっけ?』


 それが、葵の意識がなくなる前に、最後に思ったことであった。


 トンネルの中をフワフワと歩き、真ん中あたりで彼女は、さっき見た病気で寝込んでいた少女と出会う。


 少女はわたしの目の前で足を止め、ゆっくりと不思議そうな顔で、葵を見上げていた。


 暗がりの中で出会った少女の美貌は、幼いながらも神聖で、神々しく光輝いている。


 葵は『葵の上』であろう少女に、そっと弱々しく手を握られる。自分の手を握った真っ白で小さな手は、ただただたおやかで小さくて、綺麗な“もみぢ”のようだった。


 そして再び目を覚ました彼女の目の前には、前述の通り、モニターで見た平安時代(in源氏物語)が広がっていたのである。


 彼女は脳内でもう一度言う。


『ビックリした!!』

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