第百六十話:物語の条件、世の絶対定理・1ー1

 モテたいのならアリアメル連合に移住して、マリンスポーツを頑張るべきだなと、世の真理を一つ知ったようにリプカは思ったものだ。


 男性からは尊敬の念を、そして女の子たちからは――狂気的ですらある熱烈なアプローチを受けて。今更に目立ち過ぎたことを悟ったリプカは、近衛のかたに任せて幼年組に一旦離れてもらって、着替えのため引っ込んだのち、気配を消して人込みに紛れると、ねずみのように物陰、人影を縫って、人の目から姿を眩ませた。


「びっくりしたー……」

「お疲れさん。――なんとなく分かってはいましたけど、マリンスポーツが特別できても、殿方からは純粋な『尊敬の念』を向けられるだけなんですよねぇ。出会いのキッカケにはなるけれど……それを目標に熟練を目指すのは不合理なような……。んー、難しい!」

「積極的に声をかけてきた女の子たちですが、私と同じか、ちょっと上くらいの歳の子が、一番多かったでしてね。皆、恋に夢中な年頃……なんだか、ちょっとした焦りを思ってしまいました」

「リプカ……凄かった……! 物語に出てくる……超人みたいだったよ……! 空飛んでた……」

「本当ですよ。空飛んでました……」


 体内を激走していたアドレナリンの名残で、外見からは分からないほどまだ細かに震える手を摩りながら、リプカはそこでようやく、一息をつけた。


 終点の水辺、ウォーターダウン・フィールドの全長を見上げられるあの場所から、取り急ぎ、言葉少なに決めた合流地点は、朝方に寄って『パーメリアムのタクト』を聴いた、あの喫茶店であった。


 温かいお茶を飲んで休んでいると、そこで、巡り逢いがあった。


 夕方に差しかかるにはまだ少し早いかという時間であったが、人心地がついた心持ちで安らいでいると、また、少し離れた場所で、楽器の音色が響き始めたのだ。


 意識を彩りで切り裂き、新たな情景を魅せる音、ヴァイオリンと――。


(グ――グランドピアノ……!?)


 いつの間に運ばれてきたのか、光を吸い込む黒の巨大鍵盤が、世界に広がり渡る音を奏でて、踊るようなイメージの概念的情景を創造していた。


 ヴァイオリンの旋律に、ピアノが追随するように音を響き渡らせる。それは、変則的なだった。


 ワルツ――けれど、それはギリギリ、ワルツのを保っているような、特殊な曲運びで、その型破りは発想の転換というよりも、従来と全く異なった着眼点から作られた異形のように思える。――音楽をきちんとした形で学んだ者が作曲したのものではのかも、とリプカは意識の片隅で考えた。


 けれど。

 美しかった。


 その独特な調べは、どうしてか、リプカの心を深く掴んで、現実を忘れさせた。


 時間、空間、概念の全部を忘却して、ただただ想いに揺蕩う時間の果てに。

 曲が終わると、虚無みたいな空白の意識が続いて――リプカはやっと、ハッと今いる現実を思い出して、くようにして奏者に拍手を送った。


(――どうしてか、感性にピッタリ嵌る曲だったな)


「フラフトール」


 リプカが余韻を噛み締めていたところ、アンが呟くように言った。


 リプカはお茶を一口頂いてから、話を向けた。


「あれは、ワルツ……ですよね? フラフトールとは、何を表す言葉なのでしょう?」

「フラフトールの姉妹……」


 それに答えたのは、アンではなく、サキュラだった。


「アーゼルアクスの、称号名の……由来でもある、伝承神話で語られる……姉妹の名前……。それをイメージして作られた曲って、ことなんだけれど……――」

「まあ、イメージは繋がりにくいでしょうね」


 表情を難しくしたサキュラの後を引き取って、アンは単直に言った。


 それに、サキュラとオーレリアが、首を傾げる。

 淡々としたアンの口調は、まるで……何かしらの深い訳を知っているような口ぶりだったから。


 アンは声を低くした。


「フラフトールは、【アルメア・アルメリア】の妹、リザ・アルメリアが作曲した譜面です。姉を想い書いたそれを、伝承神話『フラフトールの姉妹』の想起曲として、世に残した作品なんですよ」

「「え……っ!?」」


 サキュラとオーレリア、二人重ねて驚きの声を上げたリアクションとは対称に、アンは抑えた声で続きを語った。


「アルメリア家の秘密事の一つ。言うまでもなく、おおやけになったら問題視されてしまうので……この話は、ここだけのことで――」

「そう、だったのですか……。知らなかった、これだけ広まっている曲が――。驚きの事実でして」

「…………あのね。フラフトールも、また……シュリフのお姉ちゃんが、特に気に入っている曲の……一つなの……。その理由は……私には、分からなかったけれど……」


 姉妹。

 リプカは、ぼんやりと考えた。


 過去、姉を想って作られた曲。そこには……シュリフたる姉の姿も、また、あったのだろうか。


 ――――あったのだろう。


【フラフトール】の曲を聴けば……なんとなく、それは理解できることだった。


 


「…………」


 口を噤み、合間にお茶を口にしながら、様々思い巡らせていたのだが――それについて考える時間は、一旦、お終いとなってしまった。


 しばらくの後、また、うら若い女の子たちから声がかかったからだ。


 好感を寄せられての事とはいえ、さすがにいい加減、眉の間に皺が寄ってしまうような心情を僅か感じながら、とはいえそれは己の事情だと、その気持ちに俯瞰ふかんの整理をつけて、笑顔でそれに対応してから、その後、リプカは一つ息をついた。


「あいつら目いいな。あの遠目から見て、よくウォーターダウン滑ってた奴だと気付いたもんだ。見習いたい」

「そうですか……。というか、本当に……スポーツができると、ここまで印象が良くなるなんて、驚きです……」

「まあ、そういう向きもあるでしょうね」

「ここまで良く見られるのなら、スポーツが得意ということでアリアメル連合への移住を希望する人も、多くあるのではないでしょうか?」


 なにせ、人生一発逆転ぐらいの注目度が得られることは、この数日間で体感してきた確かである。ので、そのようなことを言ったのだが――。


 それを聞くとアンは、呆れたようにため息をついたのだった。



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