第4話 後輩が挑戦的な件について
公園のベンチに横並びで腰かけ、500mlの炭酸飲料水を傾けながら明里と雑談に興じる。たいていは取り留めのない会話だった。最近はまっているものだったり、会社の不満だったり、自慢話や自虐ネタだったり。時にいつもみたくプロレスを挟みながら、近所迷惑であることも顧みず、ただひたすら駄弁っていた。それは気を張ってばかりの飲み会なんかより、ずっと楽しい時間だった。なんだか学生時代に戻ったような気分になっていた。
あっという間に時間が過ぎ、気づけば終電の時間まで残り30分を切っていた。名残惜しいが、ここいらが限界だろう。
「それにしても、せんぱい」
俺が腕時計に視線を落とした直後、明里は言った。
フランクな口調を装っているが、なんだか少しだけ空気が緊張したような気がした。
「もしかしてですけど、興奮してました?」
「なんの話だよ」
「居酒屋の時の話ですよ。あたしのセクシーランジェリーをみて、有頂天になってたんじゃないですか?」
驚いた。まさか彼女の方からその話題を蒸し返してくるとは。
でも、単純にプロレスを仕掛けてきているようにも見えたので、いつもの調子で言葉を返してやることにした。
「馬鹿言え。お前のお子様下着なんざ見て、大の大人が興奮するもんか」
「とかなんとかいって。席に座ったまま全く動こうとしなかったのは、立てない事情があったからなんじゃないですか?」
想定外すぎるひと言を浴びせられ、思考がフリーズした。
さすがにラインを越えたという意識が働いたのだろう、明里は咄嗟に俺から視線を逸らした。その頬がみるみる赤みを帯びていく。
不自然な間が生じたが、俺は気を取り直して、はっ、と吐き捨てるように笑った。
「思春期の高校生じゃあるまいし、そんなわけあるか」
ところがどっこい、彼女の指摘は正鵠を射ていた。
ずっとジョッキを傾けていたものだから尿意がすさまじく、だけど下半身も熱を帯びていたために起立することができず、興奮が収まるまで延々と般若心境を読む羽目になっていたのだ。
「だいたい、ブラ紐ごときでドギマギするなんて、先輩も子供ですね」
「だから、ドギマギなんかしてねえっての。それに子供なのは、お前の体格だろうが」
減らず口を叩く後輩に、内心の動揺をひた隠しにしながら、憎まれ口で応戦する。
俺はもう一度腕時計を確認して、ベンチから立ち上がった。
「帰るぞ。終電が出ちまう」
虚空に向かって放ち、先に歩を動かす。
数秒の間があったのち、背後から声が飛んできた。
「せんぱい」
俺は足を止めて、振り返る。
明里はまだベンチに腰を下ろしていた。視線の先は地面のどこか一点を捉えていた。
声をかけようとしたが、不意に異様な空気が漂っているのを感じて、口を噤んだ。
彼女はやがて顔を上げた。少しばかり緊迫した面持ちに見えた。
「もし、わざと見せてたって言ったら、どうします?」
つかの間、沈黙が下りる。
ふたつの微睡んだ瞳に射留められ、バクバクと心臓が高鳴った。
「嘘を言うな」
それが精一杯の抵抗だった。
しかし彼女は容赦なく畳みかけてくる。
「仮に本当だったとしたら?」
真剣な表情で訊いてくるが、よく見ると口元が微かに綻んでいた。
俺は肺に溜まっていた空気を目一杯、外に吐き出す。
いくら女性経験が無いとはいえ、さすがに気づく。どうやらおもちゃにされているらしい、と。
不快感や苛立ちのような感情は湧かなかった。だが、なけなしのプライドが刺激され、虚栄心が働いた。だから俺は真面目な顔をして、こう答えた。
「据え膳食わぬは男の恥と言うしな」
意趣返しのつもりだった。こちらが攻めの姿勢に転じたら、この後輩はどういう反応を示すのだろうという興味も少し。
でも彼女の反応は期待外れというか、随分と素っ気ないものだった。
「なにそれ」
呆れるように笑って、腰を浮かせる。歩き始めると、そのまま俺の横を素通りして、公園の出口に向かっていった。
今のプロレスはどっちの勝ちだろう?――そんな益体のないことを考えながら、俺は先を行く彼女の背中を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます