第2話 赤頭 10

「結局先生は最後までは言い切らなかったけど、つまり君はミオスタチン関連筋肉肥大の体質……という見解になるんだね」

「そういうことらしいですね」

 月岡さんが「門まで送るよ」と言い出したので、俺たち3人は資料室を後に、日差しを避けるように構内を歩いていた。

「でも昨日測った握力や瞬発力が平均並みだったのが不思議だね」

「測ったの?」

 右隣を歩く赤城さんが問う。

「そうなんですよ。握力とか立ち幅跳びとか砲丸投げまでやらされました。終いには月岡さんと、立ち上がれなくなるまで走らされて」

「走ったね」

 ふふ、と月岡さんが楽しそうに笑う。

「そう、あの測定を見て俺が思うに、君のその力、普段はリミッターが掛かっている状態だと思う。恐らく、無意識の心理的限界によって。だけど、それが何かしらの刺激によって解除される場合に限り、怪力が発揮されるんだろう。俺はそれがアドレナリンの分泌量と関係するんじゃないかと思うんだ」

「アドレナリンが?」

「そう。極度の興奮状態、疲労状態の時に脳内麻薬としてアドレナリンは分泌される。昨日走った時のようにね。多分先生もその事に薄々気が付いていて、確証を得るために体力測定という名目で実験をしたんだと思うよ」

「ああ、なるほど」

 てっきりこの力は、走ったり、少し疲れる運動をした時に限って出現するものだと思っていた。現に今日はここまで来るのに自転車を急ぎめに漕いで来た。だからあの時車を持ち上げられると思ったのだ。

 よく考えると確かに、興奮状態と疲労状態だ。

「納得できる経験があった?」

「ありましたね」

 さすが星だ。改めてすごいと思う。

「あ、私はここで失礼するわ。部活に顔を出す予定なの。克実くん、またね」

 丁度大きい校舎の前に差し掛かった時、赤城さんがそういった。俺たち2人は小走りに屋内へ去って行く赤城さんの背に手を振って見送る。

「あ、俺も近くに来た従姉の買い物に付き合う約束なんだった」

 不意にメッセージアプリの通知が鳴り、スマホを見た月岡さんがそう言った。結局門まで行かず、俺たちはここでお別れすることになった。

「昨日と今日と、ありがとうございました」

「いやいや、楽しかったし、俺も先生の貴重な話を聞けてよかったよ」

 不意にポケットを漁る月岡さんから、紙の端切れを手渡される。

「俺のケー番。何かあったらいつでも相談してね。そうそう、君も陸上やらない?江口くんならメダルは容易いよ」

「うーん、遠慮しておきます」

 恵まれた肉体といわれればそうかもしれないが、生憎そこまでスポーツが好きなわけじゃない。目立つのも。

 それにしても連絡先として渡すのがケー番……。メッセージアプリのIDじゃないんだ。つくづく変わってるなぁ。

「そうかい、残念!じゃ!」

 意外と諦めが早かった。「あと、俺のことは月岡さんじゃなくて、京助って呼んでくれていいよ。苗字、言いにくいからね! 俺も克実くんって呼ぶからさ」彼はそう言い残し、その俊足で駆けて行った。

 残された俺はふらふらと歩みながら駐輪場まで歩く。蝉時雨は依然どしゃ降りで、身体はたちまち頭から水をかけたように汗に濡れた。一歩、また一歩と進むほどに体温が上がる。

 自分の体質に関する長年の謎が解明されたからか、不思議と胸が軽い。どことなく心の奥底に溜まっていた、重油みたいなものがなくなったからだろうか。この暑さで憎らしかった青空が、今はとても愛おしい。

 自転車を出し、跨る。

「先生に振り回される刺激的な日々も悪くない」

 そう思い始めた自分がいる事に気付いた。夏はまだ長い。ゆっくりやっていこう。

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