第42話 熱を帯びる部屋で

 毛を刈られ地肌が剝き出しになった胴体へ伸びる点滴瓶からの管。痛々しさはあったが、マイキーは落ち着きを取り戻し、診察台の上で静かに丸まっていた。

 ラーサはその姿に点滴瓶から手を放し、ひとつ頷いて見せる。


「うん。鎮静剤と痛み止めが効いてきたね」

「良かった」


 フィリシアはとりあえずの安堵を浮かべ、マイキーの頭を優しく撫でた。心を覆っていた朧気な不安も払拭され、フィリシアの心も落ち着きを取り戻す。


「みんなありがとう。私の言葉を信じてくれて」

「フィリシア、残念ながらその言葉はまだ早いわ。どっちかといえばこれからかもね」

「これから?」


 ハルの言葉。終わりでは無い、むしろ始まりを告げる物言いにフィリシアはまた緊張感を覚える。診察室に漂う空気は未だヒリついたまま。その空気にフィリシアはまた表情を引き締めた。

 硬くなっていくフィリシアの表情にモモは柔和な顔をあえて見せ、緊張を解いていく。


「大丈夫よ。前に進んでいるのですから。次はマイキーの体が、もう傷つけられないようにしないとね」

「どうするの?」

「虐待が行われていたと考えると手っ取り早いのは、今の飼い主から引き剥がす⋯⋯かしら?」

「じゃあ、引き剥がそうよ」

「そう簡単にはいかな⋯⋯」

「なんで? こんなにいじめられて傷ついているんだから、返しちゃダメだよ」


 モモの言葉を遮って、フィリシアはまくし立てた。必死の形相を見せるフィリシアにハルは大きく嘆息して見せる。


「はぁ~。あなたね、少し落ち着きなさい。まず、虐待かどうか判断するのは私達じゃない」

「なんでさ⋯⋯」


 呆れ顔を見せるハルにフィリシアは少しむくれて見せた。


「そんな事が出来れば、高価な仔をだまし取れちゃうでしょう。『虐待しているー』って嘘ついて引き剥がしちゃえばいいんだから。それを防止する為に冷静な第三者の目をここに介入させる」


 第三者の目⋯⋯?

 その言葉にフィリシアがポンと手を打って見せた。


「あ! それがギルド」

「そういう事」

「でも、どうやって?」

「まずはこの仔の傷の状態を診て貰う。監察員が来たら右の前脚も開けるわ。折れ方を見れば、大方どうやって折れたか分かるでしょう。この体中の痣も転んでついた物か、何かを打ち付けられてついた物か一目瞭然」

「そうか⋯⋯」

「この仔の場合、虐待を認めさせるのは簡単ね。これだけ材料が揃っているもの。それに、【カミオトリマー】で名乗ったグラウダって名前、偽名の可能性が高い。ねえ、フィリシア、そのグラウダって人は金持ちに見えた?」

「え? 金持ち?? どうかな? いや、金持ちって感じじゃなかったかな。いたって普通? 結構年いった女の人って感じくらいしか無いかな」


 ハルの質問を不思議に思いながら、フィリシアは答えていった。


調毛トリミングの頻度は?」

「月イチくらい⋯⋯」


 ハルはフィリシアをジッと見つめた。深蒼の瞳に見つめられフィリシアは逡巡すると、ハルが指摘したいであろう矛盾が閃いた。


「そっか!」

「分かったみたいね。そもそも犬豚ポルコドッグ自体がそこそこ値の張る動物モンスター。それを毎月調毛トリミングに出すって、それなりにお金が無いと無理よ」

「うーん。でも、金払いもきちんとしているし、いつもその人が連れて来ていたよ」

「飼い主は金持ち。連れて来ているのは、その使用人って説はどう?」


 ハルの的を射た仮説に、フィリシアは何度も頷いて見せた。


「まぁ、登録番号調べれば飼い主は直ぐに分かるから⋯⋯」

「ハル! またあなたの所か」

「あら、その言い草は無いんじゃない、モーラ」


 突然扉が開くと開口一番、嘆息まじりに顔をしかめる壮年の狼人ウエアウルフが現れた。ぽってりとした愛嬌のある体付きと、ぼさぼさの灰毛がするどい狼らしさを失わせている。額に手を置き何度も首を振る姿が妙にしっくりきた。その姿は苦労人の雰囲気をにじみ出し、“また”と言っている事から、厄介事を良く押し付けられているのは間違いない。典型的な貧乏くじを引きに行くタイプだ。


「それで、今度は何だ。この前みたくガラの悪いヤツらとの仲裁とか勘弁してくれよ」

「仕方ないでしょう。ぶん殴るわけにもいかなかったんだから。それよりこの仔を診て」

犬豚ポルコドッグか⋯⋯酷いな。この腫れ方は、自分でぶつけたにしては広範囲だし数が多すぎる、何かを叩きつけた感じだな⋯⋯。ちょっと触るぞ。痩せているな⋯⋯私をここに連れて来たって事はそういう事か」

「そう。【カミオトリマー】に来た仔なんだけど、そこにいるトリマーのフィリシアが異変に気づいてここに連れて来たのよ」

「⋯⋯なるほど」


 マイキーを見つめるモーラの眼光が狼人ウエアウルフらしい鋭さを見せていた。そこに先程までクドクドと愚痴をこぼしていた姿はなくなり、仕事人の顔を見せている。


調毛トリミングねぇ⋯⋯。それで君は何がおかしいと感じた?」


 フィリシアに真剣な目を向けると、フィリシアも落ち着いた声で言葉を返していった。


「全体的ににじみ出ていた雰囲気と、右の前脚を触った感じ」

「全体的⋯⋯なるほど。右の前脚はどうおかしかった?」

「モーラ、それについては私から言わせて」


 ハルが軽く手を挙げて、割って入る。


「構わんよ。それで、ハル。どうおかしいのだ?」

「多分折れている。なのに、この仔は普通に立って我慢していた。監察員が来るのを待って、開こうと思っていたのよ」

「普通に立っていた? ⋯⋯なるほど。では、始めてくれ」

「みんな準備して」


 ハルの号令にこうなる事を予想して準備をしていた、ラーサとモモがすぐに手術オペの準備を整えた。


「始めましょうか」


 エプロンにゴーグルとマスクをつけたハルの静かな声が通る。

 ラーサがマイキーの顔を注視し、状態を確認していった。


「麻酔入れたよ。今回は局所でやる。眠剤が効くまでちょっと待ってね⋯⋯。眠り入った、カウントするよ。5、4、3、2、1⋯⋯。うん、大丈夫。モモ始めて」

「それでは始めます」


 マスク越しにモモが開始を告げた。

 マイキーの前脚の皮膚が二つに割れていく。出血の少ない見事な手さばき。細い脚に詰まる筋肉を更に切裂いていった。ハルがヘラを使って筋肉を押し開き、更に奥を覗くと、処置室の熱は静かに上がって行く。


◇◇◇◇


 アウロさんがいる裏手の作業部屋を覗きます。

 目の前に並ぶ素材らしき物を見つめ、頭を悩めている様でした。


「アウロさん、お疲れ様です」

「エレナ、どうしたんだい?」


 アウロさんの前には湾曲している鉄の棒や、削り出したいろいろな太さの木の素材が並んでいます。良く見ると同じ素材なのに湾曲具合が微妙に違う物がいくつも転がっていて、数刻しか経っていないというのに、ビオの脚になるかもしれない物がたくさん出来上がっていました。

 私が感嘆の声を上げると、アウロさんは少し照れた表情を見せます。


「凄いですね」

「いやもう、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってやつだよ。どれでもいいからハマってくれるといいんだけど」

「鉄の脚になるかもしれないのですか?」

「いや、鉄は型に使うつもり。弾力のある木がいいと思うんだ。しなりがあって頑丈。バラブ材かシカラ材あたりで考えている」

「何かお手伝いする事はありますか?」

「それじゃあ、とりあえず曲げるのを手伝って貰おうかな。そっちの端を持ってくれるかい」

「はい」


 焚火台に火を灯し、その上に湾曲している鉄を置きます。熱した鉄の上に細い板状のバラブ材を乗せ、熱でゆっくりと曲げて行きました。

 アウロさんが体重を掛けると、ぐにゅうっと面白いように曲がって行きます。曲がり具合を調整して試作品の完成です。またひとつアウロさんの前に試作品が増えました。


「おお!」


 凄い! 思わず口から感嘆の声が漏れました。

 まだ少し熱を帯びている湾曲したバラブ材を手にします。軽くて、少し振っただけで良くしなりました。

 これが脚になるのか⋯⋯。


「うーん」


 私が手にしていたバラブ材を渡すと、アウロさんは少し難しい顔で曲げたり、振ったりと確認しています。


「ダメですか?」

「いや、悪くは無いんだけど、シカラ材の方が良さそうかな⋯⋯まぁ、いろいろ試してみようか」

「はい!」


 こんなに頑張っているのですから、きっと上手くいくはず。

 焚火台の熱のせいもあるのかもしれません、作業部屋の熱は上がって行く一方です。

 アウロさんは玉のような額の汗を拭い、作業を続けて行きました。私も微力を尽くし、お手伝い。

 ビオの歩き回る姿を想像しながら、額に汗を浮かべて行きました。

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