一学期
第1話 一目惚れをする
僕は、朝食を食べ終わった食器を台所で洗っている祖母の背中に声をかけた。
「おばあちゃん、行ってきます!」
「はい、はい、行ってらっしゃいね、マンジ。気をつけて行くんだよ」
祖母はくるりと振り返ると、いつもの優しい笑顔で送り出してくれた。
僕も笑顔で「うん」と答え、玄関の引き戸に手をかける。
僕は物心のついた頃から祖母と二人暮らしだ。
軍人だった父親は、僕が生まれる前に海を越えた大陸にあるシン帝国との戦争で亡くなった。
母親は僕を生んですぐにいなくなったそうだが、祖母はその話をしたがらないので、僕も詳しく聞いたことはない。
玄関を出ると、春の穏やかな陽だまりの中で、飼い猫のクロがポーチの上でのんびり丸くなっている。
この黒猫はかなりの歳で、僕が物心つく前に亡くなった祖父が可愛がっていたらしいが、ほとんど寝ている姿しか見たことがない。
祖父は異邦人の冒険者だったらしいが、詳しい話は知らない。
「学校に行ってくるよ、クロ!」
僕が声をかけると、クロは片目だけ開けてちらりと僕を見た。
それから静かにまた目を閉じた。
表に出た僕は思わず足取りが軽やかになり、いつの間にか走り出していた。
ああ、春の芽吹きの風が気持ちいい。
何気ないことに笑顔がこぼれてしまう僕は今、世界で一番の幸せ者かもしれない。
あの憧れだった、国内最難関のヤマト王国国立士官学園に入学できた。
本当は入試で落ちていたのに、欠員が出てまさかまさかの補欠合格だ。
ヤマト王国のシンボルである三本足のカラス『八咫烏』を背負った黒い制服を羽織り、春の柔らかな空気が頬を撫でる。
僕は息を切らしているが、気分は爽快で笑い出したくなった。
木造の長屋の角を曲がると、そこでは僕と同じ制服を着た少女がガラの悪い男たちに囲まれていた。
「……何か用ですか?」
「おお、怖! そんなに睨まないでよぉ?」
「そうそう。オレらは一緒に遊ぼうって言ってるだけじゃん?」
頭が悪そうに少女に付きまとっているのは、よく見ると中等学校時代の不良だった同級生たちだ。
高等学校には上げれず、近いうちに徴兵されるはずだが、それまでは無職で暇のようだ。
囲まれている少女はこちら側に背を向けているので表情は見えない。
きっと怖がっているはずだ。
「なぁ、黙ってないでさぁ、いいこと教えてやっから」
「へっへっへ。キレイな輝く目しちゃって、ガイジンと遊ぶなんて初めてだぜ」
と、少女の細い腕をつかもうと汚い手を伸ばし、不良たちは更に近づいた。
もう見てられない!
僕は少女を助けようと一歩踏み出そうとしたところだった。
しかし、すぐに信じられないことが起こった。
「がっ?」
「ふぇ?」
不良たちが突然間の抜けた声を漏らして、糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちたのだ。
その中心には、降臨した女神かのように絡まれていた少女が凛と立っていた。
さらりとした艶のある赤みがかった長い髪、透き通るような白い肌、宝石のように輝く白金の瞳、細身でしなやかそうな体つき、まるで絵画のように現実離れをした美少女だった。
彼女は握っていた拳を緩め、無表情のまま一瞥することもなく、僕の横を通り過ぎていった。
彼女のほのかな柔らかい香りに、僕の脳髄は一気にとろけてしまった。
僕は今の彼女が現実に存在しているのかわからず、雷が落ちたかのように全身に衝撃が走り、膝をついて天を仰いだ。
「おい、マンジ、大丈夫か!」
呆然としたままの僕に駆け寄ってきたのは、幼馴染のタツマだった。
生粋のヤマト人であるタツマは、黒いくせっ毛のお調子者だが嫌味のない男だ。
「きゃあ、大変! 陰陽五行・
タツマと一緒に駆け寄ってきた小柄のサヨも僕の幼馴染だ。
ボブカットの黒髪のよく似合うヤマト撫子の美少女でもある。
ちょっと天然なところもあり、僕が怪我でもしているのかと思い込み回復魔法をかけていた。
「サ、サヨ。マンジのやつ、動かないぞ。や、ヤバイんじゃないのか?」
タツマは青い顔をして、僕の顔を覗き込んでいる。
僕は「大丈夫」と答えた。
二人の幼馴染は、ほっと一安心したようだ。
「ああ、びっくりしたぜ!」
「うん、ありがとう、タツマ、サヨちゃん。……僕、女神様に出会ったよ」
「や、やっぱりダメだわ! マンジ、まだ天国に行くには早いわ!」
「お、おう! 春だからって頭のネジが飛んじまったのか!」
僕は見当違いの心配する二人に何があったのかを、ふわふわとした説明をした。
「マジかよ、こいつら! いつまで経っても、やることは暇なクソだな!」
「本当、最低ね! さっさと徴兵されてしまえばいいんだわ!」
タツマとサヨは、地面に転がっている不良たちに悪態をついた。
僕はこの二人の親友のおかげで少し現実に戻ってきた。
「でも、また二人と一緒で嬉しいよ!」
「ああ、俺もだ! まさか補欠合格出来たなんて、マンジは運がいいぜ!」
「うん! また三人一緒だね!」
僕は三人で一緒に入学できる喜びを噛み締めた。
僕たちはいつも通り三人で学校まで歩いた。
でも、僕はまだ胸の高鳴りが抑えきれていなかった。
そうだ。
僕は人生を変えるほどの一目惚れをしたのだ。
これが僕と彼女ミカエラ・ナイトレイとの出会い、平凡なまま終わるはずだった僕を大きく変えることになる学園生活の始まりだった。
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