第98話 匂いと臭い、心は悩み痛みます

 安心を与える。恐怖がここには無い事を分かって貰う。単純だけどそれが難しい。

 自分の知らない場所に知らない人。突然、大丈夫って言われても信用なんて出来ないよね。


 そっか。


 私も初めてなんだ。

 私から信用して下さいって言うの。



「大丈夫、大丈夫よ。仲良くしてね」


 私は傷のついた手の甲をゆっくりと近づけて行きます。怯えが強くなったと感じたら、手を止め静かに声を掛けて行きました。

 ゆっくりと、ゆっくりと。れる事無く、その距離を静かに推し量って行きます。


「大丈夫⋯⋯」


 少し固めの茶毛から覗く、クリクリと良く動く黒目がちな瞳。短い耳をピンと立て、警戒を怠る気配はありません。それでも少しずつ、少しずつ、差し出した手の甲へ鼻を近づけて来ました。

 近づいた鼻は、すぐに引っ込めてしまいます。少しは興味を持ってくれたのかな。

 上目づかいで私を見てはまた手の甲の匂いを嗅いで行きます。私は一度手を引き、ベルトの皮バッグから乾いたスイベルの実を取り出しました。黄色い円錐状の実が私の手の平から甘酸っぱい香りを醸しています。

 再び籠の中へゆっくりと手を差し入れて行くと、体に似合わぬ大きな鼻をさかんにヒクヒクと動かし始めました。


「さぁ、どうぞ。美味しいよ」


 ガブッ!


「痛っ! はぁ~」


 差し出した人差し指をガブリとひと噛み。反射的に引き抜いた手から零れたスイベルの実。籠の中では、取られまいと必死に食いついていました。

 いけると思ったのだけど、そう甘くは無いのですね。

 私は頭を垂れて嘆息しました。


 頭を上げると美味しそうに食べている姿が目に入ります。その姿はとても無邪気で愛らしく、早く仲良くなりたいのですが、どうしたものでしょう。


「お! 苦戦しているね。シシシシ」

「面白くないよー。もう」


 フィリシアは憎らしい笑顔を向けてきました。こっちの苦労なんて気にもしていないようです。


「まぁまぁ、焦らないで行きなよ。時間はあるんだからさ」

「仲良くなれるのかなぁ?」

「なれる、なれる。なれると思っていればなれる」


 即答するフィリシアの言葉はかなり軽いけど、なぜだか自信に満ち溢れていました。調髪師トリマーとして、いろいろな仔を相手にして来た経験からなのでしょうか。でも、調髪トリミングでは仲良くなるのに時間を掛けていられないはず⋯⋯。


「フィリシアは調髪トリミングの時、どうしているの? すぐに仲良くなれない時もあるでしょう?」

「あるよ。そんな時はカミオさん直伝の⋯⋯」

「直伝の⋯⋯?」


 何でしょう、その含みのある言い方とタメ。

 自信満々のフィリシアの言葉に、私は思わず固唾を飲んで耳を傾けます。大きなヒント、仲良くなる為の手がかりを知る事が出来るかも知れません。


「力技ね。もう大きい仔だったらふたり掛かりで押さえ込んだりして、大変だったな~」

「もう! 何の参考にもならない。真剣に聞いたのにー!」

「そんなカリカリしない。この仔が怖がっちゃうよ」

「⋯⋯もう」


 不貞腐れた所で仲良くなれるわけは無く、“焦るなよー”と他人事ひとごとな一言を残し、フィリシアは仕事に戻ってしまいました。

 カミオさん直伝の力技って⋯⋯。【トリミングフィエスタ】で散々見せつけられた怪力ぶりを思い出して、また嘆息してしまいます。あんなのマネ出来ないし、参考にすらなりませんよ、まったくもう。

 

 仕方なく小動物モンスター部屋へと運んで行きます。準備万端かと言えば、全く万端ではありません。心構えなどなく、ぶっつけ本番の気分です。

 私はさておき、みんなと仲良くやってくれるといいのだけど⋯⋯。ジンジンと痛む右手。その痛みが不安を煽ります。


「さぁ、みんな! 新しいお友達ですよー!」


 真っ先に寄ってきたのは同じ犬豚ポルコドッグのブラウ。マイキーは冒険クエストレンタル中で不在です。

 籠に寄るかと思ったブラウ。籠には見向きもせず、私に寄り添い、血の滲む右手を舐めてくれました。少しザラっとする舌の感触からこの仔の優しさを感じます。


「ありがとう。大丈夫よ」


 私はわしゃわしゃと頭を撫でて、額をブラウの顔に当てました。

 少し遠巻きに見ていたオルンモンキーのルンタ。首をキョロキョロと傾げながら、突然現れた異物かごに警戒しながらも興味を示します。

 他の仔達はいたってマイペースです。ご飯の時間じゃないのも分かっているようで、ダラダラと弛緩した姿を見せていました。


「グゥゥゥゥウウウウウ」


 ブラウは籠に寄って行ったかと思ったら、いきなり犬歯を剥き出しました。大人しい仔なのに珍しい。

 まさか私の敵討ち!?


「ガウガウガウッ!」


 間髪入れずに籠に向けて体当たりを見せます。こんな攻撃的な姿は初めてです。ルンタもブラウの勢いに押されたのか籠の上で飛び跳ね、籠に爪を立てて行きました。そんなルンタの興奮にブラウのテンションはさらに上がってしまいます。

 バリバリと天井の削りカスが舞い上がり、前途多難な始まりに頭が痛くなってしまいますよ。


「やーめーてー!」


 私は籠を頭の上へと掲げ、威嚇を続けるブラウと籠にアタックするルンタを睨みつけました。

 ここからのスタートですか? 一体どうすればいいのでしょうか。

 長い道のりを感じるだけですよ。私は肩を落とし、途方に暮れる事しか出来ませんでした。


◇◇◇◇


「ほら、降りろ」


 馬車から外へユラとキノは突き飛ばされ、ユラは小突いた男をキッと強く睨んだ。

 痛えなぁ。覚えとけよ。


「こっちだ。来い」


 丸太で作った掘っ建て小屋がふたつ。そう広くない広場を挟んで建っていた。普通の家屋と同じくらいの代わり映えのしない丸太小屋。

 へったくそな作りだのう。ちゃんとした窓すらねえ。

 フードを深く被り、俯き加減で周りの様子を伺っていった。

 森を切り拓いて作った空間に小屋がふたつ。

 (村から)馬車で一刻半くらいか?

 ミドラスや中央セントラルから、そう離れていない場所に居を構えるとは、舐めているのか?


 キルロやマッシュのいない間を縫って、案の定ヤツらは辺鄙な村へと現れた。キノと子供と見間違えたユラを拉致し、ここまで運んだ。いや、率先して運ばれてやった。

 まんまと潜入に成功したふたりは何も出来ない子供のフリをして、ひとつの小屋の前に案内される。

 

 扉の中へ突き飛ばされると、悪臭が鼻を襲った。思わず顔をしかめたくなるほどの酷い臭い。腐敗した何かの臭いなのか、汚物の臭いなのか。中を覗いた瞬間その理由をすぐに理解した。

 力無く座る10人ほどの女と数人の子供。うな垂れているのはまだマシかも知れない。虚ろな瞳は生気を失い、言葉にならない何かをブツブツと呟き続けている女もいる。

 逃亡防止の為、嵌め殺しの小さな窓がひとつ。陽光は乏しく、部屋を暗鬱と映し出す。人としての営みの気配は皆無。まるで生きるのを諦め、ただ生かされている空間。感情は消え失せ、言葉も無い。ユラとキノが現れても視線を上げる者はおらず、視線は一点を見つめ続けているか、ゆらゆらと宙を彷徨い続ける。

 目を凝らせば暗闇に映る人影。横たわる女と子供の影。動く事の無い影。生はこと切れ、朽ちた皮膚から腐敗した肉が顔を出す。

 ユラの瞳は一段と険しさを増して行く。

 アイツらやりやがったな!!

 単純な人質とは思えない。心が壊れるほどの所業が確実に行われていたって事か?

 一線大きく超えたその行為は、ユラの心を沸騰させた。怒りの矛先は小屋の外へと向き、怒りの業火に身を焦がす。

 キノの金色の瞳は悲哀を見せ、悲しく光る。静かに滾るその青い炎が、キノの心にも点火していた。



 陽が傾き始め、夜の帳が落ちて行く。小屋は一層の闇を見せ、ユラは小さな窓から外を覗いていた。

 近づくふたつの影。

 ユラは魔術師のローブの下から白銀のナイフを二本、キノに投げ渡す。自身は小さな手斧ハンドアックスをギュッと力の限り握り締め、煮え滾る心を無理矢理に抑えつけた。

 白銀のナイフを二本逆手に構え、キノは静かに佇む。

 ユラは合図を送り、扉の脇で低い姿勢のまま闇に紛れる。

 ユラとキノ。

 扉を挟むように息を潜め、反撃の狼煙を上げるべく準備を整えていった。

 

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