第7話 ハルヲンテイムって何ですか?

 廊下はとても長く、とてもとても広い中庭を建物が囲んでいました。手入れはされておらず、大きな木や雑草、瓦礫がそのまま剝き出しになっています。部屋の扉もたくさんあって、途中で数えるのを止めてしまいました。大小合わせて10以上はあります。裏口からは分からなかったのですが、奥行きが凄くて少しびっくりしてしまいました。


「広い⋯⋯」

「でしょう~」


 ハルさんが笑顔で私の顔を覗き込みます。どうやら口から感想が漏れていたようです。無意識の言葉はちょっと気恥ずかしいですね。


「ここはね。元々大きな病院だったの、転院して空いた所を私が買い取ったわけよ。どう? 凄いでしょう」

「はい! 凄いです」


 私が感嘆の声を上げるとフフンとわざとらしく鼻を鳴らして見せます。その姿が可愛らしくて思わず噴き出してしまいました。


「まだまだ手付かずのの所が多くてね。必要になったら少しずつ改装して、調教店テイムショップらしくしているのよ。これからは、エレナも手伝ってね」

「はい」


 私、期待されている? 何かとっても嬉しい。


「⋯⋯着いた。服脱いで、そこの籠に入れて頂戴。着替えは置いとくんで出たらそっち着てね。それと⋯⋯フィリシアー! こっち手伝ってー!」


 湯浴み場から、大きな声で誰かを呼びます。


「はいはい」


 短髪の女性が駆けて来ます。綺麗に切り揃えた短い髪に大きめの口。それにくりっとした好奇心旺盛な瞳。そこから利発な雰囲気が伝わります。私は黙って頭を下げると、女性は物珍しそうに私を隅々まで覗いてきました。


「ハルさん、ハルさん。この子、どうしたの?」

「この子はエレナ。新しい仲間よ」

「おほう。新人さん! 宜しく!」


 フィリシアさんは溢れんばかりの笑顔を私に向けます。ニカっと口を大きく開けた弾ける笑顔が私の心を明るくしてくれました。


「フィリシアさん、よ、よろしくお願いします」

「ああ、なんか固いな。まぁ、仕方ないか」

「それじゃあ、フィリシア。エレナを綺麗にしてあげて。私はまだちょっとやる事あるんで。エレナ、またあとでね」

「はい」

「なるほど。んじゃ、エレナ行こうか。湯浴みはした事あるでしょう?」


 私は首を横に振ります。川で水浴びをした事があるくらいです。それも数えるほどですが。

 フィリシアさんは何度も頷き、裸になった私の手を引きます。

 ツルツルの岩で出来た床に、大きな湯を張った桶。湯浴み場は湯気がモクモクと立ち込め、何だかとても不思議な所でした。


「さぁ、さぁ、座って⋯⋯いっくよー! それー!」

「うわっ!」


 背の低い木の椅子に腰掛けると、フィリシアさんは勢い良く頭から湯を掛けます。びっくりしていると今度は正面から⋯⋯。


「うわっぷ⋯⋯」

「アハハハハ。気持ちいいでしょう」


 フィリシアさんが、頭に何かかけました。ワシワシと髪の毛をされると頭が泡だらけになっていきます。


「これは⋯⋯なかなか⋯⋯手ごわいわね。そういえばエレナ何って言うの? 私はフィリシア・ミローバ」

「エレナ・イルヴァンです」

「ほほう。では、イルヴァン様。伸びきってしまった髪の毛を調髪してはいかがですかな?」

「髪を切る? は、はい。お願いします」

「こう見えて、トリマーとして自信あるからね。任してよ。何か希望の髪型とかないの?」

「ありません、切った事がないので」

「確かにね。縮れているからあれだけど、相当長いよね、これ。何かこうして欲しいとかない? あるでしょう」

「うーん」


 私は先ほど見た美しい金髪の姿を思い出します。


「ハ、ハルさんみたいなのは⋯⋯どうですか?」

「うん。悪くないね。それではお客様、肩くらいで切り揃えていきましょう」


 おどけるフィリシアさんはベルトについた皮のバッグからハサミと櫛を取り出しました。


「綺麗な銀髪ね。ちゃんと手入れしないとダメよ」

「手入れですか?」

「今度教えてあげる」


 パチパチと小気味いいリズムと手際のよいハサミ捌き。私の髪がどんどん床に落ちて行きます。頭が軽くなると何か今までのイヤな事も一緒に落ちて行くみたいで、軽やかな気持ちになっていきました。


「ハルさんの名前は何と言うのですか? 聞きそびれちゃって」

「ハルヲンスイーバ・カラログース。エルフ名ってカッコイイよね! あ、でもハルさんはドワーフとエルフのハーフだけどね」

「ドワーフとエルフ⋯⋯あ! だから、大きくないのですね」

「そうそう。珍しいよね。ハルさん以外で見た事ないもの。エレナは猫のハーフよね」


 ハルさんもハーフなんだ。何だか勝手に親近感が湧いてしまいます。


 煤けた顔も綺麗にして貰い、ハルさんが貸してくれた青い服に袖を通します。金色の縁取りがされた裾が少し広がっているパンツと、同じ色の七分袖のシャツ。柔らかい生地が肌に気持ちいい。

 私が着たシャツをずっと触っているのを、フィリシアは笑顔で見つめていました。


「エレナ、なになに気に入った? 似合っているわよ」

「そ、そうですか。とても気持ちいい服ですね」

「さ、次よ」


 次? 

 湯浴み場から対角にある一室の前に移動すると、フィリシアさんがノックします。


「ラーサ!」

「なぁに?」


 扉から小柄で細身の猫人キャットピープルさんが、顔を出しました。綺麗な翡翠色の髪からピコピコと動く耳が興味津々と言っています。小柄と言っても私より頭ふたつくらい大きいのですが、フィリシアさんと私の姿を見るとすぐに中に案内してくれました。

 液体の入った小瓶でいっぱいの棚と管が伸びる空の瓶がいっぱいぶら下がっています。


「じゃあ、ラーサあと宜しく」

「うん。じゃあ、そこに寝て」

「あ、はい。あのう、エレナ・イルヴァンといいます。宜しくお願いします」

「うん。ラーサ・ティアン。エレナ、宜しく」


 ラーサさんは淡々と私の服をめくると、耳から伸びる管の先についた丸い物を私の体にピタピタとつけて、耳を澄ます仕草を見せました。何をしているのか不思議な感じです。


「ラ、ラーサさん。それは何をしているのですか?」

「うん? これ? これは聴診器ステートって言って、体の中の音を聞く物よ。ほら」


 ラーサさんは耳から外すと、それを私の耳につけます。

 ドットッ、ドットッと太く蠢く音が聞こえて来て、びっくりしているとラーサさんはニヤリと笑って見せます。


「これは何の音ですか?」

「それはエレナの心臓の音よ。心臓が動いているのが分かるでしょう。生きているって事よ」


 生きている音。

 私が感嘆していると、ラーサさんは私の体を触っていきました。お腹や背中、手足まで隅々まで触ると少し難しい顔しています。私はその表情に少し不安になっていると、気が付いたラーサさんはすぐに口元に笑顔を見せてくれました。


「あ、ごめんね。ちょっと考え事していただけ。大丈夫よ。エレナは普段ご飯ちゃんと食べているの?」

「いつもパンの耳とたまにパン屋のおばさんが果物をおまけしてくれました。あ、でも今日はキルロさんにご飯をいっぱい食べさせて貰いましたよ」

「なるほどね⋯⋯」


 ラーサさんは寝ている私の肩に手を置き、大きく頷くとすぐに棚からいくつかの小瓶を取り出し、管の付いた瓶に注いでいきました。お世辞にも綺麗な色合いとはいえない、少し毒々しくさえ見えるそれを私の傍らに吊るしていきます。

 伸びる管の先には細い針。その針を綿で拭き上げると、有無を言わさず私の腕にブスリと刺しました。


「あわわわわわわ。な、何ですかこれ???」

「うん? あれ? 点滴見るの初めて? ニャハハハハハ」


 私は黙ってかぶりを振ります。驚きすぎて、目を剥いたまま固まってしまいました。その姿が可笑しかったみたいで、ラーサさんはしばらく笑っていました。


「大丈夫、心配しなくとも。エレナの体は栄養がもの凄く足りていない。これでそれを補うの。しばらくは毎日打つわよ。ちゃんと来ないとダメ。いい?」

「はい」


 私は素直に頷きます。


「それとご飯はちゃんと食べるように。パンの耳だけなんてダメ」

「たまに果物も⋯⋯」

「たまにじゃダメ。いい?」

「はい⋯⋯」

「うん。いい子」


 ラーサさんは私の頭を撫でてくれました。その手にとても安心します。


「ラーサさんはお医者さんですか?」

「医者は医者でも、獣内科医よ。ここは調教店テイムショップでしょう」

「私、動物と同じですか?」

「私というか、ハルさんは人も動物モンスターも一緒だって言っていてね。まぁ、言われてみれば、体の作りは一緒だし、治し方に差異なんてあんまりないからね。あ、でも基本人は見ないわよ」

「人も動物モンスターも一緒⋯⋯」


 その言葉が何故か胸にしっくりきました。

 今日出合った人達は、誰も怖くありません。みんな私を優しく受け入れてくれました。

 白蛇も白虎の動物モンスター達も同じ。

 そんな事を考えていると私はウトウトと、とても安らかな眠りに落ちていました。

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