第392話 水を貰っても良いですか? 胃薬タイムです

 翌日の水曜日の朝、茂は本部長室に呼ばれてやって来た。


「吉田さん、ビジネスコーディネーション部の芹江です」


「どうぞ。入って下さい」


「失礼します」


 ドアをノックして室内の志保本部長に許可を貰ってから茂は部屋の中に足を踏み入れた。


「呼び出してしまってすみません。昨日メールでいただいた件の確認と逢魔さんに案内する情報について相談したいので来てもらいました」


「そうでしたか。では、確認事項から先に話していただけますか?」


「わかりました。まず、明後日行われる座談会ですが私も参加できますか?」


「できるできないで答えるならできます。DMU本部で座談会が行われる以上、参加者もDMUの人間が会に参加することは予測していると思います。ただし、掲示板で本部長が参加するとは告げていないので不意打ちになりますね」


「なるほど。不意打ちになるのは申し訳ありませんが、取り扱う情報が情報なだけに私も参加します」


 志保がキリッとした表情で明後日の座談会に参加することを強調したことに対し、茂はそれにはもう一つ理由があると気づいてジト目を向けた。


「吉田さん、それだけじゃないですよね? リルが来ると思っているから参加したいんでしょう?」


「な、なんのことですか? 私はリル君のことなんて考えていませんよ?」


「それは私の目を見て言いましょう。視線を逸らしている時点で説得力皆無です」


「・・・リル君が可愛いから仕方ないんです」


 元ビジネスコーディネーション部長であり、それ以前の経歴も考えればポーカーフェイスはできておかしくない志保だけれど、リルの可愛さが志保の琴線に触れているせいでリル関連の話では表情のコントロールができていない。


 本部長がそれで良いのかとツッコみたくなる気持ちはあるかもしれないが、本当にリルの話以外では可愛い物の話をしても志保の表情は上手く誤魔化せている。


 やり手の志保もリルの可愛さには敵わないようだ。


 茂は志保にジト目を向けているものの、志保がテイマー系冒険者の座談会に参加することに反対するつもりはない。


 ”災厄”がわざと自ら従魔になって主人を魅了して自由に動けるようにする可能性がある以上、その危険性を軽視しないでほしいと志保が彼等に伝えることに意味があるからだ。


 テイマー界のトップである藍大の忠告に耳を傾けないテイマー系冒険者はいないだろうが、DMUも藍大に賛同することで事態の重要性を強調できる。


 それに加え、志保がDMUの本部長の地位を継いでから日が浅いので彼女の顔を売る意味もある。


 以上2点から茂は志保が座談会に参加した方が良いとさえ思っている。


「リルが可愛いのは同意しますが、どうか凛々しい姿に擬態していて下さい」


「擬態とは酷いじゃないですか」


「あくまで個人的な感想ですが、吉田さんが向付後狼さんと似た匂いがします」


「私はモフラーじゃありません! リル君が好きなだけです!」


「はい、落ち着きましょう」


 茂は机をバンと叩いて立ち上がる志保を見てジト目を継続する。


「オホン、失礼しました。私だって組織の長です。気持ちを引き締める時はちゃんと引き締められます」


「リルが藍大の膝の上でちょこんと座っていてもですか?」


「あれ可愛いですよね! 次は写真撮りたいです!」


「落ち着いて下さい」


 茂は明後日の座談会に志保が参加しても問題ないか不安になって来た。


 会議を行う場合、リルはほぼ間違いなく小さくなって藍大の膝の上に座る。


 昨日の掲示板の投稿中ですらそうだったため、その状態を生で見たら志保が暴走するのではと考えても不思議ではない。


 シャングリラに出向いて藍大に挨拶と謝罪をした時も、志保はリルが藍大の膝の上に乗った時にリルの頭を撫でたい衝動に駆られていた。


 前回のように謝罪する気持ちもないまま同じ場所にいれば、思わず志保の頬が緩むことだってあり得るだろう。


「度々すみません。とりあえず、私は最後に逢魔さんが注意喚起した話を念押しするだけで基本は聴講するつもりです。それなら構いませんよね?」


「問題ありません。他に明後日の座談会について確認事項はありますか?」


「ありません。次は逢魔さんに案内する情報について相談に乗って下さい」


「わかりました。国内と国外のどっちの話ですか?」


「主に国外の話です。大きく分けて2つあるのですが、1つ目は芹江さんが話してくれた推測の裏が取れました。C国のDMU職員が羽化の丸薬の横流しで逮捕され、木津芽衣にもそれを横流ししていたと自白したそうです。ゴルゴンさんの推理どおりでしたね」


 その話を聞いて茂はやっぱりゴルゴンの推理が当たっていたのかと心の中で苦笑した。


「それは藍大に伝えても問題ないですね。きっとゴルゴンさんが自分の推理通りだと喜ぶぐらいの反応に留まるでしょうが」


「ここまでならそうでしょうね」


「ここまでならということは何か面倒事が発生したんですか?」


「はい。C国のDMU本部長が売る方も悪いが買った方も悪いと難癖をつけており、C国から売り出された羽化の丸薬の半数の覚醒の丸薬を要求してます」


「正気ですか? それは横流ししたDMU職員が悪いでしょう。日本は真っ当な者なら羽化の丸薬を買おうとしないんですから」


 羽化の丸薬は一次覚醒する代わりに寿命が縮むため、一次覚醒していない日本の一般人はそれに手出しをしない。


 手を出したのは木津芽衣が転売目的で買った今回限りだ。


 本当に余計なことしかしないなと茂は既にこの世にはいない芽衣にイラっと来た。


「無論、既に私がきっぱりとそっちのミスをこっちのせいにするなと言って相手の要求は断りました。私が少しでも罪悪感を抱けばそこにつけ込まれますので、何もする義理はないという姿勢を貫きました。あちらも戦いになれば勝ち目はないとわかっていますから、口で勝てないとわかったらあっさり引き下がりましたが」


「それはお手柄ですね。藍大に吉田さんが外国にガツンと言えるとアピールできますから、これも一緒に伝えておきます。板垣総理と元本部長は国外からの要請に対して一部であっても応じていました。今のDMUは違うと理解してもらうにはぴったりの話だと思います」


「そう言ってもらえると頑張った甲斐がありますね。ただ、この話にはまだ少し続きがあるんです」


「続きですか?」


「はい。辞職された木津元ショップ統括部長が娘さんの悪事と死亡のダブルパンチで精神を病んで入院したとのことです」


「どうでも良いですね。それは伝えません。藍大も興味ないでしょうから」


「そうですか。私も最後の情報はどっちでも良いので話す話さないはお任せします」


 志保が話した木津元ショップ統括部長の話に藍大は興味ない。


 自分達に喧嘩を売って来た芽衣ですら記憶に残っていないのだから、直接関わりのないその父親なんてどうでも良いに決まっている。


 そう判断した茂に志保は任せると告げた。


「ありがとうございます。2つ目の話はどんなものでしょうか?」


「まだニュースで報道されてはおりませんので内密にして下さい。”大災厄”がいくつかの大国で確認されました」


「いくつかってことは少なくとも2国以上ですよね? 一体どこで現れたんですか?」


「確認ができているのはA国とC国、R国です。しかし、SK国やNK国のように既に地図から消えてしまった国もあるかもしれませんね」


「南北戦争に加担した国が自国の平定に遅れて”大災厄”の出現を阻止できなかった訳ですか。他の国も”大災厄”が出現した周辺の住民が皆殺しになっていた場合、確かに日本まで情報が伝わって来ないでしょうね」


「そういうことです。大国ですらなり振り構っていられなくなった今、”大災厄”を2体も倒した逢魔さん達に世界の注目が再び集まっています。板垣総理も現状で逢魔さん達を海外に派遣したら日本が危ないとわかっていますから、世界の国々から逢魔さん達を派遣してほしいと求められても断っています。ですが、全て断れるとも思っていません。現に私にどうすれば良いか意見を求めて来ています。やらかすのも時間の問題かもしれませんね」


「・・・覚醒の丸薬の輸出ですか」


 茂は志保の話を聞いて自分の中で板垣総理ならどんな答えを出すか予想して口にした。


 それに対して志保は頷いた。


「私も同感です。日本の戦力を国外派遣するのは国防の観点からあり得ません。実際、シトリーは旧SK国から飛来してきた訳ですしね。そうなると、芹江さんが予想した通り板垣総理なら覚醒の丸薬を輸出すると答えそうじゃないですか?」


「これは早急に藍大に相談する必要がありそうです。吉田さんからだと警戒される恐れがありますから私から連絡します。それと」


「それと?」


「水を貰っても良いですか? 胃薬タイムです」


「芹江さん、落ち着いて下さい。胃薬タイムなんてありません」


 茂の目が胃薬を飲まなきゃやってられないというものになり、志保が茂を落ち着かせるために千春を本部長室に呼んだのはそれからすぐのことだった。

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