さよならまでの距離
坂月司
プロローグ・さよならの距離
「五年生にもなって、お別れのひとつでぴーぴー泣くんじゃねーよ」
と、めんどくさくなって俺は言う。しかし雫はぶんぶんと首を横に振った。
「いやだよっ! もっと一緒に遊びたいよ!」
頑固なのは生まれた瞬間から変わらない。ひとつひとつを大事にする素振りで、ひとつひとつにしがみつく。雫が可愛い理由であり、雫の悪癖でもある特性。その特性に困り果て苦笑してみせたのは、雫の正面に立ち、現在雫を泣かせている張本人である、
律は雫とは違う小学校に通っていたが、家が近かったため、出会ってからはしょっちゅう一緒に遊んでいた。雫と同い年でありながら随分しっかりしていたので、雫の保護者として雫を見守っていた俺は、もう二人結婚してくれりゃいいのに、と思っていた。立ち居振る舞いも中性的な顔立ちも、ずいぶんと女ウケしそうなのだ、律は。
そんな律が、遠くの小学校へ転校する事になった。理由は両親の離婚がどうとか。引き取り手である父方の母方の実家へ戻る事になって、この地域には居られなくなったとか。小難しい話だが、まぁ、多分、こともなげに言うのだから、きっと、大した事ではないのだ。
けれど、大した事が無かろうと、別れは別れ。聞いた話では県をいくつか跨ぐ必要がある、俺にとっても、雫にとっても、その距離は、今生の別れと言うに不相応しい距離だった。
「泣き止んではくれないか。最後に、雫の笑顔を見たかったのだけれど」
と、律はいやほんとマジであらゆる漫画ジャンルで主人公を張れそうなレベルのイケメンな発言をしていた。少女漫画でも少年漫画でも18禁漫画でも活躍出来そうだな、こいつ。
「仕方ないな。雫は弱いから」
溜息をひとつ吐いて、律はズボンのポケットに手を入れた。多分、そこに何か大切な物が入っているのだ。それを取り出しながら、律は続けた。
「だから、ぼくの代わりを置いていこう」
その言葉と共に取り出されたのは、木彫りのネックレスだった。オシャレとは言い難い、それこそガチャポンのキーホルダーみたいな首輪に、木製の、よくわからない彫像が施されたネックレス。きっと律の手作りだ。そう思わせてくれる程度には不格好なそれは、だからこそ、律の思いを真っ直ぐに伝えてくる。すなわち『これを自分だと思ってくれ』ってやつだ。小学生のくせに、これじゃハリウッドですら主役を張れる。
けれど、律のそんなカッコよさなど微塵も効果は無い、雫はひたすらに泣いて、泣いて、それ以外に表現が出来ないほど、ただ、泣いていた。
それでも辛うじてそのネックレスを受け取った雫の手は、かじかんでいるのか、ひどく赤かった。いや、ああ、うん、そうか、多分、今まで強く硬く握り過ぎていたせいで、血が止まっていたせいか。なにせ今は6月。うすら寒いせいで忘れていたが、そうか、かじかむなんてありえないほど、今は、温かいのか。
「その可愛いヘアピン、お兄さんからのプレゼントなんだっけ?」
と、律が聞いた。可愛い、と律は言うが、なんてことは無い、本当に何もない、ただピンクの塗装がされているだけの質素なヘアピンだ。しかし、その簡単な問いに、ようやく雫は答えた。
「……うん」
小さく頷く小さな頭。その小さな声が律に届いたかは定かでは無い。しかし、律はその返答に、どこか満足気に頷いた。
「本当はぼくがしなければいけなかったのかもしれないけれど、ぼくに¥にはもう時間が無い。雫と一緒には居られない。だから、お兄さん。僕の代わりに、雫を強くしてあげて欲しい。この子を、見守ってほしい」
少しの沈黙。本当に律小学校5年生なのか、もう一度年齢調査からやり直せと苦情を入れたくなる男前なその願いに、俺は答えた。
「わーってるよ」
律の視線もこちらへは向かず、雫だけを見つめ続ける。
そしても、雫だけを見続けながら言った。
「任せろ」
そして、風が木々を揺らす音と、雫が泣きじゃくる音だけが響いた。
他に子供も人気も無い公園で、雫と律は二人で向き合いながら、しかし。
「さよなら」
そう告げたのは、律だけだった。雫は終始、何も言えずにいた。
これが今生の別れではないからと、心のどこかで甘えていたのかもしれない。遠い場所で生活する事になってしまったけれど、どうせいずれ会えると。いや、万一会えなくとも、SNS全盛の今、やりとりは容易だ。現に律は、自身が親から渡された携帯電話の電話番号を雫に渡した。あとは、雫は家の電話を使うか、雫が自分の携帯電話を持てば、やりとりなんていつでも出来る。この時代、別れなど別れではないのだ。
距離など、さよならに足る要素では無い。
だからだろう、いや、雫がどこまで考えていたかは知らないが、ともかく、雫はさよならを言わなかった。言えなかった。別れたくないから。さよならをしたくないから。
だが、真実は時に、必要以上に残酷だ。
その別れから約4年後。神辺律は交通事故で死んだ。
結局最後の最後まで、雫はさよならを言う事が出来なかった。律の身代わりのネックレスを何年も身に付けているから別れていないつもりなのか、なんいせよ小さな抵抗だ。
小さな雫の小さな別れに対する小さな抵抗というか、なんというか。
なんにせよ病的なまでに、愛野雫はさよならが言えない少女なのだ。
これは、そんな小さな少女が、さよならをするだけの、本当に、どこまでも小さな、小さな物語だ。
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