誰かいる。

柊さんかく

あの日の悲劇

 私たちは、登山が趣味で毎年10月10日にある山を登ることを決めている。

 

 大学で仲良くなった女子だけのメンバー。卒業してからも当たり前のように関係は続き、気がつけば卒業してから10年が経とうとしている。


 山中翔子(やまなかしょうこ)は、このメンバーの中で一番美人な存在である。大学時代は学部の中でも一番優秀だったし、その上性格も控えめで誰かを立たせることに徹する。才色兼備とは彼女のために存在するのでは、と思わされるくらいだった。私はいつも彼女が目標だった。


 町田愛美(まちだまなみ)は、いわゆる体育会系というべきだろうか。大学時代までバスケットボール部に所属しており、学生時代は部活を優先するためこの女子会に参加できないこともしばしば。ショートヘアーの彼女は「男っぽい見た目」とはギャップのある何とも大人しい可愛らしい女の子でもある。だから、最初に部活をやっていると聞いた時には信じられなかったぐらいだ。運動神経が良い、早々に運動部を諦めた私には手が届かない存在だ。


 安藤さなみ(あんどうさなみ)は、体育会系の愛美に比べると文科系だろうか。読書が好きで特にミステリーには精通している。前に、彼女の家で女子会をしていた時、オススメの本を聞いたら目を輝かせながら次々に小説やミステリー映画を紹介する彼女の勢いに圧倒されたのを今でも覚えている。この趣味は私にとって、みんなを驚かせたり楽しませるためのエンターテインメントなんだ。そんなことをよく言っていた。


 海堂保奈美(かいどうほなみ)は、私のこと。私はと言うと・・・何もない。他のメンバーからはリーダー的な存在で何かと頼りにされて来た。何かを決める時には最終的に私の意見で決めることも多い。何もないからこそ、まとめ役として自分の存在を証明したかったのかもしれない。そんなの誰でもできる。勉強も運動も普通で、目立った趣味や人を笑わせることもできない。それが私。


 そんな4人が今年もこの山に集合した。

 ここは、空真山(からまやま)。登山レベルとしては中級ぐらいだろうか。登山にある程度慣れた人間でないと登るのは困難かもしれない。傾斜や距離などはそれほどではないのだが、天候の荒れ方が異常なのだ。急に嵐に見舞われることもしばしばで、毎年救助車やヘリコプターも飛んでいるほどである。


「久しぶり!1年ぶりだね!」

 私は集まった3人に全力の笑顔を振りまいた。全員が集まって最初の一言目を発するのは私の役目と決まっているらしい。

「私たちも30歳超えちゃってるからねぇ。会社では中堅扱いになるから、若さを感じられるのはこのメンバーだけなんだよね。」

 愛美は、都内の大手損保会社で営業職をしている。会社自体にも体育会系の気質があるせいか、上下関係や年齢に関しても厳しい職場と聞いたことがある気がする。

「愛美って、毎年歳のこと言い出すよね。今日は学生に戻ったということで実年齢はオフレコで!」

 愛美の発言に真っ先に反応したのは、さなみである。さなみは童顔なせいもあってか20代前半と言われても納得してしまうほど幼い容姿をしている。それは彼女にとってはコンプレックスの一面もあるようだが。

「そうだね、そだね。帰って来たらホテルで乾杯だからね。それまでは色々と忘れてはしゃいじゃいましょう!」

 翔子は、見た目もスペックもレベルが高いのに誰よりも酒豪でお酒を愛している。この登山はいわば0次会のような位置付けで、下山したらホテルで乾杯すると決めているのだ。彼女は1年間で一番楽しい時間がその乾杯の時間だと言ってくれている。


 この歳にもなってくると、会社でも休みの融通などが利かせられるようになってくるため、平日でも休日でも関係なく毎年決まった日に連休を取り、この一大イベントのために集合することができるのだ。

 4人は慣れた手つきで、山の麓にあるペンションで手続きを行う。書類の記入や、各々の装備の確認や、新しく買った可愛い装備の自慢など久しぶりのメンバーとは思えないほど仲良しの楽しい4人組に見えていることだろう。

「翔子のカバン、なんか色々入っていそうだね。まさかお酒なんて持って来てないでしょうね。」

 愛美に声をかけられた翔子は一瞬緊張した様子を見せた。昔、最初にこの山に挑戦しようとした時にリュックの中にウォッカが入っていてたことは、今となってもいじられる対象なのだ。

「え、そんなわけないじゃん!楽しみは取っておかないとね。コバ、あ・・・、さなみは逆にリュックが小さすぎない?大丈夫?」

「大丈夫。体力があまりないから必要最低限のものを選んできたんだ!厳選するのに数日かかっちゃった。」

 こんな会話も慣れているからこそなのだろう。天気予報では荒天になる可能性も示唆されていたが、問題なく晴天で迎えることができてラッキーだった。

「じゃあ行きますか。楽しい登山の時間がスタートだね!」

 先頭を切ったのは愛美である。天真爛漫な一面もありどこか抜けている部分もある。彼女の雰囲気にほのぼのしながら、彼女を私が落ち着かせるのも恒例である。

「もう、急ぎすぎて転んだりしないでよね!」

 私の一言に他の2人も高らかに笑い出した。

 一年前も同じように彼女が急に走り出したと思ったらその場で足を滑らせて転んでしまったのだ。

「もう。1年経ったのに忘れてよ!」

 こうして始まった今年の通称登山部。楽しさと悲しみが入り混じった部活動である。


 私はこのメンバーが好きである。当時何でこのメンツが意気投合かは全く覚えていないけれど、同じ学部ということもあっていつの間にか一緒にいることが多くなった。

 可能な限り同じ授業を取るように相談したし、晴れた日にはキャンパスの丘でみんなでお弁当を食べたりもした。本当に青春を感じる4年間だった。

 私が言うのも何だが、全員ルックスも世間の平均以上なのだ。周りからの羨望のような目線も感じていたし、それが私に取っての誇りでもあった。恋愛や授業の単位、就職先、卒業旅行、どんな話をする時にもこのメンバー全員が一緒だった。


 そんな仲良しメンバーがなぜ登山かと言うと、卒業旅行がきっかけだった。オーストラリアを1週間周りながら様々なアクティビティをして満喫してきた。

 マリンスポーツも楽しかったが、なぜか惹かれたのが「登山」であった。

 当時は、初心者として軽い運動のつもりで登ったが、山頂からの景色に感動したのだ。あの景色は今でも忘れないし、私の職場のデスクにもその写真を飾っているぐらいだ。山頂では、学生らしくみんなで写真も撮った。みんなでピースをつなげて星マークを作ったりもした。

 思い出はたくさん作れたが、私に取っては山頂からの景色が一番の思い出なのだ。

 

 それから全員が社会人となり一般企業に就職をする。最初はスケジュールを合わせることも大変だったが、いつしか日にちも10月10日と固定になった。

 社会人1年目に「何をするか?」という議題で話し合う時に、私は恐る恐る「登山は?」と言い出したことも記憶に残っている。

 否定されるかも、と思ったがそんなこともなく全員が賛同してくれた。嬉しかった。向上心の高いメンバーだったこともあり、少しずつ登山レベルを上げていき、いつしか長野県のこの中級者向けの空真山に落ち着いたのだ。


「さなみ、大丈夫?」

 私は横からさなみの顔を覗き込むと、さなみは驚いた様子でこちらを見返した。

「まだ全然大丈夫だよ!ちゃんとこの日のためにジムに通っているんだから。」

 体力的に大丈夫かな、と思っていたがその不安はいらなかったようだ。

 さなみは見た目通り文科系の容姿だが誰よりも強い芯を持っている人間だ。きっと、妹に負けたくない、というコンプレックスからなのだろう。同じように誰かに劣等感を持っているということで、私はさなみのことが一番身近に感じられていた。 

 それからも楽しく会話をしながら「楽しい登山」は続いた。

 そうして間も無く最初の山小屋に到着した。

 私たちは、ベンチに腰を下ろし軽く昼食を取った。

「トイレに行ってくるね!」と翔子は小走りで走っていった。

 都内から長野の空真山まで来るまでなかなか時間と体力が必要となる。朝早かったこともあり、昼食時は会話も少なく体力補給に皆が全力だった。

 翔子も戻って来て、しばらく休憩がてら思い出話をしていると、壁にかかっているテレビからニュースが流れて来た。さなみがニュースに反応する。

「嘘、天気が悪くなりそうなんだ・・・」

 一堂に不安な空気が流れる。それは、この先の登山ができなくなるかもしれないという不安そのものだった。

 空真山とは天候が荒れやすいことも有名で、山小屋を経営している中年の夫婦は当たり前のようにニュースを見ながら、さらにラジオからも情報を得ようとしていた。

 私たちだけでなく、小屋にいる多くの登山客たちに不穏なムードが流れた。すると中年の夫婦が全体にアナウンスを行った。

「皆さんもテレビで確認された通り、この先の登山では天候が荒れる可能性があります。もちろん、こうした事態はよくあることですし確実に荒れるというわけではありません。ですが、この先も引き続き登山をされたい方は、一度でもこの山に登山経験のある方だけにさせてくださいませ。登山に慣れていない、この山を熟知していない方は下山をお願いいたします。」

 私たちは、そのアナウンスを聞いてホッと胸をなでおろした。

 登山が完全にできなくなった訳ではないからだ。実はこのような事態は何回か経験したこともあるし、5年ほど前には全員が下山するように言われたこともあったからだ。私たちは、この山を知っているし、なによりこの先も進まなければいけない理由がある。お互いを軽く見合ったが言葉がなくても4人の結論は一緒だった。

 

 それから、下山の準備をする者、登山を続ける者に分かれて小屋の中は少しバタついた雰囲気になった。私たちも準備を整えた後、見知った中年の夫婦に挨拶を行い山小屋を後にしたのだ。


 山小屋を出てどれくらいだろうか。間も無くしてその決断を後悔することになったのだ。


 天候が急変し、あたりを大雨が襲うようになった。前も見えないぐらいに雨が強くなることもあり、4人は身を寄せ合いながら懸命に前を進んでいた。

「本当にこっちであってるの?」

 愛美は全員に聞こえるように全力の声を上げた。

「こっちで間違いない!もう少しだよ。頑張ろう!」

 私も持てる声を全て出し切るような力で声を発した。

 この先に無人ではあるが山小屋がある。それを私たちは知っている。もちろん、引き返す選択もあった訳だが、次の山小屋を目指した方が賢明という判断になったのだ。

 数年前、あたりが雪で覆われた時に発見した山小屋で、その時の経験が活きたわけだ。あの当時は、天気が荒れて無人の山小屋に避難なんてドラマや映画でしか見ないと鼻で笑っていたが、いよいよ2回目ともなると笑っていられず、山小屋の存在に感謝するしかない。

 それからどれくらい彷徨ったのだろう。全員の体力が限界に近づいて来た時、私は今日一番の声で叫んだ。

「あった!あそこだ、急ごう!」

 視界が雨で真っ白だったがなんとか小屋を発見することができた。

 

 4人が急いで小屋の中に避難を完了した時、4人とも一気に力を無くしたようにその場に座り込む。

「よかった〜。これでなんとかなりそうだね。」

 誰よりも安堵した顔を見せたのが翔子だった。その顔を見て私も安心しきっていた。

「とりあえず、電気の確認をしようか。まだ通っているのかな。」

 私は、冷静になってみんなに言った。前回この山小屋を使わせてもらった時には、電気は通っており、食料もある程度用意されていた。

 もともと、何が起こるか分からない空真山であったため、このような山小屋も複数設置されているようだ。

「あれ、つかない。今回はダメみたいだよ・・・」

 確認してくれた、さなみは小さな声で呟いた。

 どうやら電線が切れたのだろう。しかし、それで慌てふためく4人ではなかった。

 天候はすぐに晴天に戻って私たち自身の力で下山し直すこともできると考えていたし、天候が変わらなかった時に備えて、私は先ほどの夫婦が営む山小屋へと電話を入れていた。幸いスマホはなんとか使えたようで天候が落ち着き次第救助が来てくれるという約束も得ることができたからだ。

 

 それからは、持参した食料を分け合いながら毛布にくるまって体温を下げないように努力した。

「あった!見てみて!」

 愛美は、いたるところを何かないかと捜索をしていたが、なんとマッチを見つけたらしい。

「さすが!それならこのストーブもつけられるかもね!」

 私は愛美から受け取ったマッチを使ってストーブをつけた。全員が「付いて!」と願ったことだろう。その願いが届いたのか、部屋の中を明るく照らし始めた。

「あたたか〜い」

 4人はストーブを囲む形で手を伸ばし始めた。

 10月とはいえ、気温も下がって来ており、濡れた身体ということもあり極寒の寒さを感じていた。

 この雨は間も無く止むだろう。そう思いたい状況で、私は窓の外を見た。外は、先が見えないくらいに大雨でいわゆるホワイトアウトに近い状況になっていた。やはり、止むのを待つしかないようだ。


 この山小屋は、もともと宿泊型のペンションを一部解体したようだ。広さとしては10畳ほどの広めの部屋から一本続く廊下に6つの小さな個室が廊下に3つずつ付いているようだ。それぞれの小さな部屋には小窓が1つずつとマットレスを置くためのベッドスペースのみ設置されている。一番大きなこの部屋には、簡単なキッチンと個室のトイレだけがついている、簡素な無人山小屋となっている。

 最初にこの山小屋に到着した時に全員で色々と調べて回ったが前回と何も変わっておらず違和感もなかった。用心深い私はさらにもう一周確認をしたが、それでも意味はなかった。

 雨風がしのげてトイレがある。それだけで今の私たちには十分すぎる状況だったのかもしれない。ただこのストーブのあるメインの部屋には大きめの雨漏りが何箇所か起きており、雨の勢い次第ではこの古屋は潰れてしまうのでは、という不安もあったが。

 最初は不安の割合が大きかったが、だんだんと慣れて来た。それは、このメンバーだったらなんとかなるという思いもあったからだろう。

 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。とはいえ少しの不安も見せないように、不安をできるだけ小さくできるように、それだけのために私たちは楽しい会話を演じていた。定期的に窓の外を見てみるが状況は変わらないようだ。


 しばらくして、さなみは弱々しい声を呟いた。

「トイレに行ってくるね」

 さなみはゆっくりと立ち上がってトイレへと向かっていった。

「さなみ大丈夫かな?」

 不安そうな翔子の質問には私が答えるしかない。

「大丈夫だよきっと。もっと私たちが楽しい話をしてさなみの不安をなくせるようにしないとね。」

 3人は顔を見合った。それは無言で誓い合ったような時間でもあった。

 それから間も無くして帰って来たさなみの表情に一同唖然とした。急に青ざめており、恐怖で一色の顔になっていたのだ。

「さなみ、大丈夫?どうし・・・」

「誰かいる!!!」

 私の言葉を遮って、彼女は大声で叫んだ。

「誰かいるって、さっき調べたじゃん。私たちだけだよ」

 愛美が近づこうとすると、さなみは両手で突き飛ばした。

「え・・・」

 愛美は軽くよろけてしまったが、倒れることはなかった。あまりに急な展開に私も翔子もついていけなかった。

「いや!いや!いやぁ!」

 さなみは大声で叫びながら、走り出して一番奥の個室の中に閉じこもってしまった。

 3人は急いで追いかけたが間に合わなかった。さなみに鍵をかけられて、私たちは部屋の扉を叩いて声をかけるしかなかった。

「さなみ、どうしたの?大丈夫?」

「誰かいるってどういうこと?」

「大丈夫だから、出て来なよ・・・」

 3人の声に対して、パニックになったさなみは「いや!いやぁ!」と悲鳴で返すことしかできないようだ。

 3人は、今のさなみには何を言っても出て来てくれないだろう。と諦め、ストーブのある部屋に戻って来た。

「誰かいるって・・・まさか」

 愛美が急に震えだした。

「そんなわけないじゃん。ありえないよ。」

 私は必死に否定したが、完全に否定できていない自分にもゾッとした。ちらっと見たが翔子の表情も愛美と同じように恐怖で青ざめていた。

「奈々がいるんだ・・・」

 愛美の一言に、私も翔子もさらにぞっとした。

「そんなわけ・・・」

 私の力ない言葉に愛美が追い打ちをかける。

「じゃあ、誰だっていうのよ。最初にみんなでこの小屋を調べた時は何も違和感はなかった。雨だって強いから私たち以外が入って来たら間違いなくわかるはずだし。」

 愛美の言葉は間違いなかった。けれど、言葉を探しても何も返せない私に対して、愛美は冷静になったようだ。

「ごめん、そんなわけないよね。」


 実は、私たちは4人ではなく本来5人が正しいメンバーであった。

 小林奈々(こばやしなな)は、私たちのメンバーの中で一番エンターテイナーな人物だった。彼女が口を開けばみんなが笑う、そんな存在だった。出会いは大学の学部。そう、私たちは5人のメンバーだったのだ。もちろん、卒業旅行もそのあとの登山部の活動も一緒だった。

 けれど、4年前ある事故が起きて奈々はこの空真山で息絶えることになったのだ。

 その日は、今日と同じように急な荒天で地盤が緩んでいた。雨のせいで視界もほとんど奪われた状態。もはや隣にいるのも誰か分からない。荷物だってごっちゃごちゃの状況。そんな中、足を滑らせた奈々はそのまま倒れて岩場に頭をぶつけて亡くなってしまったのだ。

「ななー!!!」

 私たち3人の張りさけるような叫び声、呆然としているさなみ。視界が悪すぎてよく分からなかったけれど、その瞬間のみんな行動と表情だけは脳裏に焼き付いていた。

 それから、近くの山小屋を見つけることができて、私たち残り4人はなんとか無事に下山することができた。そう、奈々を除いて。

 それから私たちのこの登山部の目的が変わった。そう奈々に会いに来るための時間となったのだ。今日も荒天だと分かってはいたが、奈々に会いに行かないと行けなかったのだ。何がなんでも奈々が亡くなったこの10月10日に。


「奈々は死んだんだよ!今更出てくるわけないじゃん」

 翔子の力ない言葉が愛美と私を落ち着かせる。

「そうだね。2人とも本当にごめん」

「いや、私もなんて言っていいか分からなかったし・・・。翔子ありがとう」

 3人はお互いを見合ってこの局面をなんとか乗り切ろうと誓い合った。

 そのためには、さなみがどうして怯えているのか確認する必要がある。3人はさなみが閉じこもっている部屋へと向かった。

「さなみ!大丈夫?大丈夫なら何があったのか教えてくれない?」

 私は必死に扉を叩いてさなみに声をかけた。しばらく扉を叩いたが、なんの反応もない。やはり、恐怖で怯え続けているのだろうか。そして扉の隙間から流れてくる冷気は外の空気だろうか。

「さなみ!毛布置いておくから使ってね。寒かったらストーブにあたりに来るんだよ!できることがあったら言ってね!」

 私にできることはそれぐらいだった。3人は身震いして、ストーブに当たりに戻って来た。

 

 しばらく無言の時間が過ぎていく。

 ストーブのおかげもあり、寒さも感じなくなったが、並行して苛立ちに似た焦燥感のようなものを感じるようになった。

 今の私たちにとって求めているパターンは2つだった。救助隊が小屋に助けに来てくれる、もしくは元気になったさなみが帰って来てくれる、のどちらかである。それしか私たち3人が正常でいられる方法はない。

 きっと3人とも同じことを期待していた。しかし、待てど暮らせど何も進展は起きない。

 それから時間だけが経過していく。この3人の焦燥をあざ笑うかのごとく雨の音は鳴り止まない。むしろ強くなるばかりである。

「あーもう!さなみにところに行ってくる!」

 しびれを切らした愛美が立ち上がった。

「私も限界だね!もうなんなの!」

 翔子も限界のようだ。

「保奈美・・・?」

 一人だけ様子の違う様子の私に対して不思議なものを見るような目で2人は見つめてくる。

 私は考えた。どうしたらこの状況を打破できるのか。考えることしか私にできることはない。

「分かった。そしたら、3人でこの小屋の中をもう一度探し直そう。それでこの小屋には誰もいないことを証明しよう。それをさなみに報告して、出て来てもらう。その上でさなみに事情を聞いてみる。これでどう?」

 2人は、頷いてくれた。

 正直、その場しのぎのアイディアで状況が進展するとは考えられなかった。しかし、ここで仲が悪くなるのは危険だと感じたのだ。だから、最善策のように、解決策のように、強めの口調で私は言ったのだ。2人は同意してくれたが、その場しのぎの偽善者な自分がさらに嫌いになった。

 それからは、3人で手分けして徹底的に山小屋の中を捜索することにした。それほど広い小屋ではないからすぐに終わるだろうと思った。

 私は、キッチン周りとトイレの担当だった。棚の中までしっかりと確認をして、最後にトイレをチェック。もちろん抜かりなく確認をしたし、すでに便座の上がっている洋式便所の中も覗き込んでやった。

 ここまでやったら何も文句は言われないだろう。


 しばらくして、3人がストーブに集まった。表情からして「何もなかった」という結論なのだろう。3人はお互いの表情を見合った。もはや、言葉はいらなかった。

 その結論を持ってさなみの部屋へとリベンジをしに行く。

 しかし、結論は変わらなかった。先ほどと変わったことと言えば、さなみからの返答があったこと。

「なんでわからないの!いるの!誰かがいるの!」

 さっきはなんで返事をくれなかったのだろう。一番最初に部屋に閉じこもった時のように喚き、叫んでいるのと同じ状況に戻った。

 私たちはガッカリしながらストーブへと戻ってくる。

「二人ともごめんね。なんの進展もなくって。」

「そんなことないって。さなみの声も聞けてとりあえず生きてるって分かったしね。ね!翔子!」

「ええ、そうね。時間が解決してくれるかもしれないから、もう少し待ってみましょう。」

 2人の優しさに泣きそうになる。

 それから、不安を紛らわせるように3人はこの1年のことを語り合った。しかし、私には会話と並行して考えていることがあった。

【さなみは、どうして他に誰かいると思ったのだろう。】

 幻覚を見たのだろうか、だとしたらそう言ってくれるはずだ。そして何よりこの状況が理解できなかった。不安ならみんなで一緒にいればいいのになんで1人になりたがるのだろうか。

 もし、「何か」を見て誰かいると思ったのならそれはなんなんだろう。

 記憶を振り返れ、私。確か、さなみはトイレに行って帰って来たら青ざめた表情を・・・。

「あ!!!」

 2人の会話を遮って私は大声を上げてしまった。

「どうしたの?保奈美・・・」

 2人は不安そうな表情で私を見ている。

「いる。もう一人・・・」

 私の言葉に2人は急展開すぎて戸惑っていた。

「いやいや、だからさっきも調べたけれど何もなかったじゃん。」

 愛美は呆れにも近いような声だ。

「そうね。結論は誰もいない。でしょ?」

 翔子の問いかけに対して、私は震えた声で必死に伝えた。

「いるんだよ。間違いない・・・」

 少しして2人はやっと本気になってくれたみたいだ。2人も青ざめた表情に変わった。

「いるって・・・?」

「まさか、本当に奈々が・・・」

 私は声を絞り出した。

「違う。奈々じゃない。いるのは男。」

 想像していなかった私の回答に2人は絶句した。私は少しでも冷静になろうと深呼吸を置いた。

「トイレだよ。」

『トイレ・・・?』

 2人は声を揃えて聞き返す。

「最初にこの山小屋に入ってみんな色々調べたじゃん。それで何も違和感がないって。なのにだよ、トイレから出て来たさなみはあんな感じになっちゃった。そのあと、私たちはもう一度小屋を探したよね・・・」

 まだ話の全貌が見えていない2人は固唾を飲んで続きを待つことしかできなかった。

「その後、私がさっきトイレを調べた時・・・、便座が上がっていたんだ。最初は何にもなかったのに。でも!!今は便座が上がっている」

 これが何を意味しているのか、2人にもやっと伝わったみたいだ。

「何、じゃあ私たちが小屋に来てから誰か男の人が侵入して、来て立ちで用を足したってこと?」

「いや、扉は1つしかないから誰か来たらわかるはずだよ。今もどこかにいる・・・の?」

 3人は恐怖に襲われた。この山小屋にはもう一人誰かいる。そしてそれは男である。一体何が目的なの?どこに隠れているの?

 すると、3人ではない足音が小屋内を響き渡った。

「だれ!!!」

 愛美は、その場に座り込んでしまった。私たち二人も身を寄せ合って恐怖に震えている。

「さなみ・・・?さなみなの?」

 音の方向は個室のある廊下の方だった。誰かが歩いてくる影が見える。だが暗くて誰だか分からない。

「さなみ、じゃない?あなた誰!さなみをどうしたの!」

 私の言葉になんの返答もない。しかし、その影がゆっくりと近づいてくることだけは理解できた。

  3人は恐怖でそれ以上声を出すことができず、ただただ震えることしかできなかった。ストーブの光で確認できたその影は、なんと「さなみ」だったのだ。

 さなみの顔を確認できた3人は拍子抜けというように力が抜けてしまった。

「なんだ、さなみだったんだぁ、驚かさないでよ。」

 愛美は今にも泣きそうな声でさなみに話しかけた。

「さなみ・・・?」

 さっきまで泣き叫んでいた、さなみとは一転して冷酷にも見える冷たい表情に違和感を感じた。

「そうだ!侵入者!もう一人男がいるんだ。さなみ、さっきは気づけなくてごめんね。危ないからこっちに来て!」

 さなみの様子もおかしいが、冷静に考えたら男の存在が消えたわけではない。私はさなみに叫んだ。

 さなみは、ゆっくりと話し始めた。

「ごめんごめん、もう一人の男なんていないんだ。ちょっとだけみんなをびっくりさせたくて、私が便座を上げていたんだ。でもこんなに驚かれるなんて。本当にごめんね。」

 さなみの言葉に私は泣き出してしまった。それは安心感とこれまでの緊張感が一気になくなったせいだろう。私の泣き叫ぶ姿を見て、隣の2人も力なく泣き出してしまった。

 少しして落ち着いた私は、さなみに問いかける。

「なんでこんなことをしたの・・・?」

 それは2人も聞きたいことなのだろう。3人ともまっすぐにさなみのことを見ている。

「う〜ん、それは来年分かるよ。」

 言っている意味が分からなかった。言えるのはこれぐらい。

「それってどういう意味?」

「だから、そのままの意味だよ。お願いだから来年まで待って。ね?」

 その表情は、朝会ったさなみのあどけない表情そのものだった。さなみが元のさなみに戻ったと安心したかったが、それでも真実を知りたかった。

「1年も待てるわけないじゃない!」

「でももう夜も遅いよ。雨も止まないみたいだし、疲れたと思うからまずは寝よう。その方が冷静に話ができると思うんだ。」

 さなみは、振り返って元の廊下を歩こうとした。すると、翔子が言った。

「なんで何も言ってくれないの!じゃあ、全部さなみの自作自演でここには男も奈々もいないってことね!」

 翔子の言葉に反応したさなみはこちらを振り返った。

「いや、奈々はいるよ。この小屋の中に。」

 その言葉を言った時、さなみは一瞬だけだがニヤッとした。その顔に3人はゾッとした。

 さなみは部屋に帰った。

 結局、不安で仕方なかった3人はストーブの近くで身を寄せ合いながら眠ることにした。もちろん、不安で眠ることなんてできないし、他の2人が眠れていないことも知っていた。けれど、何かを話せば2人の不安を大きくしてしまうのでは、と思い無言で朝を迎えることしかできなかった。それは3人とも思っていた暗黙の了解とも言うべきものだろか。

 そういえば、今回のことから逃避したい私は天井を見上げ続けた。すると、さっきまで気になっていた雨漏りがなくなっていることに気がついた。どんどん雨は強くなっていくのに。それを考えることで気を紛らわすことができたからラッキーなんだろう。

 それから朝を迎えるまではそう時間はかからなかった。


 翌朝を迎え、3人がほぼ同時に起き上がった。

 3人ともろくに睡眠を取れておらず疲労感もすごいが、今日全ての真相がわかるのだと、強い意志を持って立ち上がった。

 一瞬外の様子を確認するが、昨日とは一転して晴天に変わっていた。もうすぐ、救助隊が来るかもしれない。それまでに昨日のケリをつけたかった。

 鍵がかかっている部屋は、昨日と同じくさなみが閉じこもっていた部屋だけ。3人はさなみがいた部屋へ向かい、扉を叩く。

「さなみ!起きてる?昨日の続き、教えてもらうよ!」

 私の声になんの返答もない。

 それからしばらく、扉を叩きながら大声で声をかけ続けるが何の返答もない。だんだん不安になってくる。何かあったのか。

 愛美は、扉を2人に任せて外に飛び出した。愛美は、古屋をぐるっと回りさなみの部屋の窓の前に立って、ジャンプしながら窓を叩く。しかし、さなみの反応はない。

 比較的高い位置にある小窓は愛美にとってはジャンプしないと中を覗き込むことはできなかった。何度かジャンプを試みると、一瞬だけ中を覗き込むことができた。

「きゃー!」

 愛美は、そのまま倒れ込んでしまった。

 その叫び声を聞きつけた2人が愛美の元へやってきた。

「愛美、どうしたの?」

「さなみが・・・」

 愛美はその場で泣き崩れている。

 一番身長のあった私が背伸びをして部屋の中を覗く。

「きゃーー!!!!」

 愛美と同じように私も崩れて座り込んだ。そう、さなみは首吊り自殺をしていたのだ。

 それから急いで小屋の中に戻り、扉を壊そうと必死になった。そのあとはあまり覚えていないが、覚えているのは救助隊にさなみの死を明確に伝えられたことだった。

 


 悲劇の10月10日の後、1年が経った。

 1年後の10月10日。真相は分からなくなってしまったが、残った3人の思いは一緒だった。今度は「奈々」と「さなみ」のためにもこの山を登ろうと集結した。


 この日は1年前とは変わって見渡す限りの晴天が広がっていた。

 私の頭の中には「もしも」が増殖し続けている。もしもあの日がこんな晴天なら、もしも私が引き返そうと提案したら、もしも、もしも、もしも・・・。

 しかし、それは翔子も愛美も同じことを考えているに違いない。だから、久しぶりの再会でも最低限の会話だけで黙々と山頂を目指しているのだ。

 あの日と同じように、最初の山小屋では中年の夫婦が私たち3人を迎え入れてくれた。夫婦は何も言わずに、私たち3人をぎゅっと抱きしめてくれた。

 1年前と同じように古屋でゆっくりと過ごしていた。もちろん、翔子はトイレへとか駆け込んだ。

 翔子が戻ってきたタイミングを見計らったかのごとく、夫婦が私たちの元に近づいてきて、旦那さんの方が言った。

「3人ともよく来てくれました。」

 そんなこと言われるのが初めてだったため、少し戸惑ってしまったが旦那さんは続けた。

「実は、さなみさんから預かっている物があるんです。」

 彼から「さなみ」という言葉が出てくると思ってもみなかったので、私たちは目を見開いた。

 差し出されたのは、一通の手紙だった。

「彼女は、今日この日に3人が来なかったらこの手紙は燃やしてくださいとだけ言っていたんだ。あの子が亡くなったあの山小屋で手紙を見つけた時までは何を言っているのか分からなかったけれどね。つまり、きっと全部彼女の作戦だったんだろうね。もちろん、中身は見ていないよ。でも、きっと彼女の想いを受け取れるのは今日だけだったからね。だから来てくれて本当にありがとう。」

 そう言って夫婦はゆっくりと戻って行った。

 私は急いでその封筒を開ける。中に入っているのは、2つ折りされたA5サイズの小さな紙が数枚。広げると、翔子と愛美は横から覗き込んで来た。読み上げる必要もない。3人は黙読を始めた。


〜さなみからの手紙〜

保奈美、愛美、翔子へ

この手紙を読んでいるということは、1年後も変わらず帰ってきてくれたんだね。私たちのためにありがとう。

実は、「この手紙を読んでいるということは〜」って一度言ってみたかったんだよね!

それはさておき、きっとあの日の出来事についてモヤモヤが多いと思うのでこの手紙で説明していくね。


まず、あの日みんなを驚かせたこと。ごめんなさい。

実はこれはそんなに意味はなくって、私にとってのちょっとした嫌がらせでしかなかったんだ。私が死ぬ前にみんなをちょっとだけ困らせたかったの。

つまり、私はあの日最初から自殺するつもりで登山をしていたというわけ。


じゃあ、私のあの言葉は覚えているかな?

「この小屋の中に奈々はいるよ」って言葉。

実は、あれは本当のことなんだ。だって私が奈々なんだもん。


みんなひどいよ。あの日死んだのは妹のさなみの方だったのに。

でも無理はないか。双子の私たちをちゃんと見分けられる人ってお母さんぐらいだもん。

でもね、悲しかった。覚えてる?さなみが事故で死んだ日の話。

雨がすごくて近くに誰がいるかなんて分からない状況だったのに、3人して「奈々!」ってさなみに向かって叫ぶんだもん。

それであの後考えちゃったんだ。みんなは、どこかさなみに生きていて欲しかったんじゃないかってね。

あ、勘違いしないでね。それを恨んでいるわけじゃないんだよ!

だから、私からのびっくりはこのモヤモヤを晴らしたかっただけなんだ。ごめんね。

でも、さなみが死んで私は生きるのが辛くなっちゃった。もともとさなみの方が頭が良くて色々な人に信頼されていたわけだし。

3人と仲良くなれたのだって、さなみがいたおかげだし私一人ではこんなに楽しい人たちと楽しいことなんてできなかった。

それなのに、私よりも優秀なさなみが死んで、無能な私が生きている。

それが許せなくて。

だから、ずっと自殺をしようと思っていたの。これは紛れもない事実ね。けれど、ちょっとしたモヤモヤを晴らしたいがために、あの日と同じ大雨の日を毎年待っていたの。

実際に社会では奈々として生きていたけれど、あの女子会だけではさなみとして一日を生きる。

私の自己満。これで2人はちゃんと生きていると実感できる。けれど、3人はいつまでたっても気づいてくれない。


だから、みんなにちょっとした嫌がらせをすること、私がさなみの元に行くことを同時に叶えるためにはあの日しかなかったんだ。

待ったんだよ?大雨になる日を。だから、何年もただ登山ツアーに付き合わないといけなくなっちゃった。

あ、ちなみに私は全然悲しくないし、後悔もしていない。

私たちのことなんて忘れてみんなには幸せになって欲しいの。それだけは本当。

だから、もうこの空真山にも帰ってこないでね。

毎年、この場所に集まって学生時代の懐かしい女子会ばかりするなんて、時間が止まっているみたいでもったいない。

もう一回言うね。もうこの山には戻ってこないでね。

保奈美、愛美、翔子、それからさなみ。みんな大好きだよ。ありがとう。


奈々より。


 3人はほぼ同時にこの手紙を読み終えた。

 3人は涙を拭いながら再び山頂を目指して歩き始める。あの日届かなかった山頂に向けて。

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誰かいる。 柊さんかく @machinonaka

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