第371話 拝啓、川端一真です。カルケル中央制御室の空気が最悪です。

 川端一真監察官。


 彼は文官としても武官としても優れた人物であり、深い教養に裏打ちされた実績を見れば誰もが「川端さんならば」と納得する。

 必要以上の事を口にしない姿勢は若い頃から徹底しており、「寡黙な仕事人」の異名を誇る、日本探索員協会において欠かす事ができない男である。


 その寡黙さゆえか、45歳にして未だ独身。

 結婚歴もなく、女性との交際歴も謎に包まれている。


 何をさせてもそつなくこなすため、彼は監察官になってから転勤の機会が多い。

 現在はイギリス領にある人工島・ストウェアに長期出張中であり、その前に数年の本部勤務の期間があるが、さらにさかのぼると監獄ダンジョン・カルケルにて2年間、副指令の職責を全うしている。


 今回、監獄ダンジョン・カルケル防衛任務にあたり、一時的にその立場へと戻ったのも川端一真監察官の能力が五楼京華と雨宮順平、両上級監察官に評価されての事である。


 ちなみに、今の異名は『おっぱい男爵』と言う。


 泣く子もいやらしい目になる歓楽街に対する驚異的な知識と、勉強一筋の受験生を一夜にしておっぱい星人に変貌させるその乳房に対する見識の深さは、多くの男たちから崇拝されている。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「川端副指令! 人工島・ストウェアより通信が入っております!」


 カルケルの中央制御室は第1層にある。

 他に、第5層と第11層にも制御室はあるが、カルケルを統べるのは現在川端がいる中央制御室。


「……分かった。回線を開いてくれ」


 川端の座る席のモニターに雨宮上級監察官が映しだされた。


『ハロー! 川端さん! お疲れちゃーん!! あのさ、ちょっと聞きたいんだけどもね!』

「……雨宮さん。こちらは、メインサーバーがハックされて、騒ぎになっているんですよ」


『あららー。そうなの? じゃあ手短に話さないとだね!』

「……そのお話、3時間後ではいけませんか? その頃だと私の休憩時間ですので」



『ええー!? ダメだよ! それじゃお店閉まっちゃうじゃないの! ジェシーにさ、何か手土産持っていきたいんだけど、何が良いと思う? おっぱい触れるとこまで持っていきたいんだよねー!! ねー、川端さん!!』

「そこの看守! 隣の君もだ!! 私の後ろに立つな!! ……でなければ、私は君たちに危害を加えるかもしれん!!」



 川端の表情は悪鬼羅刹の類に見えた。

 若い看守の2人は「は、はいぃっ!!」と敬礼して、速やかに移動する。


『あららー! 川端さんったら、イメチェン? そんな大きな声出しちゃってー!』

「……なんでもありません。ジェシーはシンプルに花束とかを喜びます。そこに加えて、ロザーヌと言う店のケーキを用意すれば、十中八九でおっぱいコースです」


 川端監察官……。



『あ、ごめーん! 間違えた! ジェシーじゃないや! ジェニファーだ!!』

「……ジェニファーでしたか。彼女は年の離れた弟がいるので、少年向きの玩具などを用意すればおっぱいコース鉄板で。……ちょっと、ジェニファーは私の子でしょう!? 雨宮さんっ!!」



 あまりの出来事にドンッとモニターを叩く川端。

 その様子を見ていた若い看守たちは「ひぇっ」と怯える。


 彼らは考える。

 「よほど緊迫した通信内容なのだろう」と。


『いやー。だってね、ジェニファーが言うんだよ! ミスター川端いなくなっちゃったから、ミスター雨宮に来てほしいって! いやいや、困っちゃうよ、おじさん!』

「……くっ。ジェニファー。君のおっぱいは私だけのものではなかったのか!?」


 川端監察官……。


『忙しそうだから、私もう行くねー! ジェニファーにはよろしく言っとくから! あと、よろしくやっとくから!! アデュー!!』

「あ、雨宮さん!! ……くぅっ! 私にもっと力があれば!!」


 なお、監獄ダンジョン・カルケルの中央制御室には、司令官が1人、副司令官が2人常駐している。

 現在、彼らはアトミルカによるメインサーバーのハッキングに対応するため、忙しくなく部下に指示を飛ばしていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 川端一真は我に返った。

 「自分は一体、何をしていたのだろう」と己に問いかける。


 それはこっちのセリフである。


 そんな川端の元へ、恰幅の良い初老の男性が近づいて来た。


「川端くん。君は久しぶりに戻って来たかと思えば、何やら楽しそうな通信をしているのだね? おっぱいがなんだと聞こえたが?」

「……違うんです。司令官。事情を説明させてください」


 彼の名前はズキッチョ・ズッケローニ。62歳。

 イタリア探索員協会の理事を務めながら、監獄ダンジョン・カルケルの司令官を7年ほど拝命している。


 かつては探索員として弓を用いた狙撃スキルで活躍し、多くの栄光とともに歩んできたイタリア探索員協会の英雄である。


「君はマジメで面白いジョークの1つも言わない男だったと記憶していたが。この4年でどうもユーモアを覚えたようだね。あまり質は良くないようだが」

「……違うんです。先ほどの通信は、わが国の探索員協会を束ねる上級監察官からの緊急通信でして」


 日本に汚名を着せるのはおヤメなさい。川端監察官。


「ほう。日本では、おっぱいが重要な機密事項なのかね? いい国だね。私の母国の偉人にマルコ・ポーロがいるのだがね。東方見聞録にも、ジパングの項目におっぱいとは書いてなかったと記憶しているが?」

「……申し訳ありませんでした。カルケルの緊急時におっぱいの話をしてしまいました。私は。反省しております」


 中学生が授業中、私語で先生に怒られたようにしか見えない。


「まあまあ、川端さんも久しぶりに戻られたんですから! まだ感覚を取り戻せていないだけですよ! さあ、一緒にサーバーの調査に戻りましょう! 川端さんがいれば百人力だ! 日本では、一騎当千と言うんでしたっけ?」

「トーマスくん……!!」


 ズキッチョと川端の仲裁をしたのは、もう1人の副指令。

 トーマス・メケメケマル。先日41歳になった。

 アメリカ出身で、母国に妻子を残しての単身赴任中である。


 ふざけているような名前だが、メケメケマルとは彼の住んでいた地域に伝わる土地神の名前なのだとか。

 カルケルの副指令には川端と入れ替わりで就任したため、彼らに面識はあるものの、さほど親しい間柄ではない。


「まったく。副指令を2人も遊ばせておく余裕はない。両名とも、ハッキングされた情報の洗い出しを急げ」


「……了解しました。すまん、トーマスくん」

「了解です! いえいえ、お気になさらず!」


 それから3人がかりで2時間に及ぶ作業をこなした。

 時計の長針が3周目に取り掛かろうとした時分、川端が気付く。


「……発見しました。これは通信記録です。発信元の特定は厳しそうですが、カルケル内部のどこかと通信をしています。時間にして、約4分程度でしょうか」

「おっ! さすがですね、川端さん!」


「ふん。仕事を遂行できる能力がある者がそれを行使しないのは最も機会損失が大きいと知りたまえ。メケメケマル副指令。情報をさらに探れ。川端副指令はダメ元だろうと通信相手の特定を試みろ」


 2人が「了解」と返事をしたタイミングで、オペレーターが叫ぶ。



「川端副指令! イギリスの雨宮上級監察官から通信です!」

「……切ってくれ!」



「えっ!? す、すみません!!」


 モニターに現れる雨宮。

 川端は端末の電源を叩き切ろうと思ったが、せっかく洗い出した情報まで消してしまうと気付き、踏みとどまる。


『ハロー! 川端さん! もうあなたの言ってた通り! ジェシーのおっぱいが柔らかくってさー! あ、違った! ジェニファーだ!!』


 川端一真監察官。

 彼は何の言い訳もせず、ただ静かに両の膝と手を床につけて、頭を下げるのであった。

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