あと四日。・1-4

 ――姿は子供だというのに、大人のような蠱惑の色香に溢れた、瞳を瞑った、整った顔が間近にある。


 目を瞑って――まるで貞操を預けるように、静かに佇んでいる彼女の表情。

 よこしまな色気もなく、透明に、ただ、待っている。


 どういう色の混ぜ方をすれば、そんな純粋な色彩になるのか……色が何重にも重なっているのに、どうしてか透明を思うほど無垢なその顔つきは、男女問わず魅了してしまうような、魅力にあふれたもの――そのはずなのに。



 だというのに。

 どうして――?

 どうしてか――……。




(――――――――――――――――!!!??)




 ――――――――――フーッ、フーッ、フーッ……という、獣が吐くような荒い息が、自分の口から洩れていることに気付くまで、しばらくの時間がかかった。


 リプカは。


 立ち上がり、表情に滝のような汗を流しながら、息を荒げてシュリフの表情を見つめていた。


 自分がいつ立ち上がったのかも記憶にない。


 焦燥の中、胸中にあるのは、たった一つの思い――。


(――――――怖い)


 胸を埋め尽くす、恐れだった。


(どうして……? どうして……私は、こんなにも怖がっている……?)

(何を恐れている……?)

(分からない。けれど……)

(なにか……)

(ここで、ミスティア様に、口付けしてしまったら。なにか……全てが終わってしまうような……。そんな、予感が……どうしてか……)

(恐ろしいほど明確に――――)


 ――慄いている間に、シュリフが瞳を開けた。


「――口付けは、また今度の機会に。……さて、他に聞きたいことはあるでしょうか?」

「……いいえ」


 リプカは流れる汗を拭いながら、なんとか平静を保って、答えた。


「でも、ミスティア様。私は、貴方様とお話ししたいことが、たくさんあります。質問や駆け引きじゃなくて……ミスティア様が、ふわりとした理念にしか感じられないと仰ったところを、今この時間に、語りたい、聞いてほしい――。貴方様と、今、お話しがしたいです」

「ありがとう、光栄な機会だけれど……少し、時間が無さそうです。それに――」



「そうして確かめ合うことの全ては――私と口付けを交わすことで、答えが出るから」



「リプカ様とお話しする事は、楽しいひと時を期待してしまいますが、しかし、申し訳ない、その時間はなさそうです。頑固な姉は、思った以上に手がかかりそう――」


 ……どうやら、その言葉に嘘はなさそうで。

 そのように見せているだけかもしれなかったが、そう言われてしまえば引き留められない。


 それに。


 少しでも時間を取るために、今とりあえず口付けを交わして話を進めることは、絶対にやめたほうがいいと――不気味なほど確かな予感が警告していた。


「残念です……。今日はこれで、お別れですか?」

「こちらの都合で失礼致しますが、本日のところは、これで。次に貴方様と会う機会を、楽しみにしております」


 ――と、シュリフがそう口にしたのと、ほぼ同時に。

 ピピッと鳴き声を上げて、空から一羽の小鳥が降りてきて、シュリフが咄嗟に上げた腕に停まった。


「《ピキチキピヂルピピピキピ――……》(×××××、×××警告××、暴れ×××獣)」

「ありがとう」


 礼を言って腕を跳ねさせ、小鳥を飛び立たせると、シュリフは立ち上がった。


「――少し、間に合わなかったようです。急がなければ」

「あの――ミスティア様、ほとんど聞き取れませんでしたが……あの子は、なにかの危険を警告していたような……?」

「いいえ、危険ではなく、伝えてくれたのは、限界です」

「…………。ミスティア様、私に手伝えることがあれば――」

「いいえ、大丈夫、こちらのことは、任せて。これは、私とセラフィで解決しなければならない、向き合わなければいけない問題だから」

「そう……ですか。分かりました」

「ありがとう。――とはいえ、これ以上ティアドラ様に苦労をかけるわけにもいかない。――では、本日は、これで」

「は、はい。また会える日を、私も、楽しみにしております」


 シュリフはニコと笑むと背を向けて、今日は普通に歩いて、去っていった。――ただし、人込みに紛れた瞬間、まるで霧のようにその姿を見失ってしまったけれど。


 様々思うところはあったが――とりあえずリプカは姿勢を解くと、頬に汗を浮かべながら、芯から抜けるみたいな長い息を漏らした。


 ちかれた……。と一言漏らしてから、また姿勢を正して。

 そして、ポケットをごそごそとやってから、口元に手を当てると――そこから少し離れた、歩道横の生垣へと、声をかけた。


「クイン様、終わりました」

『ん』


 手に握った無線形式の簡易通信機から、ちょっと遠い声の返答が返ってきて――それと同時に、生垣の影からスッと、クインの姿が現れた。



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