あと四日。・1-5
クインはリプカの隣まで歩み寄って、先程までシュリフが座っていた位置の反対側に腰掛けると、小さく息を吐いた。
「――なるほどな、あれが、【シュリフ】か。言い難い未知を予感する女だったな」
「クイン様。あの……言われた通り、未来視の演算に必要な情報を探ることと、ミスティア様の目的、それに伴う意思のはっきりとしたところを、本人の口から語らせること、そして、未来視の構造と精度の解明まで……聞き出すことは、できました。けれど……」
「みなまで言うな。どうやら完全に見透かされて、むしろあちらから進んで情報を開示してきたことは明らかだった。おちょくるみたいにな、腹立たしい」
クインは器用に頬杖をついた姿勢で、鼻息を吐いた。
「いや……おちょくるというより、単に合理主義なのか? 分からんな……そこらへんは……。まあ――どうやら奴は、私の存在にも気付いていたようだったが、それでも、直接この目で奴の姿を見据えたことには、意味があった」
「気付いて、いたでしょうか?」
「人込みに消える直前、お前からの視線が途切れた瞬間、こっちに向かって微笑みかけてきおった。わざわざ先回りして待機していたことも、ほとんど無意味だったわけが……なんか、そこはかとなくムカつくな、あいつ」
言うと、はしたなく仰け反った体勢で空を仰いで、遥か高い青に、ぼんやりと遠い視線を向けながら。
クインは見上げた空に放るように、口漏らした。
「しかし……【シュリフ】、か。――正直言えば、あの女は、ここで死なせてやるべきだと思うがな」
そんな、なんの気なしに口にされた言葉に。
リプカは身を固くして、クインを見つめた。
けれどリプカの視線を受けても、クインは動揺することもなく、背の側に身を預けた姿勢のまま、まるで独白のように続けた。
「面倒だとか、丁度よかったからとか、あるいは、自分の命を使って何らかを企んでいたというのならともかく……奴は、向かい合うべき運命と、ただ勇敢に、向き合っていたように見えた。この世に立つ、ただ一個の存在として――それに背を向けることなく、正面から笑んで、向かい合っているように。運命に矜持を示そうとしていた。私には、そう見えたが……」
「……そうは思えません。残された人はどうなります? その現実をどう受け止めればよいのです……?」
「――それは、現実を受け止めるしか、ないだろうなぁ。真正面から、運命というものに対峙して、いつか……」
「いつか、立ち上がらなくてはならない日もくるでしょう。しかしこの場合は、心がひしゃげる、それ以前の運命と対決することができるのですよ? 今ならば――!」
「そうだな……。しかし……運命は、当人それぞれの前にあって、……それぞれの前にしか、無い……。あの女も例外なく、いま、因縁と向かい合っているのかもしれない……」
「それでも――!」
「邪魔立てする?」
「――――クイン様は、本当に大切な人が、きっとたくさんいたから、分からないんだ。誰かと、喪失感を、乗り越えられるから。だから、分からないんだ」
リプカは。
まるで子供がそうするように、大きな声を上げた。
「その人のために用意した、自身の内の領域。それは、もう、私にとっての、心そのものなんだ……! その人に、笑いかけるそのことが――それが、その日常が、心なんです……。クイン様は、心が失われるということがどういうことなのか、わ、わ、分からないんだ……ッ」
「…………。本当に大切な人が、きっとたくさんいたから。――その通りだな。私には、大切な者たちが、多くある。だが……」
それもまた独白みたいに。
クインはそれを口にした。
「私は、その悉くを失った」
「あ……」
「今はたった独りの身。喚いていても始まらない、私は、再び取り戻さなければいけない。……けれど。――もし、その者たちの、一人でもが……真実本当の意味で、永遠に失われてしまったのなら……。もう決して取り戻せないという、その現実に、直面することがあったのなら……。私は……私は、無様に喚くことも、あるかもしれない」
だらんと、クインの体から、力が抜けた。
「また、その者が、その運命に、自ら直面しているというのなら……なるほど、どんな覚悟があってのことでも、例えその道しかない事態だったとしても……私はきっと、手が届くというのなら迷わず、それを止めてしまう。そんな現実が訪れれば、私は、折れてしまうかもしれないから。孤独の身で、そのような
涙もないのに滲む瞳で
クインはその手を、ペチンと払いのけた。
そして彼女は――ニヒルな笑みを、リプカに向けてみせた。
「だがな。私はそれでも、その時その現実から、僅かも逃げるつもりはないぞ。死んだ彼の者の意思をも背負い、いつかきっと、再び立ち上がってみせる」
ぐちゃぐちゃに色混ざりながらも、奥底でぼうっと滲むように光灯った瞳を見つめて、リプカはこくりと、息を飲み込んだ。
「自分語りが過ぎたな。まあ何が言いたいのかというとだ、相手方にも、それこそ心の在り方を賭けた事情があるやもしれんという、そんな話だ。それは、誰かを想ってのことだったり……かけがえがないと想っているのは、一方だけとは限らないのだから」
「…………」
「まあ、色々言ったがな……勘違いするなよ、私自身の意見がどうであろうと、私はお前と意見を
「……はい」
「ま、やれるだけ、やってみるがよい。生きとし生ける者の責務だという話を交わすには、早いのも確かだしな。それに、対決すれば、自ずと答えは出る」
言うと、クインは立ち上がり、リプカへ顔を寄せると、そっとその頬に口付けをした。
「私がお前の力になるという、そのことは忘れるな。私の婚約者候補」
少しだけ頬に赤を差したリプカを置いて、クインは先だって、その場を後にした。
リプカは少しだけ俯き考えてから……立ち上がった。
明らかになにかを察していたクインが、何を思っていたのか、気になるところではあったけれど。
「――――違う」
リプカはそれでも――。
「……人間に、全てを乗り越え切るような強さは備わっていない。慣れると霞むは、違う。再び立ち上がったそのときも……喪失感はきっと、僅かも霞まず、在り続ける――」
シュリフの去っていったほうを見つめながら、独白した。
「仕方がないことだって……当然、ある……。でも、助けられるなら――」
呟き、思いを噛み締めた――そのとき。
『そういえば――』
通信機から、ノイズの入ったクインの声が鳴った。
『ダンゴムシ、お前、あのシュリフとやらに……アリアメルのの様子については、特に聞かなかったな。なにかワケがあったのか?』
その問い掛けに――。
リプカは悲痛な表情を浮かべて、俯いた。
「……そのことは、お答えできません」
それだけ返答して、通信機を切った。
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