第九十六話:シィライトミアの姉妹

 完全な敵と見なされてもおかしくない振舞いを働いたうえで、自分はこの対面の機会にいったい何をやっているのかと困惑しながら……。


 リプカはどうしていいのか分からず、とりあえずクローゼットの中で息をひそめ、棒立ちになっていた。


 シュリフは、いったいどういった思いで、こんな意味不明を企てたのか……?

 その答えは、すぐに判明するところとなった。


「ただいま帰った」

「お帰りなさい、セラフィ」


 部屋を訪れた相手は、確かにセラフィであった。


 薄板一枚挟んだ向こうで交わされる会話に滑稽な怯えを感じながら、何故に自分はいつだってこうも道化じみた醜態を晒してしまうのか、と頭を抱えていたのだが――。


 しかし、今回妖精の悪戯に選ばれた対象は、リプカではなかった。


「……裏庭に危険な野草が生えたとかで、裏口へ誘導されたぞ。お前の仕業じゃあないだろうな……?」


 おや?

 と、リプカは首を傾げた。


 それは、幼い子供が拗ねた声を出すような調子であったから。


 凪いだ海を情景として思わせるほどに落ち着いた、あのセラから発せられたものだとは思い難い。


 もしや他の姉妹方なのでは、とふと考え、両扉を無理矢理にでも薄く開こうかという衝動にすら駆られたが――よくよく思い返せば、シュリフは確かに、板向こうにいる相手に「セラフィ」と呼び掛けていた。


「お前の仕業、とは?」


 愉快そうに、挑発の色をほんの僅か交えて問い返したシュリフに。


「またお前の、企みの誘導ではないかということだ」


 セラは、冗談じみながらも確かな苛立ちを露わにした声色を返した。


「何事も疑っていたら、疲れてしまいますよ、セラフィ」


 その人を喰ったような回答に、セラはため息をついて、入り口付近にあった椅子だろうか? どこかへ腰を降ろした。


「…………」


 リプカや表のミスティアに見せていたのとは、人が異なるような所作。

 それを見てリプカが抱いたのは――ある種の、心の安らぎであった。


 人に表も裏もあったものではない、と考えているリプカであったが。

 まったく色の違う態度で家族と接するセラフィを垣間見て、なんだかようやっと、彼女の人柄の模様というものを目にしたような気分になったのだ。


 ――と、ふと今更に、気づく。

 クローゼットの両扉、その左右から、ごく小さく光が差し込んでいることに――。


 ……それは都合良く空いた、覗き穴であった。


「…………」


 その企みの悪趣味に、さすがに少し、腹立ちに似た気分の悪さを感じながら。

 右側の覗き穴を見れば、そこには、隠せぬ疲労で目の下に彫りを作る――苛立ちと悩ましさが混じった、童子を思わせる不貞腐れた顔でそっぽを向くセラの姿があった。

 ……セラは、今日も腕まで隠す手袋を身に付けている。


「で?」


 顔はそっぽを向けたまま、横目の目線だけシュリフへやって、セラは推し量りを期待する一言を向けた。


「で、とは?」


 しかしシュリフは素っ気ない。


 そんな彼女に、セラは忍耐強い表情で、眉を顰めて応する。


「――今回は何を企んでいるんだ? 今更気にもしないが」

「はたしてどんな企みでしょうね。あるいは、何も企んでいないかもしれません」


 右側の覗き穴から見て見れば、シュリフは他の王子方のある窓下を見下ろしながら、そんなことをのたまっていた。


 セラは小さく息を吐き、シュリフから視線を外すと、しばらく沈黙した。


 その沈黙に、気まずさはどこにもない。


「……、お前が目覚めたという情報が、アルメリア領域に漏れていた」

「今更ですね」

「それだけではない……“シュリフが成った”という情報すらも……。…………。――お前か? アルメリアに情報を……漏らしたのは……」

「いいえ。――私の半身たる、ミスティアの存在に誓って」


 シュリフはそれをきっぱりと否定し、そして……セラに呆れた声を向けた。


「確かに、私は色々と企むこともありますが……セラフィ、貴方にいらぬ苦労をかけるような真似はしませんよ」

「苦労をかける真似はしない、だって?」


 再びシュリフへ視線を向けたセラの眉は、それはもう盛大に顰められた、しかめっ面であった。


「本気で言っているのか?」

「それはもう。貴方に迷惑をかけたことが、今までありましたか?」

「それはもう、だ!」


 笑いを含みながら口にされたその問いに、セラは頬に汗を浮かべながら、声を大にして否定を叩きつけた。

 シュリフは隠すこともなく、クツクツと笑い声を上げた。


「十一歳の頃、アルメリア家の暗部部隊の存在を暴き、掻き乱すだけ掻き乱して存在を明かしたあの騒動で、終始てんやわんやと翻弄されていたのは誰だ!? ――それに、あれも十一歳の頃。とある下町の娘と紹介された少女が……オーレリア皇女であった。あれは迷惑に含まれないのか?」

「ほんの悪戯ではないですか」

「腰と首が千切れるかと思うほど頭を下げた、臓腑が捻じれ、寿命が一年は縮まった……!」

「フ、フフフ」


 上手く言い表せないが、どこか人間味からかけ離れたところはあったが、それでも屈託なく笑うシュリフを前に。


 セラはトーンを落とし、眉の間の皺を均して、尚も目を背けながらに、語った。


「……フラムデーゼドール家の力で、巨大な貯水湖を作り出したのは、十三の頃だったか」

「そうですね」

「あれも……世間への誤魔化しが、本当に大変だった。……私を秘密裏にアルファミーナに渡らせたのが、十五の頃だ。あそこは……本当に、過酷な場所であった。――竜のほこらへそれと知らず誘導されたのが、十四のとき。お前は私を盾にして、一人無事を確信しているのか知らないが、愉快そうに笑っていた。直近では……オーレリア皇女に、『オーレリアとオルエヴィア、なんだか響きが似ていますね』と軽口を投げかけたことか。戦時中だぞ……肝が冷えた」

「そんなことも、ありましたね」

「あとは――」


 その他二つ三つ思い出を語り、シュリフがそれに相槌を打って――。


 やがて、沈黙が訪れて。


 ――無言のままセラが立ち上がり、シュリフの元へと歩み寄り、――そして抱き寄せる光景を、リプカは瞳を見開いて見つめていた。


「――――消させるものか」

「――大丈夫」


 シュリフは抱かれながら、セラの頭を抱いて。

 溌剌とした、未来への明るさを啓示した希望の声を、全霊の愛を示す姉にかけた。


「大丈夫。きっと、貴方の進む道に、未来たる光が照らされる。――私がいなくなっても、貴方は歩み続けることができる。私はずっと……貴方と共に在る」

「……認められるか。必ず、道を見出す」


 セラはますますにシュリフを抱き締めた。


「――苦しいわ、セラフィ」


 シュリフがそう呟いても。

 セラはその力を僅かも緩めなかった。


 ――シュリフを抱くセラの腕は、震えていた。

 その光景は妹と姉というより――姉と、妹といった印象を受けるもので。


「大丈夫」


 それだけに、シュリフの“大丈夫”が、余計、悲しさを伴って映った。


 セラはシュリフを抱き締め続けた。


 シュリフはそんなセラの頭を、優しく撫で続けていた――。



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