再会・1-2
「まず、常識とは人間社会において欠かすことのできない規律ですが、人のそれは、知的生命を名乗らぬ動物のそれとは異なる構造で形作られています。つまり、“習性”という原始本能の外側にも、共通意識の枠組みを形作ることができるという、知能の特異が生み出した独特な共通意識の構築なのです。本能とイコールで結ばれない築き――または、それは社会構築という人の本能がそうさせるのかもしれませんが――とにかく、生来的なものであれ獲得した英知であれ、共通意識を少数人の意思で再構築し、瞬きの間でまったく新しいものへ更新できる自在を体現した稀有な動物は、他にありません」
なんだか難しい座学のような講義だったが、しかしその語りには、内容がスッと入ってくる、聞き取りやすい明解があった。
意識に響くような独特な声色の引き立てもあり、不思議と理解が進む――。
「集団の円滑を求めながらも排他的側面を持つ常識という敷居ですが――実はその構築様式は、二つに大別できます。『社会的常識』と、『集落的常識』です」
「社会的常識と……集落的常識?」
「社会的常識はリプカ様もよく知る通り、人間社会を成り立たせるために多く生まれた常識です。社交界の常識、経済流通を成り立たせる売買という常識、また敷地という常識や、挨拶という常識に至るまで、社会構造に主眼を置いた際にその枠組みの内にある常識がそれです。――そして集落識とは」
シュリフは言いながら、ニッと笑った。
「人間が集団を形成するために形作られた常識です。集団の意思疎通を円滑にするものではなく、ただ集団という一群を形成するための意識、その構築を指します。それは例えば、閉鎖的な環境から人を散らさぬために形成された集団意識であったり、血を重視した家系の種を存続させるために作り上げられる定まりであったり、また一族間の風習や、小さなスケールに視点を向ければ、家族間での決まり事なども集落的常識に当て嵌まる要素があるでしょう」
「なるほど……」
「――そして集落的常識は、社会的常識よりも遥かに“業”を呼びやすいという特徴があります。囲いが過ぎれば、人は次第に判断力を失ってしまうものです。リプカ様がアリアメル連合の在り方に対し想像していた様相は、こちらの常識ではないでしょうか?」
「まさに、その通りです」
話が繋がり、整理してくれた話の分かりやすさに感心してリプカはコクコクと頷き――間をおいて、己の無知の発露に赤面した。
そんなリプカに、シュリフは優しく微笑みかけた。
「そのようなお考えになったのも無理ありません。アリアメル連合の歴史を紐解けば、そのような事情が散見されることもまた事実です。――ただ厄介なことに、そのような事情の数々は、それが社会的常識であるのか、集落的常識であるのか、いくつもの不思議と称される奇妙が重なり、分別がとっても難しいのです」
「と言うと……?」
「女性が子を産むために必要となった事情は、実に集落的常識な因習と言えるでしょう。しかし、男性に過度な男性らしさを、そして女性に過剰な女性らしさ――または男性らしさを強いる風習は? これは社会的常識でしょうか? それとも集落的常識でしょうか?」
「あ……」
リプカは言わんとしていることに気付き、小さく声を漏らした。
シュリフは感情を挟むでもなく淡々とした口調でそれを口にしたが、種を存続させるための
だがそこから生まれた、らしさを強いる風習は?
社会構造に軋みさえ生み出しかねない前者と違い、後者はもはや、いまや社会的な潤滑の役割さえ担っているのでは?
社会的常識と集落的常識が混ざり合った曖昧。単純な業とは言い難い複雑の、その構造は――?
けれど、正直なところ……。
その例えに、直感的に解せるところはそこまでだった。リプカは今はまだ、知見の視界及ばず、判断以前の段階で立ち往生してしまっていた。
「……ミスティア様、申し訳ございません、そのお話はまだ、よく理解できぬところにあります」
「その理由をお聞きしても?」
「それは……私は、その風習の実際を、まだこの目で見ていないからです。今晩の社交界からは、その事情を発見できませんでした……」
「いいえ、貴方様はもう、その実際を、その目で見ている。それに気付いていないだけ」
「えっ――?」
意外な返しに面食らうリプカへ、シュリフは間を仕切るような微笑みを浮かべた。
「近代において、集落的常識が、正義の御旗を掲げた社会的常識に踏み潰され塗り替えることは、ままあることです。しかしその事情が社会的常識に取り込まれてしまえば、一筋縄にはいかない。セラフィはそこに苦悩しているようですが――今晩語れるところは、ここまでのようです。お時間が良い塩梅になりましたので――」
お別れの切り出しを受けて、リプカはコクリと息を飲み込んだ。
辿り着いた現在地点は、シュリフの思惑において、どの程度の進行度であるのだろう? そのことが気がかりになり、心身へ冷たいものが奔った。
室内から流れてくる曲が、ちょうど区切りを迎えた。シュリフは最後に大きく艶やかに体を動かすと、余韻を残しながら共に踊る足を止めて――少しだけリプカと見つめ合うと、手を引いて、再びテラスのベンチへリプカを
「リプカ様、なにも事実は大げさなものではないのです。例えばよく練られた怪奇演劇のように、劇的にゾッとするような気付きなど、なかなかあるものではありません。そこにあるのはもっと普遍的な共通意識。社会的常識と集落的常識、迷ったときは、そのお話を思い出してみてください。……時間が来たようです。小言を言われるのは嫌ですからね」
「それでは、今晩はこれで、失礼致します」
ミスティアがそう口にした瞬間――。
背後から、ワッと、突然に歓声が湧き上がった。
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