第25話 東雲の商人と夏祭りの準備 4

 向かったのは若利の屋敷だった。

 若利に少し待っていてくれと言われた独楽は、縁側に腰掛けてふう、と息を吐いて空を見上げている。

 茜色の空には、少しずつ夜の色が混ざっていた。昼と夜が交わる時間帯――――いわゆる逢魔時、という奴だ。

 逢魔時には不思議な事が起こると言われているが、独楽は今までそういったものに遭遇した事はなかった。そもそも自分自身がそういう存在であったからだ。


「…………」


 独楽は獣人である。獣人というものは、この継ぎ接ぎ世界において不安定な存在だった。

 獣人はその言葉の通り、人と獣が混ざり合った存在である。獣の姿も取れるし、人の姿も取れるし、その二つを合わせた姿も取る事が出来る。

 独楽も元の世界にいた頃は何という事はなく生活していた。だがこの継ぎ接ぎ世界になってからは違った。

 獣人は、獣の姿に近づくにつれて、理性のコントロールが難しくなってしまっていたのだ。


 人と獣が一つの体に入っているどっちつかずの状態が、継ぎ接ぎ世界の不安定さに影響を受けた、とも言われている。もちろん元の世界にいた頃も、完全に獣の姿になれば、そちらの本能が大きくなる事はあった。だがそれでも今よりもずっとコントロールが効いたのだ。

 だが継ぎ接ぎ世界になってから、長く獣の姿を取れば、理性をコントロールできるか自信はない。理性のタガを外し、ただの獣になってしまえば、行く着く先は魔獣と変わらない。そうなって、誰かを襲ってしまうかもしれない事が独楽はとても嫌だった。


 「…………神雷も便利なような、厄介なような」


 言いながら、独楽は前髪で隠した左目を手で押さえた。かつて妹を守ろうとして獣の姿を取、理性を失い暴れた時の傷で独楽の左目は潰れた。

 人も、作物も傷つけた。

 ただの獣や魔獣ならば見た瞬間に警戒していればそれで良い。だが人の姿を取れる獣人は、判別がつきにくい。いつ理性を失い暴れ出すか分からない、それゆえに、獣人はこの世界では厄介者扱いをされている。獣人とは畏怖の対象でもあるのだ。

 それを独楽は左目を失った時に身を持って理解した。


「何だかんだで黙ってしまっていますけれど、最初から話していたら違っていたんですかねぇ……。いっそ最初から獣だったらよかったのに」


 ぽつりと呟く。このイナカマチ区画ならば、意外と受け入れてくれるかもしれない。そんな期待を抱いた。

 だが独楽は最初の選択で『隠し通す』という事を選んだ。今までもずっとそれを選んできた独楽は、正体がバレるといつも『裏切り者』と言われた。若利に、イナカマチ区画の人々に、それを言われると、立ち直れないかもな、とふっと独楽は思ったのだ。


 独楽はイナカマチ区画の人々に怖がられる事が怖いのだ。笑顔の裏に怯えや嫌悪が混ざるのがたまらなく怖いのだ。それを先ほど子供達に慕われる天津の姿を見て思い出した。

 自覚して、独楽は目を伏せる。


「…………あれは、きつかった、からなぁ」

「何がきついのだ?」


 独楽が呟いた瞬間、突然頭の上から若利の声がした。


「うわあ!?」


 独楽はぎょっとして、思わず大声を上げた。若利はそれを見ると腕を組み、満足そうに頷く。


「うむ、良い驚きっぷりだな。俺も脅かし力が高まって来たというものだ」

「脅かし力って何ですか。あー、くそー、やられたー……」

「はっはっは」


 若利はからからと笑いながら、悔しげに睨む独楽の隣に座った。

 その笑顔を見ながら独楽はため息を吐くと、たっぷりと時間をかけて、口を開いた。


「…………あの、若様」

「何だ?」

「聞いてました?」

「何がだ?」


 バツの悪そうな顔で言う独楽に、若利は首を傾げる。その様子に、聞こえていなかったのかと独楽がほっとした次の瞬間、


「しかし、お前が獣になりたかったとは意外だ」


 などと、若利は言った。


「ほとんど全部聞いてるじゃないですか!」


 独楽が頭を抱えながら呻く。そんな独楽に向かって若利は桃の缶ジュースを差し出した。


「何に頭を抱えているのか良く分からんが、好きだろう、桃」

「……ありがとうございます」


 独楽は何とも言えない複雑な表情で缶ジュースを受け取る。桃のジュース自体は普通に嬉しいのだが、独楽の頭の中は独り言を聞かれた事で動揺していた。

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