第82話 時は無情に過ぎていきます

 どれくらいの時間が経ったのでしょうか。

 閉め切られた隔離部屋。奪われる体力。力の入らない体に鈍痛と悪心が常に襲って来ます。逃げ場の無い苦しさに、私達は追い詰められていました。いくらもがいても、この苦しさが消える事はありません。

 アウロさんは床でうずくまり、苦しい息遣いだけが聞こえて来ます。

 腹痛も悪心も酷くなる一方。この状況に心は深い暗闇を映し出し、希望を黒く塗り潰していきます。


「薬液を足さないと⋯⋯」


 自身に言い聞かせ、力の入らない体で立ち上がっていきました。

 何とか震える手で私とアウロさんの点滴へ、薬液を投入していきます。

 カタカタと震えてしまう薬液の瓶が、カツカツと点滴瓶を叩いてしまい、思うように入ってくれません。

 こんな事すら思うように出来ないなんて。

 最後のセントニッシュへ薬液を投入しようと、ベッドの脇へと這うように向かいます。

 すぐそこが遠い。

 やっとの思いでベッドの脇へと辿り着きます。ベッドを支えに体を起こして行くと、目に映るのは動かないセントニッシュの姿。

 まさか⋯⋯。

 様子を確認するにも体は限界。朦朧とする意識の中、胸の動きを見つめます。

 動きはありません。呼吸は停止しています。

 意味するのは死。

 もし死因がこの苦しさを運ぶものであるなら⋯⋯。


「嘘⋯⋯」


 辛うじて出るのは信じたくないという思い。

 私達のすぐそばにヒタっとにじり寄る死という文字。

 恐怖が最後の抗う力を折ってしまいました。私は膝から崩れ落ち、目に見えない恐怖に怯えます。怯えは私から立ち上がる力を捨て去り、狭くなる視界は白黒に反転していきました。


◇◇◇◇


「モモ。ラーサに少し休むように言って。根詰め過ぎて、見えるものも見えなくなるわ。それと⋯⋯フィリシア! ギルドに行ってこちらの様子を伝えて来てちょうだい」

「ラーサ、言う事なんて聞くかしら?」

「その時は力ずくで引き離す」

「それじゃ、行ってくるよ」

「あ、フィリシア。聞けたら【オルファステイム】の様子も聞いてきて」

「了解」


 一夜明けてしまった。

 何も進展を見せないまま、ただ時間だけが刻々と刻まれていく。焦るなと言うのが無理な事は重々承知しているつもりだ。今、ここでの焦りは致命的になりかねない。

 街中に響く鐘の音が、時間が無情に過ぎている事を告げる。溜め息ばかりが零れ落ち、重い腰を上げて行った。



「ラーサ! ラーサ!」


 ダン! ダン! ダン! と激しいノック音。

 モモの呼びかけに全く反応を見せない様に業を煮やし、ハルは扉を激しくノックする。


「どうします?」

「突入するしかないでしょう。隔離部屋の方はどう?」

「もう少ししたら空瓶の入れ替え時間なので、様子は分かるかと」

「んじゃ、モモ。隔離部屋のフォローをお願い、こっちは私に任せて」


 モモは視線を交わし、隔離部屋へと向かう。ハルはエプロンにゴーグル、口の当て布と手袋を装着し、完全防備でドアの前へ。

 バン! とハルの蹴りが扉から激しい打突音を鳴らした。

 作業台で頭を抱えていたラーサは目を剥き、ハルは鋭い視線を送る。

 締め切りの部屋。空気は淀んでいた。激しい消耗を見せるラーサの姿に、ハルは容赦なく舌打ちをして見せた。


「チッ! ラーサ、あんたね、分かっているでしょう? 根詰めるだけじゃ見えなくなるだけだって」


 弱々しく視線を向けるだけの姿が、痛々しく映る。こんなにも消耗を見せているとは、ハルとしても想定外だった。

 俯きながら上目で見つめるラーサ。その表情からは、この現状を打開するすべは見つかっていないのだとすぐに分かる。


「何て顔しているの。少し休みなさい」

「⋯⋯もう少し⋯⋯」

「いい加減に⋯⋯」

「分かっているよ!! 分かっている⋯⋯。頭が回っていないのも分かっている⋯⋯。でも、あのふたりが苦しんでいるのに! のうのうと休んでなんかいられない! だろう?! 私が見つけないと⋯⋯あのふたりが⋯⋯」


 ハルの言葉を遮り、声を荒げるラーサの姿は、いつもの冷静沈着な姿とはかけ離れていた。その姿にハルは盛大に顔をしかめ、両手で胸ぐらを掴んだ。そのままラーサの顔を自身の眼前へと寄せ、怒りの表情を見せていく。


「そこまで分かっているなら、休め! あんたがここの生命線なのよ! 分かっているなら、倒れる前に休んで頭を一度クリアーにしろ! あんたが終わったら共倒れでしょうが!」

「つっ⋯⋯」


 顔を背けるラーサから手を放し、盛大に嘆息して見せた。ラーサもハルの言葉に返す言葉も無くうな垂れてしまう。


「とりあえず、何も分かってないわけでは無いのでしょう? 分かった所まで教えてよ」


 ラーサは黙って頷き、菌の生えた小皿をひとつ差し出した。


「臭いを嗅いでくれ。思い切り吸い込むなよ。軽くだ」


 ハルは小皿を手にして、軽く手で仰ぎ臭いを嗅いだ。悪臭がするのかと思ったら意外な臭いに目を剥いて見せる。


「何だか香ばしい臭いね。焼いたパンみたい。もっとイヤな臭いがするのかと思ったわ」

「うん。もちろんくさいのもたくさんあるけど、不快じゃない臭いを放つ菌も多いんだよ。この焼いたパンみたいな臭いの特性を持つ菌は、コーレ菌で間違いない。目視でもこの菌が確認出来た⋯⋯。そして、この菌は動物モンスターから人に感染する」

「そこまで確認出来ているなら、治療すればいいだけじゃない。何をそんなに悩んでいるのよ?」


 ラーサの暗く沈む表情は厳しさを増す。それは絶望にも似た手詰まり感を見せていた。

 ハルの中で膨らむ困惑。ラーサは顔を上げ、答えていく。


「もうやっている。治療はとっくにやっているんだ。コーレ菌に対して、抗生剤は有効性が高い。症状は徐々に治まるはずなのに、一向にその気配を見せない。いや、モモの話だと酷くなっている。だとすると、抗生剤の効かない菌が他にいるのかも知れない。特定できれば、それに対抗出来る薬を探す、作るで対抗する。でも⋯⋯」

「でも?」

「他にそれらしい菌が見当たらないんだ。いくら探しても見当たらない。症状と検査はコーレ菌で一致している。でも、効くはずの薬は効いていない⋯⋯他の菌を探しても見当たらない⋯⋯」


 ラーサの言葉が尻切れていく。必死にもがき求めても、手に入れる事の出来なかった虚無感。もがきあがき続けても、何も見えてすらこない不安が伝わって来た。


「分かったから、一度休みなさい。半刻でもいいから。いい?」


 静かに語るハルの言葉。それしか掛ける言葉は見つからない。

 ラーサは黙って頷き、傍らのベッドに乱暴に体を投げ打った。もどかしい気持ちを抱えたまま、ベッドに横たわる。

 ハルはその姿にひとまず安心して、頭の中を整理していった。

 

 原因と見られる菌は症状、目視とも一致している。一致しないのは薬が効かないという点。

 うん? 待って。

 もしコーレ菌が原因だとして、どうして他の仔は大丈夫なのかしら? 側にいたアウロとエレナは感染してしまった。吐瀉物を浴びてしまったのが直接の原因だと言っていたが、他の仔達は、浴びていないから大丈夫? それだけ?

 何か見落としはないか⋯⋯。

 額に拳を当て、深く逡巡して行く。

 感染源はセントニッシュ。やはり、他の仔に症状が出ていないというのは、どうにも解せない。良い事ではあるが、コーレ菌が原因であるなら少なくとも同部屋の仔に感染していてもおかしくは無いはずだ。

 新種? 

 安易過ぎる気がする。仮にそうだとしてラーサが、気が付かないなんて事ある? 

 ラーサなら、見た事の無い菌に対して違和感を覚えるはず。

 これが彼女の感じている手詰まり感か⋯⋯。

 何でもいい、今は情報が欲しい。

 ハルは次の一手について逡巡していった。

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