第百三十九話:もしも我が身のことなれば
また令嬢らしからぬ急ぎの駆け足でお宿に引き返したリプカは、戻ってすぐに固定電話機を借りて、シィライトミア邸に連絡を入れた。
ボタン入力のある見たことのない電話機に、ビビが割り出してくれたシィライトミア邸住所の番号を入力すると、交換手も介さずにコールが掛かった。
電話をかけてみたものの、あちらの予定も確認していなかったので、目的の者と都合がつくよう、リプカは祈るような気持ちで受話器を握り締めたのだが……。
『はい』
――数度のコールの後に繋がって返ってきたのは、お家の品位を担う使用人の丁重な口調ではなく、随分とぶっきらぼうな、聞き慣れた声だった。
まさしく、目的とする人物の声である。
「ティ、ティアドラ様……!?」
『――うお、マジでかかってきたよ。あー、俺に用か?』
「……はい」
なんとなく事態を察しながら、リプカは力が抜ける思いで返答した。
『なんだよ?』
「あの、お変わりありませんか? 例えば、セラ様の日々の様子に、急変が見られたりと、そんなことは……」
『あー……』
ティアドラは言い辛そうに、言葉に詰まった。
リプカはもう、それだけで察するところがあって、思わず俯いてしまった。
『まーなんだ……、あれだ、さっきもそうしてやったけど、あんまりウルせえからな、抱いてやったわ』
「えっ、エエッ――!?」
『骨が軋むぐらいに、全力でな。ハッ、そしたら今は、ネコチャンみたいに大人しくなってるよ』
よく聞けばそれは茶化すような冗談口調だったが、しかし苦笑の情のほうは、どうやら本心以外の何物でもないようで……。リプカは受話器を持ち直して、
「ティアドラ様……もし、セラ様が自傷行為に走るようなことがあれば、どんな手段でもいい、なんとか連絡をつけてくださいますか……?」
『ん……。あぁー……』
ティアドラはそこでまた、言葉に詰まって髪を掻くような間を作った。
――リプカは青ざめた。
『あぁー……わあった、あいつが酷い自傷行為に及ぶことがあれば、最悪渡された通信機からでも連絡つけるわ』
思わず、声を上げそうになったけれど――。
「――はい、よろしくお願いします……」
それを飲み込んで、ただ返答を返した。
ティアドラからの断りを最後に、受話器を置くと、唾を飲み込み、しばし立ち尽くすようにした。
(思ったよりも、セラ様の精神状態は切迫している……)
その状況認識と――。
(それは、そうだ、当たり前のことが起こっている――)
という考えの二つが、頭の中で思考を二分して、せめぎ合っていた。
四日後。
セラのことは、シュリフたるミスティアに任せるという考えに、変わりはなかった。
だがシュリフの予期した四日後に、いったい自分は、セラと何を話すのか……?
答えの見えない不安に、ゾッと背筋を冷たくしながら。
結局のところ自分は、幼子が騒ぐ程度のことしか成せないのではないのか、という、心の底に沈めた、恐ろしい考えにふと、取り付かれてしまって――それを払うようにかぶりを振ると、まだ少し震えたまま、リプカは電話に背を向けて歩き出した。
――震えは、行き先の不安を案じての理由だけではなかった。
もし、立場が逆だったら。
もしフランシスが失われるような状況に、自分が陥ったら。
それを想像して、無間の恐れに心を軋ませた少女は、今はただ、ただ、セラのために、祈っていた――。
そうして生まれた熱が暗い
ただ……。
その靄は心の奥底に姿を潜めて――消失することはなかった。
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