クイン・オルエヴィア・ディストウォールという変数・1-2

「準備オーケーだ。各々、すぐに動ける体勢にある」

「了解です。……返事はまだ来ません」

「ぼーっと待ってても仕方あるまい。それより、時間があるのなら、本日の反省会だ。鉄が熱さを忘れぬうちに、打ち付ける」

「あの……どうだったでしょうか……」

「六十点、ってところだな。――指摘が若干、あら探しじみていて危うかったが、結果からいえば、きちんと急所を突けていた。相手の出かたを窺える回答が期待できる、基本に沿った攻勢だったな。鍛錬すれば、もっと流暢に話を回して、相手の回答を引き出せる。この調子で頑張るように」

「は、はいっ!」

「ん、それはいい。――で。これは明確なマイナス点だが……お前は、相手を疑うときに挙動不審になりすぎだ!」


 クインは言って、ぺちりとリプカの額を指で弾いた。


「う、うぐっ――。あ、あの……! なんだか……敵意もないのに相手を疑うと……心臓が勝手に、早鐘を打つんです……! どうすればいいのでしょうか?」

「鍛錬。それをどうにかコントロールせい、表に出すな表に。あとは……他にも突っ込みたいところはあったが……まあ、それは些細だな。私から頼んだことを、さも自分の考えのように喋る演技については、最初から期待しとらんかったところもあるし」

「う、うぅうう……!」

「……嘘だよ、それ以外のところでは、程々に期待していた。その期待には応えていたな」

「え、えへ……」


 よく聞いてみれば何が嘘なのかまったく分からないで機嫌を取ると、クインは軽く鼻息を吐き出し、腰に手を当てた。


「いいか、表情から心の深いところで思った感情を読まれないようにするのは、絶対必須の技能だ、必ず習得せよ。それを疎かにすることは、社交において、表裏がないから素敵とかそういった長所に転じるものではないのだ。宗教が違う、根付く基盤故に趣向が違う、性別が違う、容姿が違う。絶対に分かち合えないことは、ある。、それを全面に出したとき、人と人は戦争を交わすのだ。……私が言うと、少し、洒落にならんがな」

「…………」

「――分かち合うことはできなくとも、欲の本心を隠し、要点を見誤らず譲歩し話し合えば、分かり合うことはできる。その先が戦争だったとしても、それは大切な肯定だ。また、こちらの手札にブラインドを落とせば、相手方に敵意の企みがあろうと迂闊には動けず、結果、戦争を回避できる……そういう意味でも“表情にあまねくを出さない”というのは必須技能である。“大切なもののために”。――留意して、精進するように」

「はい」

「それから……焦らなくていい」

「え……?」

「状況は差し迫っているが、焦るな。焦燥が必要なのは、に必要な労力を楽観視して、根拠もなく悠然と構えてしまう者。焦燥に駆られて、階段のはるか上方じょうほうだけに視線を固定するやり方は愚かである。――一段一段にある、その意味を見逃すな、そうすれば、見据えていた以外の道が見えてくる。ゴール地点との距離感が測れず、不安に喚いてみても仕方ないのだ、腹くくれ」

「は、はい」

「うむ」


 クインは一つ頷くと。

 スゥー……と。


 懐から、例の短鞭を取り出した。


「――では、今から勉学の時間である」

「――――エッ!?」

「あ? なんだァ、もしや、今日は免除してもらえるだろうとでも期待していたのか……? 祝日に湧く子供か、お前は。時間がないって話を忘れてしまったのか……? 前言撤回だ、やはり、お前は、然るべき焦燥を抱け」

「い、いえ、あのっ……!」

「消耗は避けたい? ――自慢の体力の生かしどころだろう、なァに大丈夫だ、精神の持久力など本気の活を入れればどうにでもなるものだ、今からそれを教えてやるよ」

「ヒッ……! そ――その鞭はヤメてこの子たちの前でっ!」

「シリアスな雰囲気のまま集中力を保つより、いま、遮二無二な姿になろうとやることがあるということを骨の髄まで教え込んでやる。余裕はないんだよ余裕はッ、オラ、行くぞッ」

「ひ、ひぇえ……っ!」


 気構えを固くしすぎないための心遣い……というわけでは、なかったのだろう。それにしては容赦が無さすぎたから。


 余裕が無いなら取り戻せ。

 そう言わんばかりの辣腕を振るうクインの教鞭を、アンと、そして目覚めたオーレリアとサキュラも、感心の表情を浮かべて、端っこで拝聴していた。


 リプカの有り様については見て見ぬふりしていたのは、彼女らの優しさだろう。


「頭をやわくしろッ、シリアスな局面だからかしこまった精神状態で構えていなければならないなど、そんなお行儀が褒められるのは五つの歳までッ、それを過ぎれば、ただの阿呆ピエロだッ! お前はお行儀に当て嵌めなければ食事をブチ撒け水の入ったコップを倒す赤子か!? 違うだろう! もう誰のお褒めだけに価値を置く時間は、とうに終わったのだ。ここから先は、したたかに、図太く、ひと癖ふた癖を腰に差した剣として戦っていかねばならない。ナイーブな考えは捨てろ、頭を柔らかくするのだッ!」

「ええと、これは……くっ、ぐっ……!」

「焦るときにも、型に嵌めたような焦燥に陥るな、グッと堪えて理性を回し続けろ、オラァッッ!」

「アーーーッ」

「……なるほどね」


 その様子を眺めながら、アンが小さく呟いた。


「正直、無謀だと思っていましたが――本当に、どうにかなるかもしれませんね……。――優先順位が見えている」


 ――クインが突然その場で教鞭を振い始めたことに、気遣きづかいの理由はなかったかもしれないが。


 もしかしたら、それ以外の理由は、あったのかもしれない。


「……ああ、だからこの三人なのか。――――だとしたら。選ばれるのは、おそらく……」

「アン、どうしたのー……?」

「いいえ、なにも。――リプカ様、頑張ってますねぇ」

「うん……。あとで、甘いお菓子、持っていく……」

「糖分とれば、頭も柔らかくなりそうですしね。あ、また叩かれた」

「アーーーッ」


 ――結局、夕刻に差し掛かるそのときまで、連絡は来なかった。

 だがクインの宣言通り、じっと座して待つだけだったはずの時間は、結果、無駄にならなかった――。


 クイン・オルエヴィア・ディストウォール。


 先の戦争で、致命的敗北を一度も負わず、一軍を率い続けた策士。

 圧倒的不利を常に背負い、その中で、引き際に下がることあれど、全局を見渡せば数多の常勝を築いた、冗談のような物語の中心人物だった、怪傑。


 ……変数の一つとして見るには、無理があったのかもしれない。


 たとえ、現実的な情報のあまねくを瞳に映したとしても、見えてこないものもある。


 リプカのときと、同じように。


「背筋ッ」

「アーーーッ」


 タダで引き下がることに、二度目はない。

 その重大は現実に情報として刻まれていたが、その本質を見据えるには、彼女の瞳は


 リプカは結局、現実への不安、内臓が冷え込み心中で絶えず冷や汗が流れるような心持ちすら脇に置いて机に齧りつき、猛勉に燃えていた。


「……クイン様」

「なんじゃい」

「私、これから、何かを起こせるでしょうか?」

「知らん。だが、鳥も空に身を投げねば飛び立てまい。そしてお前には翼があるから、私たちはわざわざ、お前に様々、教えているのだ。結果どこに着くかは未数値だが……お前が、自らこの世界を駆け、羽ばたくことを、無理そうだと思ったことは一度もない。それでも不安なら言ってやる、――お前ならできる」

「アーーーッ! ――なんでお尻を叩くのです!?」

「オラ、分かったら、続きだ」

「はい。……クイン様、――ありがとう」

「……ん」


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