第48話 記憶の残影

 廊下を歩くその後ろ姿。

 静々と歩を進める足取り。

 フィリシアはその後ろ姿に貫かんばかりの視線を向け、記憶の残影に重ね合わせていく。

 肩幅は?

 足の運びは?

 手の揺れは?

 その後ろ姿は記憶の残影と見事なまでに重ね合わさった。

 キャリーを手にし、カミオトリマーをあとにする記憶の中の後ろ姿。

 

 重なる記憶の残影がフィリシアの表情を強張らせる。

 最後方から見つめるフィリシアの瞳。覗く瞳が悟られぬように気配を消していく。

 困惑する思考を押し殺し、冷静を装う。

 拍動が、滲む汗が、泳ぐ視線が、焦りを後押ししようとも平静を保てと必死になった。


 ハルが処置室の扉を開け放ち、一同を中へといざなう。

 フィリシアの拍動は更に上がり、緊張で破裂しそうなほど高鳴っていた。


 ここにいる。

 

 この一件の黒幕が自ら飛び込んで来ようとは誰も想像していなかった。

 診察台の上で丸まる小さな体が、驚愕の反応を見せる。

 傷だらけの体で怯え、立ち上がろうとする小さな体にフィリシアは飛び込む。

 その小さな体が呈する憂虞する姿。

 その姿に間違いが無いと、フィリシアに一欠片の勇気を呼び起こす。


「マイキー! 立ってはダメ!」


 抱きかかえた犬豚ポルコドッグが、フィリシアの腕の中で小刻みに震えている。その震えは間違いなく畏怖による物だと誰の目にも明らかだった。

 守るべき者は腕の中にある。あとは自分が少しばかりの勇気を持って叫べばいい。

 小さな姿から貰った勇気。

 言葉を放て!

 

「こ、この人がグラウダ! 間違いない!」

「え? はっ?!」

「どういう事?」


 フィリシアの指差す先には年老いた男性の姿。

 グラウダ? 

 女性って言ってなかった??

 ラーサもモモも困惑しかない、想像していた犯人像とまるでカブらないその姿。ふたりはおどおどと部屋の中で混乱する頭に身動きが取れない。


 ハルは反射的ともいえる速さで、腰のポーチから小さな笛を取り出し口に咥えた。音の出ないその笛に思い切り空気を送り込む。


「クエイサー! スピラ!」


 二頭の白虎サーベルタイガーの名を叫んだ。軽やかな足音と共に、人の倍近くある大きな白い塊が処置室へ頭から飛び込んで来た。その迫力に存在を知らぬ者は、圧倒的な姿に目を剥き、体を硬直させ畏怖の念を抱いていく。


「ステイ」


 ハルは二本の指で、フィリシアの指差す先を同じように指して見せた。二頭は“グルゥ”と小さく呻き、扉の前に立ちはだかる。

 睨みを利かす二頭の下顎から突き出す大きすぎる牙が、診察室へ無言の圧を掛けると白い巨躯は門番と化した。簡単に突破出来ない事は誰の目にも明らかで、混乱と恐怖でカラウズの言葉は上ずってしまう。


「こ、これは一体、ど、どういう事ですか? 何をなさるのですか?」

「カラウズさん。マイクをご覧になりましたか? どう思いました?」


 抑揚の無いハルの言葉。その得も言えぬ迫力にカラウズは生唾を飲み込んだ。

 その姿を一瞥し、ハルは続ける。


「あなた方を見て、急に怯えだしました。立てるはずの無い体で、立ち上がろうとさえしました。これはきっと日常的に不穏な行動をすると虐待されていたという事でしょう。体は痩せこけ、脚は折れて、体中が内出血で腫れている。その傷を作った張本人が、あなたの後ろにいる人物。そういう事でしょう、フィリシア」

「こいつで間違いない。その節ばった細い指、歩く後ろ姿、何よりこいつを見たマイキーの異常な程の怯え。間違いないよ」


 言い切るフィリシアの言葉。真っ直ぐなその言葉には反論を許さない圧を持っていた。


「何の言い掛かりですかね。旦那様、戯言に構う事はありません。きっと自らの不埒な行いを隠すのに必死なのですよ。何を根拠に言っているのか分かりませんが、お嬢さん方、証拠のひとつも無くそのような暴言はよろしく無いですな」


 顔色ひとつ変えず冷静な声色を響かせる姿が気持ち悪かった。フィリシアはマイキーを強く抱き、きつく睨む。その瞳には決して折れる事の無い自信に満ち溢れていた。


「ハルさん。こいつの口髭、付け髭だよ。髪や眉毛と毛質が違うもの」


 ハルはゆっくりと使用人に近づいて行く。後ろに下がろうにも、二頭の門番がそれを許さない。頬を少し引きつらせ、厭悪の瞳をハルに向ける。

 臆する事の無いハルの歩み。使用人の表情があからさまな忌避から曇りを見せる。

 カラウズは呆気に取られ、放心状態でその光景を見つめていた。

 ハルはフィリシアの言葉を信じ、口元に手を伸ばす。使用人の表情は怒りにも似た、歪みを見せていく。


「触れるな! 半端者!」


 その言葉にハルは一気に飛び込み、顔を背けるその頬を力の限り握り締めた。

 ドワーフの力に抗う力など持っているはずも無く、厭悪の瞳を向けるのが精一杯の抵抗だった。

 ハルの指先が口髭に触れると口泡を飛ばす。


「汚れる! えーい、寄るな! 半端者!」


 無様に喚く男へ、ハルは冷えた瞳を向けるだけ。無情な指先は口髭をペリっと半分だけ剝がして見せた。

 処置室の空気が固まる。何を見せられ、何が起こっているのか。茫然自失のカラウズの動揺は激しく、魂が抜けたようにその光景を見つめていた。

 ハルは突き飛ばすように手を放し、尻餅をつく使用人を上から睨みつけていく。


「許せない⋯⋯」

「ヤバっ!」


 静かな滾り。本気の滾りを見せるハル。地面に尻をつけている使用人に目を剥くハルは、ただ単純な怒りをそこに向けている。

 ラーサが飛び込み後ろからハルを抱え込むが、ハルの本気の力に抗えるわけはなかった。使用人にさらに迫るハルは、ラーサをズルズルと引きずるだけ。

 モモが静かにハルの肩へ手を置くと、ハルはモモにゆっくりと視線を移す。


「ここで手を出したら負けよ。こんな下らない男に付き合う事は無いわ。違って?」


 モモの瞳は冷めきっていた。汚物でも見るかの如く蔑む視線を眼下の男に向ける。


「は、半端者風情が、何を言うか!」

「こいつ⋯⋯!!」


 火の付いたハルの怒り。

 モモは薄い笑みを口元に浮かべ、ハルの前に身を乗り出す。水を差されたハルが怪訝な顔を見せても、モモはお構いなしに地べたに這いつくばる男の眼前へと迫った。


「ねぇ、あなたは自分が仕える者に対しても、そう思っていたって事かしら? 奥様は確かハーフの猫じゃありませんこと? 違ったかしら? もしかして、年寄りに多い純血主義ってやつ? あなたの吐いた言葉。もう呑み込む事は出来ませんよ、どう落とし前つけるのかしら?」

「ふん。失礼なのは、お前達ではないか! 何の証拠も無いクセに! 旦那様、帰りましょう。失礼極まりない」


 カラウズはこの状況を少しばかり理解し始めた。その証拠に使用人に向ける表情は悲しみに満ちている。裏切りにも似た言動、行い。動揺はとうに通り過ぎ、悲しみと寂しさがカラウズの心を覆っていた。


「ラウダ⋯⋯お前⋯⋯お前⋯⋯」


 言葉は立ち消えていく。もどかしい。

 言いたい事、聞きたい事は山ほどあるはずなのに言葉は口から零れる前に消えてしまった。悲しみと、寂しさの後、襲ってくるのは悔しい思いとなぜという疑念。


「旦那様! こやつらの戯言を信じるのですか? 馬鹿らしい妄言のレベルですぞ」

「馬鹿はあんただ」

「なっ⋯⋯!」

 

 ラーサの溜め息混じりの言葉。下らないとばかりに蔑む視線を投げ、言葉を続けた。


「マイクはマイキー。住居は西では無く東。そしてラウダはグラウダ。ボロが出ないように頑張ったのかね。安直過ぎて馬鹿丸出しだよ、止めは男を女だ。あ、そういう趣味の持ち主? 否定はしないよ、別に。そこはね」


 せせら笑うラーサの口元。顔を真っ赤にして羞恥に耐えるラウダの姿。

 その姿は自らが黒幕と喧伝しているのと同義。


「おっと! これはどういう事だ?」


 白い門番に少しばかり驚きを見せるモーラがアウロと共に処置室へ現れた。

 尻餅をついている老輩の男を取り囲む女性陣の姿。

 モーラは盛大な溜め息と共に肩を落とした。


「ハル、状況を説明して貰おうか?」


 ハルも大きく息を吐きだし、気持ちを切り替えていく。

 最後の仕上げを始めよう。

 モーラの方を向き、重い口を開いていった。

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