高血圧の日


 ~ 五月十七日(月) 高血圧の日 ~

 ※隠忍自重いんにんじちょう

  感情を出さずに堪えて

  表に出さない。




 先週、サッカーグラウンドに首だけ出した状態で埋められたせいで。


「あ。こんにちは、フリーキック先輩」


 いつも面倒をみてやってる後輩からも。

 現在、もっともホットなあだ名で呼ばれる体たらく。


「悪意もなく普通に呼ぶとこが怖いよな、お前」

「え? こめてましたけど、悪意」

「…………なお怖いわ」


 部活探検同好会の拗音トリオ。

 クールで物静かな、にゃ担当。


 二岡丹弥におかにやが。


 六時間目まで授業があった俺たちより先に。

 校庭隅の特訓場で練習していた。


「競技、三人四脚だったらよかったのにな」

「よかないです。私が一番足遅いんだから、迷惑かける」


 運動苦手な拗音トリオも。

 二人三脚に出場することになっているわけなんだが。


 こいつ、山道歩くのは得意なくせに。

 短距離は一番遅いらしい。


「にょーっ!! もいっかい!」

「にゅ!」


 そのせいかどうかはともかく。


 相方のにゅとにょが。

 俺たちに感化されて、真面目に特訓するのに対して。


 こいつはこうして距離を置く。


「補欠なんだし。ちゃんと練習しろよ」

「私は障害物リレーにも出るんだ。こっちは任せた」

「あいつらだって、それぞれ他の競技に出るんだろうが」

「借り物競争と逃げカゴ玉入れですが? 使うカロリーが違い過ぎる」


 消費カロリーなんて、大して変わらんだろう。

 そんなことは、にゃなら理解できてるはず。


 でも、なにかしら言い訳してでも自分が身を引いてるってことは。


「今のは良かったんじゃない!? 三歩も進めた!」

「にゅ!」


 どれだけ練習しても。

 スタート地点から五歩と進めず転ぶというのに諦めず、一生懸命練習する。


 そんな二人のために。

 我慢してるってことなのかな。


 

 暖かくなり始めた五月の空の下。

 余計なことを考えずに思い切り体を動かしたくなる、清々しい新緑の季節に。


 こうして一人、大人の優しさを見せながら心で泣いているであろう後輩を見ていると。


 なんとか元気づけてあげたくなる。


 ……そんなこと考えるようになったのも。

 あのお節介の影響かもな。



「来週から試験なんだから。ほどほどにするよう二人に言っとけ」

「水を差すような事言わせる気ですか?」

「……なるほど。じゃあ、俺から言っておくか」


 こいつはともかく。

 にゅとにょは、ほっとくと勉強とかしなさそう。


 どうして俺の身の回りには。

 学生の一番のタスクを知らねえやつばっかりなんだろ。


「あ! フリーキック先輩来てたんですか!?」

「にゅ!」

「お前ら二人も。その名前で俺を呼ぶんじゃねえ」

「ゆあは言ってないだろう」

「いや、絶対言ってたね」


 スタートラインに立ったまま。

 振り返って手を振る二人。


 俺は本気だからな。

 今度そのあだ名で呼んだら容赦しねえ。


「そうだ。お前ら、朝練もやってるんだよな?」

「はい! 根性先輩さんと根性先輩ちゃんにすっかり洗脳されたんで!」

「にゅ!」

「もう、テスト一週間前だから。明日からはやめとけ」

「え~!?」

「にゅ~!?」

「いや、ここはフリーキック先輩の言うこと聞いておこう。それに、私低血圧で朝弱いから結構助かる」

「へえ! にや、低血圧なんだ! ぼく、高血圧!!」

「にゅ!?」

「ホントに?」


 え?

 なにそれ?


 凍り付いた俺たちを前に。

 にょは、随分平然としてるけど。


 ……いや。

 こいつのことだから……。


「お前、高血圧の意味知ってるか?」

「あれ? 朝から元気な人のこと言うんじゃないの?」

「ちげ」


 やっぱそうかこの人騒がせ子ちゃんは。

 びっくりしたわ。


「じゃあ、にょはちょっと血圧の勉強だ。にゃと交代」

「えーっ!? ぼく、まだ練習したいんだけど……」

「ああ、先輩の言うこと聞かなくていいから。納得いくまで二人で練習しな?」


 にゃは、そう言うが。

 俺も引く訳にはいかねえよ。


 さっきから、鼻についてしょうがねえからな。


 うっすら筋肉痛用のスプレーの香りさせて。

 陰でこっそり自主練してるであろうお前に。


 平等にチャンス与えてやらねえと。


「じゃあ、もうちょっとしたら交代ね!」

「いや、今すぐにだな……」

「そうしよう。形になって来てるから、今は続けて」


 おいおい。

 それじゃ、せっかくの努力が無駄になっちまうぞ?


 でも、俺の手じゃこんな盤面覆せねえ。


 こんな時は。

 突拍子もない発想が必要なんだが…………?


「お。噂をすれば影」

「え……? 何の話……?」


 まさに主人公タイミング。

 この場を丸く治めるためにやって来たとしか思えないこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 俺の表情と。

 にゃの様子。


 それを見ただけで把握するとか。

 とんだ悲しさレーダー搭載機だな。


「丹弥ちゃん、ふたりと練習したいんでしょ?」

「いや、私は……。それより舞浜先輩のかっこ、なに?」


 今更目を逸らしたところで無駄。


 残念だが。

 寂しいとか悲しいとか。


 そう言った感情を、こいつに隠し通せるはずはない。


「ねえ、珠里しゅりちゃん、ゆあちゃん」

「うげ……。舞浜先輩、さすがに今日のはどうかと思う……」

「にゅ……」

「あのね? あたし、仲間になりたいから……。どっちかは、あたしと練習しよ?」


 秋乃がどっちかとペアを組んだら。

 必然的に、にゃが余った方と練習できる。


 こいつの提案は。

 一見、すべてを解決するように思えるんだが。


「いやいや無理無理無理無理!!」

「にゅーーーー!!!」


 スタート地点で何度も転んでいた二人が。

 息もピッタリ、一目散に逃げて行った。


「なんという逆効果」


 台無しにしやがって。

 とは言え、こいつに頼ったのは俺か。


 上手い言葉でにゃを元気づけてやりてえところだが。

 なんて言ったらいいんだ?


 ……でも、俺が頭をフル回転させて。

 いくつか善後策を考えてる間に。


 秋乃は、なにも考え無しに。

 こいつが一番欲しい、ストレートな言葉をかけてあげていた。


「じゃあ、あたしと練習しよ?」

「…………しょ、しょうがないな」


 秋乃が延ばした手に導かれて。

 素直にスタートラインに立つ、にゃ。



 やっぱ。

 秋乃にはかなわねえな。



 そして、想いを一つにした二人の背中を見て。

 俺は、一つのことに気付かされた。


 こういう事なのかもな。

 二人三脚って。



 秋乃ときけ子も。

 お互いに信頼し合って。


 同じ思いで走れば、連日の無様な姿をさらすようなことはないんじゃないのか?


 多分、二人はまだ。

 同じ思いって訳じゃない。


 きけ子のやつ。

 口酸っぱく言ってるからな。


 自分を信頼しろって。


 多分、自分より足の遅いきけ子を気遣って。

 秋乃が下手に調整するから転んじまうんだろう。


 ……同じ思い。

 例えば、にゅとにょが揃って秋乃から逃げたいと思ったら、見事に息が合ったように。


 今のこいつらなら。

 二人で仲良く、全力で走りたいと同じ思いを持ったこいつらなら。


「ペースは絶対に合わせる。信頼してくれていいから……、ね?」

「う……、うん」


 照れくさそうに微笑む、にゃ。

 優しく頷いた秋乃。


 この二人なら。

 きっとうまくいく。



 ……そんな俺の想いが。

 彼女たちの背中を押すと。


 二人仲良く、声を合わせて。

 晴れやかな笑顔で、同時に力強く大地を蹴って。




 逆の足を出したから盛大に顔面から地球へダイブ。




「うはははははははははははは!!!」




 まあ。

 そううまくはいかないか。




「舞浜先輩! どさくさに紛れて抱き着かないで下さい!」

「ス、スキンシップ……」

「いやだ離れろ!!!」

「仲間になりたいから……、ね?」

「私は御免だ!!!」


 そうだよな。


 お前はただ。

 仲間を増やしたいだけなんだよな。


 結果として、空回りに終わったが。

 秋乃の願いは、こいつに伝わってるはずだ。


「……でも。それが正しい意味で伝わってるとは限らない」



 だって、今日の秋乃のなりたい自分。

 プロに頼んでメイクしてもらった。



 ゾンビだったりするからな。



「な、仲間になろう……?」

「いーやーだーーーーー!!!」

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