第60話 倉庫のコンサート(4)
女はあきれた様子でグラサンを戻すと、話を再度切り出した。
「まぁ、いいわ……ところで、この辺りで大声で歌っても大丈夫なところないかしら?」
「すみません……俺、昨日、ココに越してきたばかりで……」
「えっ! そうなの君、ココらあたりの人じゃないの。だって上半身裸で、まさに海で仕事しているって感じじゃない?」
そう、今の俺は、先ほどから上半身裸。
その上、漁具の入ったコンテナを抱えているのだ。
そう見えても仕方ない。
「でも……言われてみれば、そうよね。だって、海の男にしては肌の色が白すぎるわよね。しかも、全然、日に焼けていないし……どちらかと言うと、日陰で育つモヤシみたいよね……いうなればオタク?……キモっ!」
この女、一体、何を言っているのだ。
わざわざ人を捕まえてモヤシのオタク呼ばわりとは。
しかも、最後にキモっなどと、初見の相手に吐き捨てるとは!
どんな教育を受けてきたのであろうか?
俺の口角が、少々ピクついた。
「はぁ、やっぱり、買い物なんかしないで、スタジオに戻ればよかったかな……」
そういう女の両の手には、いくつもの高級そうな紙袋がいくつもぶら下がっていた。
何やら文字がいろいろと書かれているが、どれもこれも読み方が分からない単語ばかり。
まぁ、どこぞのブランドなのだろうが、当然ながら俺は知らん!
「1,000ゼニーぐらい出せば、貸スタジオ見つかると思ったんだけどな……意外にないのよね……本当に、ドンだけ田舎なのよ!」
「えっ! 1,000ゼニーも!」
俺は、その言葉に反応した。
1,000ゼニーと言えば大金である。
どこぞの国では、未知のウイルスによって国民に大きな被害が出たそうである。
そんな政府が、国民一人あたりに配ったのが約1,000ゼニーである。
ちなみに、胎児には出なかったそうであるから、妊婦さんの怒りは分からないでもない。
そして、そんな大金をポンともらえるのだ。
こんなおいしい話はない。
すでにもやしオタクなどとバカにされたことをすっかり忘れた俺の目は、金のマークに変わっていた。
「ドラゴンが大声で吠えても音が漏れない場所があるんですけど、いかがでしょう? お姉さま!」
女は笑う。
「なに、その、大げさな防音施設は? まぁいいわ、案内して!」
俺は、とっさに目の前の倉庫を指さした。
「ここです!」
「ココ……?」
「まぁ、まだ掃除はできてないですけど、その分、音の反響はいいですよ!」
俺は、必死に営業をかけた。
無一文の俺にとって、どうしてもその1,000ゼニーというお金は欲しかった。
1,000ゼニーあれば、どれだけの数のキュウリ、いや、バナナが買えることだろうか。
女は、シャッターが開け広げられた入り口から倉庫の中を恐る恐る覗いた。
入り口に座っていた5匹のペットたちが、女の影に驚いて急いで倉庫の奥へと逃げ込んだ。
俺は漁具のゴミが入ったコンテナを担いだままで、最後のひと押しをかける。
女に接近するその顔は、もう、ノルマが達成できなかったら部長にこっぴどく怒られることが確定している後がない新人社員そのものである。
「魔法電機の自動開閉のシャッタつき! どうです! 大声を出すには最高ですよ! お姉さま!」
大声を出す事とは全く関係がなさそうなシャッター。
まぁ、今の俺にとって売り込む材料はこれぐらいしかなかったのだ。
近づく俺の必死な顔にドン引きする女。
ウッ!
しかし、次の瞬間、女は鼻をつまんで岸壁の海へと駆けだしていった。
手に持つ紙袋を全部投げ捨てて。
そして、四つん這いになったかと思うと、海に向かってゲーゲーと吐き出しているではないか。
――俺って……そんなに臭いかな……
その様子に、少々、ショックを受ける俺。
きっと、この、漁具のごみのせいだよね……
女は、吐き終ったのか、口をハンカチで拭いながら、戻ってきた。
「はぁ……はぁ……はぁ……ここでいいわ……今からスタジオに戻る時間もないし……中はそんなに臭くないしね……でも、あのゴミは中に入れないで! 今の私、ちょっと匂いに敏感なのよ!」
俺はしょんぼりとうなずくと、漁具の入ったコンテナを倉庫の横の路地へと置いた。
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