第13話 急変

「失礼しま⋯⋯」


 私の挨拶はラーサさんののんびりとしながらも強い口調にかき消されて行きます。


「だからぁ~、手術オペ云々より、麻酔が危険なんだって」

「危険があるのは分かっているわ。でも、肺も心臓も異常は見られないのでしょう? だったら、要因ごと取り除いてしまう方が安心じゃない。投薬で一時的に止まったとしても、またぶり返す可能性は高いでしょう」

「ぶり返す可能性は否定出来ないけどさ、この仔の年齢を考えなよ。ぶり返す前に寿命かも知れないんだよ、わざわざ危険を推してまで手術オペする必要ないよ。しかも、腫瘍が原因じゃなかったら薬で完治するよ」

「うーん。でも、ラーサだってこの出血は腫瘍と見ているんでしょう?」

「まあ、腫瘍の可能性は高いけどね。出血の量から見て、そこまで大きくはない、でしょう?」

「そうね。大きくはなさそう。でも、悪い方だったら小さくとも厄介よ」

「いや、この仔の年齢から考えて悪い方だとしても、腫瘍の成長は鈍い。悪さする前に寿命の可能性が高い」

「もう、悪さしているじゃない」

「いや、この程度なら投薬で充分でしょう」

「急激な悪化もあり得る分けだし、体が耐えられそうなうちに手術オペよ」

『う~ん』


 な、なるほど。フィリシアさんの言っていたバチバチってやつですね。おふたりとも一歩も譲る気配がありません。

 ただ、ふたりとも真剣にこの仔を治したいという思いは凄く伝わります。ゴールは同じだけどその道筋で意見が割れているのですね。私にはどっちがいいのか、さっぱり分かりませんが、この仔が早く元気になるといいなぁと思って、頭を撫でて上げました。


「あら、エレナじゃない」

「お疲れ様です。モモさん。ラーサさんもお疲れ様です」

「どうしたのこんな所に? アウロから逃げ出した?」

「いえいえ、そんな事はしませんよ。フィリシアさんが勉強になるよって教えてくれたので」

「ええー、なるかしら?」

「フィリシアのやつ、エレナを出汁だしにして、ここの様子を知りたいだけでしょう」

「それね。間違いない」


 フィリシアさんに対しては、ふたり揃って同じ意見で統一されました。仲が悪くなったわけでは無かったので、ちょっとほっとします。


「この仔は元気になりますか?」

「なるよ」

「なりますとも」

「そうですか、よかった」


 ふたりの力強い返事に、胸を撫でおろしました。おばあさんの笑顔が見られそうです。


「ラーサさん、どうして麻酔が危険なのですか?」

「うん。麻酔ってね、一種の仮死状態と思って。仮死とはいえ死は死でしょう。そのまま帰って来られない危険性があるのよ。帰ってくる元気がある仔は問題ないけど、年取ると生き物って元気が無くなっていくでしょう」

「なるほどです。その仔の生きる力が帰ってくるには必要⋯⋯ヒールでは治らないのですか?」

「うんと、ヒールもちょっと似ていて、その個体の生命力を強化して治す感じだから、そもそもの生命力次第だし、怪我には有効だけど病気にはそこまでの有効性はないかも。私のヒール自体も強くないし、この仔みたいに病気が原因の場合ことさらに使い勝手が悪いかも」

「でもね、エレナ。病気が治って来て快方に向かっている時にはヒールは有効よ。早く元気になりますもの。ラーサのヒールはとっても大事なのよ」

「そうなのですね。勉強になります」


 ヒールを使えて、薬の知識も豊富なラーサさんって凄い。モモさんも手術出来ちゃうし、みんな本当に凄いな。

 それにふたりはバチバチしていても、互いに信頼しているのが伝わってきます。だからこそ真剣に意見を言い合えるのですね。


「ねえ、ちょっとおかしくない?」


 モモさんの口調がいつもの穏やかなものと違い真剣味がありました。私も撫でる手を止め、診察台の老犬に視線を落とします。

 少し苦しそうな荒い呼吸を見せていました。

 時間の流れが緩やかに感じます。呼吸バッグを手にしようと体を動かしますが思っているより動いてくれずもどかしさを感じます。

 ラーサさんとモモさんの視線が診察台へと一瞬釘付けになり、その視線は真剣そのもの。

 診察室の中に緊迫した空気が漂い始めた瞬間でした。


「ラーサさん! モモさん!」


 お尻から大量の血が吹き出し、ガタガタと全身を激しく震わせている老犬の姿に、ふたりの名を思わず叫びます。緩やかに流れていた時間が堰を切ったかのように一気に流れ出しました。

 私は余りにもびっくりして、恐怖と混乱で抑えの利かない体はぶるぶると震え出します。気が付けば私は茫然と立ち尽くしていました。


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