第2話 少女たちは邂逅する

「ん…っ」


窓を大きく開け放ち、伸びをする。相変わらず空は鬱陶しい程に晴れていて、窓から差す光はあまりにも眩しかった。


「今日は…ハニートーストにしようかしら」


この館に独りきりになってもう5年が経つ。当日12歳だった。両親が吸血鬼に攫われて行方不明になってしまったのだ。多分今頃話に聞くようでは監禁されて血液の奴隷とされているか、もう飲み尽くされて死んでいるかのどちらかだと。勿論物凄くショックだったし今も帰ってこないかと密かに期待を抱いている。けれどそれほどまでに一人暮らしに悲観しないのはこの家が魔導士の名門家だからだ。

私はこのテイラー家の一人娘であり魔導士としての素質も勿論受け継いでいた。だからそこ世間は私に重すぎる期待の目を向けていた。特に吸血鬼との対立が激しさを増す今、魔力が強く部隊統率の為に名の立つ魔導士というものは是非とも欲しいものではあった。私は正直うんざりしていたし、誰かを傷つけるための魔法は使いたくない。両親も平和主義だったために私は日常的な魔法以外の練習をあまりしなかった。だからこそ抱える不安も大きかった。でも両親が居なくなってから一変した。教育する親もいないし、親も吸血鬼に攫われるような魔導士だ。落ちぶれたものだ、と一気に世間の目は私から離れていった。初めはメイドたちが12歳で、遺産はあるものの育て手を失った私を哀れんで身の回りの仕事をしてくれたが、やがて世間の批評が強くなると1人また1人と消えていき、結局1年もしないうちに誰もいなくなってしまった。誰が言い出したか一緒に私も攫われたというデマも流れ、私もずっと山奥の誰もこない別荘に引きこもっていたこともあってか、それが信じられるようになってしまっていた。けれど別に私は気に病むことは無かった。重荷からも開放されたし、これで魔導士達が戦争に踏み出す材料をひとつ失ったと考えれば安い犠牲だと思った。幸い家事もすぐ覚えたし買い物転移魔法である程度人目を避けられるから別段苦労もない。ただ少し、お茶を1人で飲む時と、夜寝る時だけ寂しい。それだけだった。

両親は優しかった。でも何故か、私が真に愛するのはこの人達ではないんじゃないかと思う時もあった。養子として貰われたようなそんな感覚で、本当の家族がどこかに居るようなそんな孤独感を抱えていたからこそ、家族がいなくなることにどこか達観した自分がいた。心底冷徹な生き物だと思う。でもその冷徹に救われているのは確かだった。


「あ、茶葉がきれてる」


はちみつを塗ったパンをトースターに放り込んだあと、私は缶の入れ物を開ける。そう言えば昨日買いに行こうとしたけど、本がおもしろくて買いに行かなかったことを思い出した。ルーティーンとして朝の紅茶が染み付いた私には今すぐ出かける以外の選択肢は無かった。私は寝巻きから質素な外出用の服に着替えると、そそくさと鞄に財布と念の為の魔力のお守りを持って外に駆け出していく。


「それにしても暑いわ…日傘を持ってこればよかった…こんな天気じゃ吸血鬼も来ないでしょうね」


日差しに弱い吸血鬼は夏は滅多に活動しない。その分冬に大量に人を攫っていく。両親が攫われたのも11月の終わりだった。


「ついでに昨日の本の続編も買っていきましょ。500ページもあったのに一日で読み切ってしまったわ」


転移魔法の範囲である街の10キロ圏内に入るまではしばらく徒歩で近づかなければならない。その間は山道を花や果実を眺めながらひたすら下っていくしかない。転移魔法にはインターバルがあるが、たった5分なので歩いていくよりはよっぽどはやいのだが、そうでも無いと運動をすることも無いので転移魔法の使用は有事の時以外は片道1回だけと決めている。それでも30分もすれば圏内に入るから朝の散歩みたいなものだった。勿論山道なので相当険しくはあるけれど。


「ん?あれは…人間?」


少し先の木の影にもたれ掛かる人影がある。微妙に遠い上に木陰なので姿はよく見えないが、吸血鬼の特徴である翼は見えない。


「あの…大丈夫ですか?」


こんなところに普段人が立ち入ることもないので、迷い人かなにかなのだろうと近寄ってみる。このままさ迷われて私の家にたどり着かれるのも面倒だ。


「だ、大丈夫…そ、そのうち治る」


顔を上げると見た目は同い年くらいの女の子だった。顔がとても綺麗でどきっとしてしまうが、その様子は憔悴しきっていた。


「ぜ、全然大丈夫じゃないわよ!貴方、どうしたの?」

「わ、私は……………」


少女は言葉を詰まらせる。その間にも彼女が倒れてしまいそうで終始ハラハラしていた。


「事情はあとでいいわ!酷い痩せようだもの、とりあえず私の家に来て何か食べなさい!」


私は焦りから彼女を背負ってそのまま転移魔法を使い、家に戻る。使った後にしまった、と思ったが別に彼女の命に比べればどうでもよかった。私が魔導士であることの人間への口封じくらいなんとでもなる。


「ほら入って。ちょうどハニートーストを焼いていたの。ハニートーストは食べられるかしら?」

「……………」


彼女は驚いたような困ったような表情のまま固まり、動かなくなった。私はどうしていいのか分からないのでとりあえず皿にトーストを乗せて彼女の前に差し出した。


「……………」


彼女はそれを手に取り、口に運ぶ。


「これ、は」


小さく呟く。私は冷蔵庫から水を取り出すとコップに注ぎ、それも差し出す。


「パンじゃ喉が乾くでしょう。先にこれを渡すべきだったわね。たっぷり飲みなさいな」


彼女はそれも受け取ると、一気に飲み干す。


「不思議…」


また小さく呟く。だがその表情は初めての感覚におどろくような異質な反応だった。でも彼女はどちらもしっかりと完食した。


「おかわりはどう?」

「い、いえ。大丈夫、です…」


彼女は食べ終わったあとの明るい顔を下げて、また深く暗い顔で俯いた。


「このまま帰しても食事に困るでしょうししばらく泊めてもいいけれど…その前に事情を聞かせて欲しいわ」


私は先々と話を進めて、彼女が着いてこれていないことに気づき、反省する。もう長らく人と話していないせいか会話がマイペースになってしまっていたようだった。


「えっと、ごめんなさい。話したくないかもしれないけれど、でもどうしてこうなったか教えてくれないかしら…?理由次第では貴方を守ることもできるし、ここら辺でなにかに襲われたなら私にも危険になるし…」


私はしゃがみこんでいる彼女に合わせて、ゆっくりと話す。


「あ、あの…あ、あなた魔導士です、よね?」


なるほど、彼女は私が魔導士であることに怯えていたのか。1人で心の中で納得がいった。


「そうね。でも決して悪いことはしないわ。魔法だって街にいくのに転移魔法を使ったり家事に浮遊魔法とかを使ったりするくらいよ。それに誰かを傷つける理由もないわ。例え吸血鬼であってもね」


その言葉に彼女はぴくりと反応する。大きく目を見開いて初めて彼女としっかりと見つめ合う。その瞳の美しさに吸い込まれてしまいそうだった。


「吸血鬼でも、ですか…?」


不思議な感覚だったが、嘘は言っていない。何を考えているのかは分からないが、それに関して自然と答える。


「まぁ勿論連れていくと言うのなら抵抗はするけれど、何もしない吸血鬼には攻撃なんかしないわ。むしろ仲良くなれるのならなりたいものよ」


彼女はよくわからない表情をしているが、その顔は確実に期待に満ちたものだった。何度も向けられたあの期待の目とは違う、純粋な目。私はどうしてか彼女に強く惹かれてしまう。


「そう。昨日読んだ本にも吸血鬼が出てきたの。美しい吸血鬼の女性と人間の男性。2人は恋に落ちるけれど、吸血鬼は血を飲まなくては生きていけない。そんな2人の恋愛物語。とっても素敵よ。吸血鬼にも吸血鬼の世界があって苦労があるんだわ。そんな全く違う世界の話を聞いてみたいもの」


彼女は再び俯く。そして少しした後にまた顔を上げる。その瞳は微かに濡れていた。でも震えている。握りこぶしがそれをさらに際立たせていたが、それにも構わず彼女は口を開く。


「わ、私、吸血鬼なんです。でも生まれつき翼もないし、両親が無くなって家を追い出されて、食料がなくて地上に降りてきたんですけど、そこで力尽きてしまって…」


私は思いもよらない告白に目を見開く。でも次の瞬間にはすぐに笑っていた。


「魔導士の血なら分けてあげるわ。1人分くらいなら命に差し障りはないでしょう?この家に泊めてあげるし追われたなら匿ってあげる。でもその代わり、あなたのお話を聞かせて?」


彼女も遂に涙を零しながら激しく首を縦に振る。


「それくらい、いくらでも!家事もできます。料理もできます。貴方に誠心誠意仕えます!だから、だからどうか、私に居場所をください!」


私は腕を差し出す。彼女は小さな口を開き、私の腕にしがみつく。随分ながく飲んでなかったのか思ったよりも血を吸われ、くらくらしたが、この程度ならなんて事ないと悟った。


「あ、吸いすぎてしまいましたか…?ごめんなさい…」

「それくらいこれから覚えればいいのよ。少しはお腹の足しになった?」

「はい!」


彼女の輝きに満ちた笑顔はとても美しい。私はその笑顔に強い安心感を覚える。


「じゃあこれからよろしくね。私はリリア。リリア・テイラー。あなたは?」

「私は、ヘレナです。よろしくお願いします!」


私は彼女の手を取って起き上がらせると、とりあえず風呂場へ向かった。


「ところで、トーストって吸血鬼にはどうなの?」

「普通の食べ物も食べますよ。必要ではないけど紅茶と同じ嗜好品のようなものです。ただ…」

「ただ?」

「あの丸焦げトーストはいかがとは思います」


焦っていて全く気にしていなかったがそう言えば適当に焼いて様子見ずに出ていったのだった。


「あ、えっと普段はあんなのじゃないんだけどね?ね?」

「…家事も料理もお任せ下さい!」

「そ、そんな顔で見ないで!私だってできるもの!」


こうして2人の不思議な共同生活が始まるのであった。

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