第38話 フィリシア・ミローバの逡巡
「フィリシア~。その仔お願いね」
「はーい」
元気な返事を返すと肩まである長い髪を振りかざし、声の方へと駆けて行く。
目の前の
「怖がらなくて大丈夫よ。
「今流行りのまん丸カットをご所望よ。頼むわね」
「あれね。了解、了解」
口髭を蓄える男性は後ろ手に手を振りながら、腰をくねらせ立ち去っていった。
「あなた名前は⋯⋯マイキー。あれ? マイキー? そんなに久しぶりだっけ?? 随分とまぁボッサボッサになっちゃって。グラウダさんももっと早く連れてくればいいのに。それじゃあ、マイキー、まずは体を洗っちゃおうか」
フィリシアが手を伸ばすと一瞬ビクっと体を強張らせたもののすぐに体を預けた。ぬるま湯を張った桶に入れ、優しく湯をかけていく。
大人しくていいんだけど⋯⋯何か? うーん何だろう?
そこはかとない違和感を覚える。大人しくしてはいるものの、フィリシアと目を合わそうとしない。
まただ。
優しくお湯を掛けているだけなのに、体をビクっと一瞬硬直させる。
「カミオさーん! この仔何かおかしいよ」
カミオは嘆息しながら、作業の手を止めフィリシアの元へ。改めてマイキーの様子をまじまじと眺め首を傾げた。
「おかしい所なんて無いじゃない。考え過ぎ。
「カミオ、あんた店長でしょう。もっと危機感ってやつを持ちなよ。この仔が怪我でもしていて、ウチのせいにされたらどうするのよ」
「それじゃあ、どうしろって言うのさ? 見てごらんなさい、おかしい所なんて無いじゃない」
「それは⋯⋯」
だからと言ってフィリシアも、何か手立てを持っているわけではなかった。自分で怪我をしているかもと言っておきながら、自身の言葉ですら半信半疑。宙ぶらりんの言葉をもう一度吞み込んだ。
けど、やっぱり何かおかしいよ。
突き動かすのは自身の直感。でも、これは経験則から来る実感だ。そしてその実感は自身の直感を信じる根拠となるはず。
マイキーの怯える目が一瞬、フィリシアに向いた気がした。
「大丈夫。心配しないで。大丈夫」
優しく言葉を掛け、ゆっくりと体を撫でていく。じっとして動かないマイキーの後ろ脚を、前脚を、フィリシアは慈愛の籠った瞳で見つめながらそっと握っていった。
右前脚に触れた瞬間。ビクっと体を硬直させ、あからさまに視線を逸らす。フィリシアの瞳は真剣味を帯び、自身の手が感じた感触を想起させていく。
何かおかしくなかったか? 反応からは明らかにここがおかしいと言っている。
濡れたマイキーの体を拭き上げながら、頭の中で何回となく今の感触を思い起こしていく。何百回と
フィリシアが顔を上げる。
柔らかかった。
あの前脚に覚えた違和感。
「カミオさん! ちょっと行ってくる!」
「ちょっ! どこに? フィリシア~」
気が付くとマイキーを抱え、フィリシアは走り出していた。自身の直感に賭け、思いのままに街を駆け抜けて行く。
◇◇◇◇
「う~ん」
私が扉を開くと
「フィリシア、ビビは相変わらず?」
「そう。相変わらず。何か見落としているのかな⋯⋯。痛い所あるのかな?」
ビビの頭を撫でながら、思いを巡らしています。目を閉じ、体の隅々を丹念にそして優しく触れていき、そしてまた頭を抱えます。
答えの見えない姿。
それがいつもの光景となりつつある事に、フィリシアは自身に苛立っているようでした。私も悩むフィリシアに心を痛めても、何か出来るわけではありません。雑用を手助けするくらいしか出来ない自分に嘆息します。
何か元気づける一言でも、掛けられればいいのですけど、如何せん人と話すという経験値が絶対的に足りていない私に、そんな気の利いた言葉など思いつく事はありません。
いつものように頭を抱えるフィリシアを余所に、ケージの掃除をしていきます。ビビの兄弟、ビオも元気が無いです。私がケージの中に手を入れると、甘えるように頭を寄せて来ました。私はその頭をゆっくりと撫でます。
「ごめんね」
こんな事しか出来ない私は無意識に言葉を漏らしていました。フィリシア程ではないかもしれませんが、同じ様にここではもどかしさを感じます。せめて、少しでも動けるようになればビオの気も晴れそうです。
車輪椅子を受け入れてくれれば⋯⋯。
脚では無い転がる感触が怖くて、拒絶を示す仔はままいるそうです。こればっかりは相性だという事で、ダメな仔は諦めるしかありません。
好奇心旺盛な仔、活発な仔、そんな性格の仔達は受け入れる仔が多いという話。それに当てはまるビオは大丈夫そうなのですが⋯⋯。ないものねだりをしても仕方ありませんよね。
動ける⋯⋯歩ける⋯⋯。せめて人間みたく義足という選択肢もあればいいのに。
「フィリシア。どうしてこの仔達には義足って選択肢が無いの?」
「どうしたの? 急に?」
ビビを撫でながら、少し困惑気味に言葉を返して来ました。
「人にはあるのに
「⋯⋯まぁ、確かに。言われてみれば」
「車輪椅子より、難しいのかな?」
「う~ん⋯⋯」
フィリシアが難しい顔で唸っています。
困らすつもりはなかったのだけど。
私は慌ててフォローしました。
「忘れて! 何でも無いから。ちょっと疑問に思っただけなの。ね、ね」
悩みきっているフィリシアをこれ以上悩ませてはいけません。
「いや、ちょっと待って。言われてみれば確かにそうなのよ。既製品はないけど⋯⋯アウロさんあたり作れないかな? 小さな仔ならいけそうじゃない? ⋯⋯善は急げね。ちょっとアウロさん呼んでくる。エレナ、ここ見ていて」
「えええー!?」
行ってしまいました。
私は元気の無いビビを、代わりに撫でながら戸惑うばかりです。
思い立ったが何とかってやつでしょうか?
一気に熱を帯びたフィリシア。
勢いのまま
でも、フィリシアの行動力を羨ましいと思うし、この仕事にあの素早い判断は必要不可欠な気がします。迷いっぱなしの私には、フィリシアのあの判断力が眩しく映るのです。
「そうだ」
腰のポーチから取り出した二冊目の真っ新なメモ帳に素早い判断と行動と書いていきました。私に必要な物がまた増えて、思わず天を仰ぎ見てしまいます。次から次ですね。
「ビビ、元気出して。ビオもきっと元気になるから、あなたも歩きましょう。ね」
ビビは私を一瞥して、またじっと丸まってしまいました。
◇◇◇◇
「いやぁ⋯⋯普通に歩いているんだろう? 脚に異常があれば、その兆候は出るさ。見る限りその兆候は皆無だ。誤診の噂なんか出回った日には商売あがったりだぜ⋯⋯。分かるだろう?」
「でも、何にせよ、おかしいんだよ! おかしいんだから誤診にはならないでしょう。頼むよ」
「悪いな。他を当たってくれ。客が待っているんだ」
言葉尻は丁寧だが、ぴしゃりと閉められた扉に完全な拒絶が理解出来た。
丁寧に断られただけまだマシか。
ちょっと見ただけで門前払いの
跳ねるように街中を抜けていた足取りも、今や鎖の繋がった囚人のごとくその一歩が重く感じてしまう。
俯くな。
自身を無理矢理に鼓舞し、顔を上げた。
街の中心に近い場所。三階建ての大きな建物。
病院?
「【ハルヲンテイム】?」
聞いた事の無い店の名前。
ここ大丈夫?
もう自分の知り得るテイムショップは全部回ってしまった。職業柄、それなりに
知らない店か⋯⋯。
重い足が前に進む事を拒み、店の前でしばらく佇ずんでしまう。ここまでに拒絶された事実を思い出し、その一歩が出ていかない。
フィリシアはまた顔を上げていく。抱えるマイキーを今一度ギュッと抱き締め直し、その大きな玄関口をくぐって行った。
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