奈落の守り人

出っぱなし

プロローグ

 初めは何も無かった。


 この虚無には『創造神』によって天と地が創られた。

 そして、さらに光と闇が創られると、何時しか生命に溢れる世界になった。


 創造神は、その様を見ると大いに喜んだ。


 時が流れると、人という種が現れ、創造神は自分に似た種族の誕生に祝福を与えた。

 創造神の祝福を与えられた人々は、世界中に文明を築き、発展していった。


 さらに時が流れると、異世界から人に似たがやってきた。

 やってきたは人々の世界に得体のしれない大きな変化を起こした。

 人々は創造神への信仰が薄れ、を崇め讃えたが、は巧妙に人々を支配し、我が物顔でこの世界に君臨するまでになった。

 だが、の促した変化によって世界のバランスは乱され、やがて崩壊した。


 創造神は再び世界を創り直した。


 しかしながら、異世界から次々と人に似たは現れ、その度に世界は混沌に包まれた。

 何時しか、は『異世界の悪魔』と呼ばれるようになった。

 そして、創造神は世界を守るため異世界の悪魔達を迎え撃った。


 しかし、とうとう『最悪の悪魔』と呼ばれる史上最凶の異世界の悪魔との戦いで力尽き、最後の力を振り絞って最悪の悪魔を『奈落』に封印した。

 そして、創造神はお隠れになった。


 その後、創造神の守護を失った人々は、異世界から次々とやってくる異世界の悪魔達と自ら戦う決意を固めた。

 異世界の悪魔を滅する使命を帯びた一族は『奈落の守り人』と呼ばれるようになった。

 そうして残された人々は、創造神が再臨された時に喜んでもらうため、より良い世界にすることを誓った。


 その世界が、現在のこの世界である。


☆☆☆


「おとさんがまた同じ本読んでるぅ!」

「ぐふぅ!?」


 長い赤みがかった髪、白金の瞳の幼児は、ソファーに寝っ転がって本を読んでいた父親の腹の上に飛び乗った。

 父親は突然の衝撃に驚き、読んでいた本を床に落とした。


「ごふごふ。……カイン、行儀が悪いぞ。それに、父さんが読んでいるのはただの本ではない、聖書だ」


 父親は咳き込みながら聖書を拾い、全く悪びれる様子のないカインを注意しているが怒っている気配はなく、穏やかな口調だった。

 カインは何のことか分からず、首を傾げた。


「聖書?」

「えー!? おにいちゃん、聖書も知らないの?」

「何だよ、アベル! 生意気だぞ!」


 カインは一歳年下の弟のアベルの頭をポカと殴った。

 アベルは大げさに泣き出した。


「うぇーん! おにいちゃんが殴ったよ!」

「こら、カイン。弟をいじめてはダメだぞ」

「だって、アベルが生意気なんだもん」


 父親はため息をつきながら、聖書をテーブルの上に置き、泣いているアベルの頭をなでた。

 カインは口をとがらせながらそっぽを向いている。


「もう、カイン。お父さんの言うことをちゃんと聞きなさい。弟をいじめてはダメよ。それに、アベルもお兄ちゃんをバカにしてはいけません」


 すやすやと穏やかに眠っている赤ん坊を胸に抱いた母親が部屋に戻ってきた。

 カインとアベルは母親の言うことはよく聞いて、素直にお互いに謝った。

 その様子を見て、父親は母親の強さに苦笑いをするだけだった。


 母親が赤ん坊をベッドに寝かすと、カインとアベルは笑顔で駆け寄っていった。


「えへへ、やっぱりセツは可愛いなあ」

「うん、そうだね、おにいちゃん」


 穏やかに眠っている一番下の妹を見て、幼い兄弟はお互いに笑い合った。


「ボクはおにいちゃんだから、ずっとセツを守ってあげるよ」

「えー? ボクは守ってくれないの、おにいちゃん?」

「あったりまえだよ。男が守るのは女の子だけだよ。ね、おとさん?」

「まあ! あなたはカインに何を教えているのかしら? とんだプレイボーイになりそうね」


 母親が冷たい半目で父親の方を見ると、目を泳がせて頭をかいている。

 父親は威厳を出そうとわざとらしく大きな咳払いをした。


「う、うん、カイン。男が女の子を守るのは当たり前のことだ。だが、お前は将来、奈落の守り人の長になるのだ。生まれながらのその白金の瞳は、奈落の守り人の証なのだ。奈落の守り人とは世界を異世界の悪魔から守る誇り高き戦士、だからお前が守るのはこの世界だぞ」

「うーん? ……わかった! ボクは異世界の悪魔から世界中の女の子を守るんだ!」

「あ、アハハ」


 目をまばゆく輝かせたカインに、父親は笑ってごまかすしかなかった。

 そして、母親の視線はますます冷たくなるばかりだった。


☆☆☆


 俺は目が覚めると異常に喉が乾いていた。

 吐き気はするし、頭もクラクラする。

 どうやら完全に二日酔いのようだ。


 ベッドの傍らには、馴染みの酒場の女主人ルイーダが寝息を立てている。

 このまだ年若い未亡人の青みがかった長い髪が俺の顔の上にかかり、華やかな香りが鼻をくすぐる。


「ちっ! 今更、ガキの頃の夢を見るとはな」


 俺は舌打ちをすると二度寝に入ろうとした。

 しかし、階下の玄関ドアを乱暴にノックする音で叩き起こされた。


「ああ、クソ! おい、リー! 朝っぱらからうるせえぞ!」


 俺は窓から顔を出し、この頭に響く騒音を出す若白髪の小男に怒鳴った。

 だが、リーは負けじと俺に怒鳴り返してきた。


「何をおっしゃいます! 早朝に起こしに来いとおっしゃったのは、カイン隊長でしょうが!」

「ああん!? ……俺は病気だから今日は休む!」

「何が病気ですか! どうせ、ただの二日酔いでしょうが! ただでさえ軍団長に嫌われているのに、任務をサボるわけにはいかないでしょう!」

「ああ、うるせえな! ……ったく、わかったよ! 行ってやるから、もう静かにしろ!」


 俺は窓を勢いよく閉めて、昨夜脱ぎ散らかしたヤマト王国兵団の制服を雑に着ていった。


「……んん。カイン様、もうお出掛けですか?」


 ルイーダはリーのバカでかい声で起こされ、寝ぼけ眼をこすっている。

 俺は最後に特殊部隊隊長のマントを羽織ると、ため息をついた。


「ああ、しょうがねえからな。ったく、リーのやつ、副長のくせに俺の女房かってぐらいうるせえぜ」

「うふふ、さすがの『剣神』カイン様もリーさんには敵いませんね」


 俺は、また店に顔を出す、と言ってルイーダの頬に口づけをした。

 そして、階下で待つリーと共に兵団庁舎に出掛けた。


 二日後、軍団長から司令を受けた俺は、世界最大の武力国家、シン帝国の侵攻に抵抗する小国との紛争地帯に特殊部隊を率いて出陣した。

 そして、転移魔法で援軍の要請を受けた小国にやってきた。


 しかし、時すでに遅く小国は完全に帝国に制圧された後だった。

 煉瓦造りの家は破壊され、瓦礫の山がそこら中に散乱している。

 帝国軍の兵士は我が物顔でこの地を闊歩し、この地の住民たちは怯えた目をしている。


「……隊長、どうやら遅すぎたようです」

「ああ、そのようだな。もう俺たちに出来ることはない。あとは、政治の出番だ。帰るぞ」


 意気消沈した俺達は、転移魔法陣のある場所まで帰ろうとした。

 しかし、何か異変が起きているようだった。

 帝国軍の兵士たちは慌てふためいて部隊を編成しているようだった。


「……何かあったようだな?」

「ええ、そのようですね。……いかが致します、隊長?」

「どうするかな? このまま手ぶらで帰ったら、ハゲ団長に嫌味を言われるだろうな?」

「おそらく、そうなりますね」

「……じゃあ、行くか!」


 俺たちは隠密魔法で姿も気配も消して、帝国軍を尾行した。

 

 町外れにやってくると、小屋のように小さい一軒の家が建っていた。

 その家の周囲には黒い甲冑姿の帝国兵が死屍累々と転がり、戦闘を今でも繰り広げている。


 帝国兵に対抗しているのはたった一人の女性で、刃こぼれのしたショートソードを振りながら全身キズだらけで鮮血を撒き散らし、体中に矢が刺さっていた。


「……これは、もうダメそうですね。……た、隊長?」

「うぉおおおお!」 


 俺はその女性が視界に入った瞬間には動き出していた。

 だが、時すでに遅かった。

 その女性の腹には帝国兵の槍が突き刺さっていた。


 気がつくと、この場にいた全ての帝国兵を斬り捨て、血まみれで倒れた女性を抱き抱えていた。

 俺と同じ、赤みがかった髪で白金の瞳、この女性を俺はよく知っている。


「……カイン、兄さん? あ、はは。最期に、いい夢、ですね」

「喋るな、セツ! 俺はここにいる! すぐに助けてやる! ……おい! 何を突っ立っている、フローレンス! 早く回復魔法をかけろ!」


 俺は部下のドクター・フローレンスに怒鳴り散らした。

 しかし、セツは俺の顔に血まみれの手をやって、小さく首を振った。


「もう、いいです、兄さん。私は、もう、ダメです。 ……私は、カイン、兄さんの、ことを、許します」

「セツ、俺は、俺は……」


 俺は頬を涙が流れるのを感じた。

 膝をついて、セツの手を握りしめ、声が出ずに体を振るわせていた。


「最期の、お願い、です。家の中にいる、あの子を、お願い、しま、す……」

「セツーーーー!」


 セツが事切れると、俺は天を仰ぎ子供のように泣きじゃくった。


 俺は気の済むまで泣き、部下たちは何も言わず静かに待っていた。

 そして、俺はセツの亡骸をその場において、家の中に入っていった。


 家の中にも、首を失ったり、ハラワタを撒き散らした帝国兵の残骸が転がっていた。

 その惨劇の中で生あるのは、『奈落の守り人』の一族の証である白金の瞳を持つ、セツによく似ている少女だけだった。


 呆然と座り込んでいる少女の前には、白衣を着た男の死体が転がっていた。

 俺はこの男に見覚えがあった。


 かつて、まだ幼かったセツを預けた医者によく似ている。

 おそらく、あの医者の息子とセツは結婚したのだろう。

 俺が目の前に立っても、少女は何の反応も見せなかった。


「俺が君をずっと守ってやる!」


 俺は少女を抱きしめ、果たせなかった誓いを今度こそ果たすため、最愛の妹の忘れ形見に誓った。

 

 この三年後、物語が始まる。

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