第百四十一話:二人の天才・1-1
フランシスからの返信は、空のてっぺんに浮かぶ雲が茜の色を帯び始めた、夕刻前に着信した。
偶然にも、ちょうど本日の勉学を終えて、自室のほうで椅子にもたれてへたっていたリプカは、短い着信音に飛び上がり――また胃に冷水を流し込まれたような緊迫が蘇り心拍数を跳ね上げながら、震える手で携帯機を手に取った。
そこには、専門用語と思しき単語がいくつも羅列された、スクロールが終わらないほどの長文章が記されていた。――だがどうやら、リプカ宛てと思われる文章は、その内の、最初の数十行に収められているようだった。
つまり、端的な結論報告である。
『【妖精的基盤症状】の治療法開発についてのご報告。
根治方法における理論に飛躍の余地は無し。
新たな方法を模索。
【妖精的基盤症状】の
【妖精的基盤症状】の維持方法を確立』
「や、やった……!」
思わず立ち上がり、リプカは興奮を露わにしながら頬に赤みを差したが――続けての一文は、ひゅっと息の漏れるような接続詞でもって、転じられるところから始まっていて。残念ながら、波風の無い凪とはいかないようだった。
『ただし――』
「――え」
『ただし――【妖精的基盤症状】が生む別人格の存在を、出生人格であるその者が認識した場合に起こる不整合は、変わらず避けられない。精神状態に大きな影響を及ぼすことは間違いなく、一時的な錯乱などの突発的な症状を患うことが予想される。
自覚によるニューロンネットワークの流動変質、眠っている間に“起きている”ということを認識することによって誘発される、自律神経を中心とした身体機能の変調、その他単純なメンタルの問題。
それらを解決するには投薬の開発が必要と思われるが、こればかりは長い時間が必要になると思われます。こればっかりは無理。ごめんね』
――一喜一憂。今度はストンと崩れ落ちそうになってしまったリプカだったが……。
全貌を見渡して
結論を見るには早く、要約文にはまだ二節ほどの続きがあった。
『――ということで、再度アプローチの視点を変えまして――――その結果、無事、【妖精的基盤症状】の成立方法を確立しましたー。天才。
投薬での解決は無理って話でしたー。
びっくりした?
精神や肉体の変調を押さえられるって意味では、治療法って言っちゃっていいんじゃないでしょか。興味無いけど、仕事は完璧にこなしましたとさ。かしこ』
「――――フランシス天才! すごい、頼りになるッ!」
素晴らしい報告であった。
リプカは再び立ちあがって、ぴょんと飛び跳ねるくらいの高揚を見せた――けれど。
何度目の“しかし”か分からないが。
飛び上がって喜ぶには、時期尚早であった。
そもそも。
フランシス・エルゴールという少女は、おおよそ人が望むもの全てを生来、備えているけれど。
しかし残念ながら――性格に関しては、絶望的によろしくなかった。
物語に登場すれば、まず人受けはしないだろう。悪女と呼ばれること必須である。
たとえ、大切な姉の頼みであろうと。
その大切な姉の存在が損なわれそうになっているというのなら話はまったく別だが、しかし、赤の他人が話の焦点にあるその場合には、融通を利かせることなど、まずあり得ない。フランシスの性格を知っている者なら、誰でもそれを予測することができるはずだった。
それで姉が悲しもうと。
じゃあ私が慰めればいいじゃん、としか思わない。そんな少女である。
手抜きではない。
だが要約文最後に記載されたそれは、今までの報告が、悪趣味な前置きに思えてしまう――絶望を綴った一文であった。
「ロボット? ヒューマノイド……? ええと、脳波をトレースして……、…………???」
専門用語は、何一つ分からなかったけれど。
総括として綴られている、その単語の意味は、さすがに理解できた。
『必要開発資金』
お金の話。
「ええと……、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまんひゃくまん、せん――。え、えっ? ――い、いち、じゅう……ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、せんまん、――いち……おく――、じゅう……――――」
ドサリと、携帯機を手の内から滑らせて、落としてしまった。
ハッ、ハッ、と呼吸を浅く速くしながら、慌てて携帯機を拾う。
何度見ても、残念ながらゼロの桁は減ってくれなかった。
――十エクス。
庶民感覚でいえば、一日贅沢な飲食ができる値段である。
――よく見れば、数字の終わりに記された単位は『エクス』ではなく、『レート』であった。
知らない通貨単位だったが、同じ大陸の通貨である、双方の価値を計る数え方に、山と平地の如き大きな差があるとは思えなかった。
たしかにフランシスは約束を守ったかもしれない。
しかしそれは……都合の良い答えではなかった。
始めて他人のために妹を頼ったそれ故に、その予期を抜かっていたのだ。
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