第二百話:アルメリア領域の街並み・1-1

 どこからそんな語彙力がポンポン出てくるのかという、打ち寄せる大洪水のような甘い口説き文句に溺れかけたリプカだったが、さすがに見かねたアンが「その人はエルゴール家の血筋ですよ。いま世間の中心に在る人、先の戦争で世界に旗を立てた異才人の、その姉です」と告げると、ワルツの濁流的賛美くどきもんくはそれで収まった。


 ほっと息をつきながらも、決して悪い気分にはなっていない自分に呆れの汗を垂らして歩くうちに、リプカは実際の景色を見て、アンの言っていたことに納得を抱いていた。


 確かに、ワルツはこの街から浮いているという感じではなかった。

 街中の人たちにも普通に声をかけていて、挨拶されることもあった。ああ、ここに住んでいる人なのだなと一目で分かる馴染み方である。


 ――ただし。


「こんにちはラナ、今日はお出かけ? ――うん、私は古い友人とちょっと。今日も可愛いよ。髪型、ちょっと変えた? 似合ってる。――ごめん、手が滑った。その薄色のルージュ、とっても似合ってるよ。またね」


「アシア、こんにちは。おつかい? 偉いね。髪――、少し巻いたんだね。可愛いよ。――うん、またね」


「シェリン、私のこと忘れてなかった? ――私も忘れてないよ。(胸を揉む) 逢えなくて寂しかったな、ずっと待ってたのに。次はいつ逢えるの?(尻を揉む) ああ、あれは古い友人と、新しく会えた友人。――シェリンこそ私を見てくれるの? ねえ、ちゃんと見て。――(キスする) ――――私がシェリンに逢いたいと思ってること、忘れないで。いい?(胸を揉む)(――規制――)」


 但し、馴染み方が独特であった。

 リプカは唖然とその後ろについて歩きながら、声漏らした。


「刺される」

「そこらの見極めが上手いんですよねー。自分の感情と現実の状態を随時ずいじ照合して理性と相談できるタイプです。また自分の感情を掘り起こすのが得意で、いつ如何なる何時でも自分を味方にできる稀有な奴でもある。ただし、病のように進行する現実の不可視部分を計算できる奴じゃないので、まあいつかは刺されるでしょうね」

「駄目じゃないですか」


 とはいえ、勢い「刺される」とは言ったけれど、しかしリプカにはどうにも彼女がヘタを打つようには思えなかった。


 あの異様な輪郭の瞳を見ていると――そのように思える。


 一度はヘタを打つべきじゃあないだろうかとも、思わず、考えてしまうけれど。


「あんなんでも馴染んでる奴です、ついて回って、この街の風景じっさいに触れるための橋渡し役になってもらいましょう」


 そう言うアンは小さな生活雑貨店で買った酢昆布をんで、のんびり休息モードであった。


 アンヴァーテイラはなぜわざわざ初対面の彼女にそれを依頼したのか、どうして自身がその役を買ってくれなかったのか、そのとき思い浮かんだいくつかの疑問は――後に判明するところとなった。


「こんにちはエヴァ、今日も可愛いね」

(少女には、さすがに……。――いえアン様には手を出してましたそういえば)


「ルーラ、君は遠目からでも君だとはっきり分かるよ。水の精霊みたい――、――手厳しいね。やあルイーゼ、君の彼女は今日も綺麗でツンケンさんな女神だね。君も、今日もとても素敵だ。ねえ、きっと明日も君は、素敵だと思う。黒の髪に黒の瞳、惑わされそうなくらい綺麗。蠱惑的な瞳に触れたいな――。――いたっ。ルーラ、冗談だよ」

(彼女連れのカップルに突撃していった……!?)


「マイア、おはよう。ロミ、今日も元気? 今日も素敵だねマイア、その新しいお洋服、とても似合ってる。あ、少し痩せたでしょ? 分かるんだ。ねえ素敵なマイア、少し一緒に歩きたいな――」

(うオィイイイイイイイ!?)


 子持ちの人妻にナンパしだした彼女にドン引きするリプカの背を、アンがド突いた。


「いや、見てないで会話に入っていきなさいよ。なんの時間ですか」

「ハッ……! つい、ぼうっとしていました……」

「ぼーっとしないでください、さっさと行け」


 ということで、その後はワルツの後について、アルメリア領域に住む人々との実際的な交流の機会を得た。


 アンの言っていたことの意味はすぐに理解できた。


 実際に触れて望めた『情景で見る景色』と比せば、ただ遠目から見た一見の景色とは、なるほど、実に無味乾燥な一枚絵であったのだと知れたから。


 観光地でもない場所であるから余計そう感じたということもあるだろう。見たと嘗めたは大違いとでもいうのか……シィライトミア領域に着いた翌日の日、リプカは街中に降りてじっと道行く人々の様子を窺い、お国の特色を知ろうと試みたけれど――今から考えればあれは、山に登ろうと思い立ちそのため手近な坂道を辿って歩くような、あまり意味の無い、はっきりとした間違いであったようだ。


 絵と実際は違う。


(服装や人々の様子を見取って、協調性やら、規則の重視といった特徴を、見出したつもりになっていたけれど……。――どうやら、とんだ短慮であったらしい)



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