第172話 ラーサ・ティアンの選択
「手伝って貰えたら助かるけど⋯⋯忙しいのに早々手伝って貰うのもねぇ」
「あら、ハルさんらしくないわね。いつもの強引さはどうしたのかしら?」
「いや、だって、病院勤めしている人を⋯⋯強引にって、どうなの? って、感じじゃない」
「それなら、心配はいらないわ。ラーサは病院勤めではないのですよ。そこの屋台で肉を焼いているの」
「へ? 何で? いや、屋台で働いていてもいいけどさ⋯⋯ええー!? 何で? もったいない。せっかくの知識が台無しじゃない」
「⋯⋯いいだろう、別に⋯⋯放って置いてくれよ」
ふてくされているラーサから、煮え切らない思いが見え隠れする。その姿にハルは怪訝な瞳を向けた。
「放って置けって言われてもさぁ、医師としての技量を持っているのに使わないなんてどうなのって? 普通は思うでしょう」
「誰でも出来るさ、あのくらい⋯⋯」
「え? 出来なかった私達は、どうなるのよ」
ハルは上目でラーサを見つめた。視線の泳ぐラーサの言葉からは、後悔が見え隠れする。その後悔が何であるのか、ハルは何となく感じ取れた。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて⋯⋯勉強していれば、あのくらいは⋯⋯」
「あら、ごめんなさいね。勉強していたけど、分からなかったわ。使い物にならないわねぇ~、私ってば」
慌てふためくラーサに、モモはわざとらしく落ち込んで見せる。
「何だよ、もう! 用は済んだろう、帰る!」
「ねえ、ちょっと待ってよ。あんたさぁ、さっきからクドクド言っているけど、未練たらたらよね。肉屋が何で微生物の研究を気にしているの? 必要無いじゃない?」
口調は穏やかだが、核心を突くハルの言葉がラーサを苛立たせた。
「どうしようが、勝手だろう!」
「いや、勝手じゃないね。あなたの知識で救える命がいくつあると思っているの? あなたのヒールで助かった命があったかもしれない。あなたも命を救いたくて学んだのでしょう? 才能を出し惜しみしないで。その知識とヒールで救いなさいよ」
「うるさいな。
ハルは何言っているのとばかりに、肩をすくめて見せる。
「今、救ったじゃない。あなたの目の前にある命を救ったのはあなたでしょう。
「これは放って置いても治ったさ⋯⋯」
「本気で言っているの?」
口ごもるラーサをハルは睨む。そこに鎮座するラーサの煮え切らない思いが、ハルを苛立たせて行く。
やれるのにやらない。いや、やりたいくせにやらない。
こじらせている
「大した事をしたわけじゃない。誰でも出来る事をしただけだ⋯⋯帰る」
ハルは踵を返そうとするラーサの胸ぐらを掴み上げると、ラーサの眼前に自らの顔を寄せて行った。ハルの鋭い眼光に気圧され、ラーサは視線を逸らす。ハルのもどかしい思いと、ラーサの煮え切らない思いがすれ違って行った。
「まぁまぁ、ふたりとも落ち着いて」
モモがふたりの間に割って入ると、ふたりはバツ悪く離れて行った。ふたりのやり場の無い姿にモモは、ヤレヤレと溜め息をついて見せる。
納得のいかないハルが、少しばかり熱を帯びて行った。
まったく、もう短気なんだから。
そんなモモの思いをよそに、ハルは思いをぶちまける。
「だってさ、もったいないじゃない! あれだけの知識があって、あげくにヒールまで使えるのよ。肉焼いているくらいなら、ウチに来る仔を救って欲しいわ」
「はいはい、分かっていますよ、ハルさん。ラーサ、あなたの力を貸して。いいでしょう? 何か問題があるの? 断るならちゃんと理由を教えて。この鼻息荒くなっている店長が、納得する理由を教えてよ」
「何でだよ。そんな事まで言う必要は無いだろう」
ふて腐れるラーサの眼前に今度はモモがグイっと顔を寄せた。口端を上げ、モモは妖艶な笑みを深める。
「あるわ。だって、この様子だと、ちゃんとした理由が無いと諦めないもの。ウチの店長はしつこいわよ。あとね、ラーサ。ここならあなたの力を惜しみなく発揮出来る。医学も薬学も、
「⋯⋯どうって⋯⋯」
「弱っている仔を前にして、救いたいって思いは芽生えなかった?」
「それは⋯⋯」
「救いたいと思ったのなら、救いなさいよ。それだけの話よ」
押し黙るラーサ。
無言で俯く姿から見えるのは、自身を肯定したい思い。
その思いを後押しするようにモモはポンと肩に手を置いた。
「【ハルヲンテイム】へいらっしゃい。あなたの力が必要なの」
モモの言葉にゆっくりと顔を上げるラーサ。煮え切らない思いが、燻りを見せる。だが、同時に何か吹っ切れた雰囲気も感じられた。そんな思いの揺れているラーサに、ハルは黙って手を差し伸べる。穏やかな表情で握手を求めると、少しだけ間を置き、ラーサも静かにそれに応えた。
「【ハルヲンテイム】へようこそ。ラーサ⋯⋯何?」
「ティアンよ」
モモのウインクに、ハルは軽く頷いて見せた。
「よろしく! ラーサ・ティアン!」
ギュっと力強く握り締められると、ラーサは黙ってコクリと頷く。ハルからわだかまりは消え去り、ラーサの煮え切らない思いは、ハルが握り潰してしまった。
「ハルさん、ミドシュパードの様子は⋯⋯って⋯⋯どちらさん?」
扉から顔を見せたアウロの目に飛び込んで来た、ハルと握手を交わしている見知らぬ
アウロの困惑する姿にハルはニヤリと口端を上げ、ラーサを指して見せた。
「新しい
「おお! ウチに足りなかったものばかりじゃないですか! 宜しくお願いしますね、ラーサ」
「あ⋯⋯お⋯⋯うん」
「ラーサはね、ちょっと照れ屋さんなの」
モモの言葉にプイっとそっぽを向くラーサ。処置室の空気は一気に緩んで行く。
「あ、吐き始めた」
「ラーサの見立てが当たったみたいね。モモ、掃除道具を持って来て。アウロは痛み止めの点滴の準備をお願い」
ラーサの目の前で嘔吐するミドシュパードの姿。原因が見え始めた事に、一同は
◇◇◇◇
結構強引に迎い入れたように聞こえましたが、ラーサさんの中でもずっと燻る思いがあったのでしょう。ハルさんの影響で強引になったモモさんも可笑しかったですが、知らないうちに
「でも、どうしてラーサさんは肉屋さんで働いていたのですか?」
「さぁ? どうなのかしらね」
モモさんは含みのある笑みを見せるだけで、はぐらかされてしまいました。
「あ、でも、肉屋さんで働いていたから、ラーサさんと一緒に働けているのか⋯⋯。結果的には、良かったのですね」
「フフ、まぁ、そうね。病院勤めだったら、声も掛けていなかったもの。さぁ、おしゃべりはここまで、手伝うから明日の準備をしましょう」
「はい」
明日の訪問に向けて必要な物をモモさんに教わり、荷台へと積み込んで行きます。ペット候補の仔も連れて行くので、商談が成立した時に必要最低限な小物も積み込まないとですね。
「あ!
「そうね。私が取って来るから、エレナは荷台の整理を進めなさい」
「はい、お願いします」
◇◇
モモが廊下を歩いていると、ヨタヨタと歩くラーサが見えた。
まったく、加減ってものを知らないんだから。没頭し過ぎ、まったく。
「ラーサ! ちょっと、ラーサ! 大丈夫?」
「ぉ⋯⋯ぉう」
これはダメね。
「ちょっとこっちいらっしゃい」
力の入らないラーサを食堂に押し込み、目の前にスープを置いた。
「いい、ちゃんと食べるのよ」
「分かっているよ」
「すぐに戻って来るからね」
「はいはい」
面倒そうに答えるラーサにヤレヤレと溜め息をつく。
「あ、そうだ。ラーサの事、エレナに話しちゃった」
「ええー」
「まぁ、いいでしょう。どうせ、あなたは話さないんだから」
「だって、エレナにはかっこいいお姉さんでいたいじゃん」
「まったくもう⋯⋯」
スープを口に運ぶラーサに苦笑いを浮かべ、モモはエレナの手伝いに戻って行った。
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