第百話:イタズラ混じりな労いと、走馬灯

 セラに対する印象に、どこか曖昧を抱いていたことは、もう何度か自覚していた。


 術品収納室コレクトルームでセラと別れ、廊下向こうで扉を閉めたそのとき、ふと、リプカはそれを思った。



『気付いていますかセラフィ。そうやって他人と壁を作り遠ざけるから、貴方はリプカ様を巡る婚約騒動、かの王子方の中でも、特別、個性が薄い印象があったのですよ』



 シュリフたるミスティアの言葉を思い出す。


(どうしてか、とても私を高く評価してくれて……折に、厚い情を向けてくれる)


 嬉しかったし、それは温かさを抱く幸いであったけれど、どうしてそうしてくれるのか、明には分からなかった。


 そんな彼女の考え方については「これから付き合う中で、そういったことも知れるほど、心が近づく機会があればいいな」程度の些細として置いておいた疑問であったが、改めてそのことに関心を寄せた。


 もちろん他の王子方とだって、まだ出会ったばかりであるけれど、セラという人物像を推し量ることは……特別、難しいことであるように思えた。

 人柄を推し量るなんてナンセンスな考えかもしれないけれど、それでも。


(――クララ様は、私に愛を伝えてくれた人。私に好意を抱いてくれている……。最初は、どんなときも穏やかでお淑やかなお方だと想像していたけれど、一緒にいるうちに、ユーモアに溢れた側面、親近感の湧く人間らしさを見る機会もあって……その意外な気質に触れたとき、ちょっと距離が縮まったように思えて、密かに嬉しく感じていたりしました――)


(アズ様は太陽のように明るいお人で、もちろん人には様々な情があるにしても、「そんなこと当たり前でしょ!」と、例えば笑顔と共にそう言いのけてみせるような、カラっとした気風の良さを持った、眩しいお方)


(ビビ様は、まだ分からぬところも多いけれど、不思議と、一緒にいると気が落ち着くお方。それはきっと、あの方が思ってくれる友好が、向かい合っていると、はっきりと伝わってくるから。最初はよく分からなかったけれど、知れば知るほど、彼女の懐の深さに気付かされて、一緒にいるだけで温かい気持ちになれる……)


(クイン様は、明るいところも、陰のところも多くが見えて、勝手ながら、人柄の多くのところを知ったような気分になっています……。まだ見えぬところも、もちろんあるのでしょうが、溌剌なところも、無理を強いている陰たるところも、彼女の人柄として目を逸らせぬものであった――)


(そしてティアドラ様は……まだきちんとお話する機会も少ないですが、どうしてか――彼女の人柄が一番、分かり易く思う。印象であるはずのそこに、吐息の温度のような、確かな実感を思っている。――いつからだろう……? どうして分かり易く思ったのか……? 分からないけれど、彼女と接するうちに、なにか共鳴するものを感じ取ったような気がする。――それは、例え彼女から明確な殺意を突然向けられるような突飛があっても、変わらぬイメージであるだろう)


 ――だが、それで言うと、セラは。


 お話ししたり、何度も助けてもらった中で、彼女の気質に触れることは多くあったはずなのに、その印象にどこか、正直、曖昧を感じていた。


 それは今も。どころか、余計に霧がかった印象をもって――。


 ――ひょっとして、人間関係とは意外と、こういうものなのだろうか。

 考えたが、それは、いままで友達の一人もいなかったリプカには分からないことだった……。


「お疲れ様でした」


 と、そんな心情の隙を突くように。


 から、よく通る、そんな声が届いた。


「ひゅっ――」


 リプカは絶息して小さく飛び上がり――永久の時を一瞬に覚えた。


 …………フランシスの気の強い笑顔が、一番に脳裏へ、色鮮やかに投影された。


 現実時間の一瞬の間の後、死をも覚悟した心境でそちらへギギギと首を回せば、そこには、いたって普通に微笑みを浮かべるシュリフの姿があった。手を伸ばせば触れれる、真隣りにである。


(気配が――――まっっっっったく無い…………!)


 ぜーひゅーぜーひゅーと呼吸を荒げ、滝のような汗を流すリプカへ、シュリフは眉を傾がせてみせた。


「申し訳ございません、驚かすつもりはなかったんです」

「――う、嘘です……。ミスティア様は、きっと、驚かす気マンマンでした……!」


 真っ青な顔で頬を膨らませ、指を指してくるリプカに、シュリフはクスクスと、どうしてか憎む気になれない、少女特有の笑いを向けた。


「ミ、ミスティア様……いじわるです……。わ、私を置いて、去ってしまうなんて……!」

「リプカ様、セラフィの心情には近付けましたか?」

「無視……!?」


 リプカは髪をみょんと四方に散らして仰け反ったが、話題の重要に気を取り直し、コホンと咳払いして姿勢を正した。


「それが……よく推し量れなくて。話を聞くほど、まだ見ぬ一面が増えて、かえって混乱してしまうようでした。でも、もしかしたら、それは当たり前の話なのかもしれません……」


 リプカの答えを聞いたシュリフはニコリと微笑み、リプカの手をそっと取った。


「ここではなんですし、私の部屋でお話ししましょうか」

「はい、是非に」


 シュリフに手を引かれ、二人、歩き出した。

 その道中、リプカは唇を尖らせて苦言を呈した。


「ミスティア様は、どうやら悪戯好きなところがあるようですが……先程のは、本当に心臓が止まりかけましたよ……! ほ、本当に……!」

「フフ、ごめんなさい。――セラフィとは、術品収納室コレクトルームで?」

「ムゥ、はい……。あの、一人でないと、ミスティア様は会いたがらないかもしれないからと……。ここで別れましょうと、そういう話になりました」

「そうですか。申し訳ない、確かに私は、複数人と会うことを不得手とするところがあります。――二人以上の話を、一片に聞き分けられない性質を持っていまして」

「二人以上の話を……?」

「ええ。複数人の同時発言を、言語として認識できない性質です。そのため、話すなら一対一を好ましく思う。――私の“尖り”に付き合わせて、ごめんなさい」

「いえ、そんな……!」

「お詫びというわけではないですが、禽鳥きんちょう語を教えて差し上げます。――きっとこの先、役立つときが来る」

「……それは、その、無理だと思います」

「フフ」


 シュリフは控えめに微笑み、ふと、目を瞑った。


「全てのことは先入観の像です」

「――え……?」

「世の大体のことは、己の内の先入観という光が結び映す、その人にとっての実像であるというお話です。――習ってみれば分かる、本当に意外と、単純なものですよ」

「……でも、セラ様は習得できなかったとか」

「ですから、あれも意外と、不器用なところがあるのですよ」


 そうなのだろうか?

 だとしたら、それもまた、今まで見えなかった、意外な一面性。


 距離の遠いその人に歩み寄るのに必要なことは、複雑な多角形の一面、その全てを見て理解するということなのだろうか……? ――なんとなく、それはちょっと違うような気がした。


 だって、この世の誰よりも親密な距離にあるフランシスのことですら、到底、その全てを理解しているとは思っていないのだから。


 そして、その不明をもが、愛しかった。


 よく分からないなりに、人間関係とは――きっと、そういうものなのだろう。



 

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