【シュリフ】・2-3

「今回、セラフィは貴方様方の助けを必要としていません。例に漏れず、今度のことも自分一人の力で解決しようとしているから。それが最善だと頑なに信じている――。会おうとすれば拒まないでしょうが、ただ会いにいっても、味方として助力を授けることは難しい。敵対はしないけれど、今一歩を踏み込めず苦心するでしょう」


 ――ふとリプカの脳裏に、痛み入る感謝を示して微笑みながらも、しかし爽やかな表情、美しい姿勢で、優しさを見せながらもきっぱりと断りを入れるセラの姿が想像された。


 外見の物腰がどうであろうと、決して揺れぬ芯を持つ人――。

 リプカの見た、セラの姿。


「……どうすれば」

「――近々このシィライトミア領域で、クリスタロス家が主催する社交界が開かれます。そこへ赴き、そこで、アリアメル連合の在り方を観察してください。そして、貴方様自身が答えを出したそのとき、セラフィに会いにいってやってください。私はそれをお待ちしております」


 話の端々から感じ取っていた通り。

 シュリフは確かに、姉の――セラフィのことを、特別に想っていた。

 自分のことを病巣と表現しながらも、愛しい者に向ける愛を、確かに。


「これが、クリスタロス家が主催する場の招待状です。窓が開く頃に会いに来てください。そこでまたお会いしましょう」


 言って、シュリフはローブの内から、煌めく発光色の水色でお誘いの文が綴られた、踊るような書体で封を彩る素敵な招待状を取り出して、それをリプカに手渡した。


 封を見ただけで非日常感の予感に胸を打たれる、最高にワクワクするそのお誘いのふみを、しかしリプカは固くなりながら、こわばった息を飲んで、それを受け取った。


 シュリフはそんなリプカに微笑みかけた。


「大丈夫、貴方様を慕う三人の王子が力を貸してくれるでしょう。それぞれがそれぞれに特徴の尖った手本を見せてくれる。――さて、時間が来ました。これ以上はセラフィに勘付かれる。今晩はこれでお暇致します」


 招待状を懐に仕舞ったリプカの両の手を取って、シュリフはリプカの瞳を真っ直ぐに見上げた。


 見つめ返しながら。

 リプカは背の低いところにあるその瞳を覗いて、不思議な瞳だ、と――言い得ぬ感慨を抱いた。


 冷たいのに熱い。


 意思が見えるのに冷えている。


 夜空の向こうを連想させる幻想的な魅力のある瞳であるのに、しかし――何故か、何かが決定的に足りていないようにも思えた……。


 そんなはずはないのに、人情は確かに伝わってくるはずなのに――感情の欠落を感じてしまうような。


「リプカ様」


 それでも――。


「セラフィを解き放ってやってください」


 多少、その内心が読めなかろうが、それでも――。


「苦悩を置き去りにして、現実を見据えることに決意を抱いた私の姉。その道すがらで捨てた、心の余裕が鍵となる。どのような結末が訪れるにせよ、せめてセラフィが笑えるように」


 彼女がセラフィのことを、心の底から案じているというその一点だけは、人の血に触れるような人情の温度をもって、伝わってきた。


 そこに幸いを願う愛がある。ならばその他の不明など、リプカにとってはほんの些細であった。


「お願い致します。どうかその道を選び取っていただけませんか?」


 それがどのような願いの道筋を辿る未来図の描きであるのかは、忘れず気を配らなければならない。けれど。

 そのセラフィが笑える結末が訪れるようにと、彼女は願った。

 その一点を真実とするなら、リプカは彼女を信じる覚悟を抱けた。

 真っ直ぐに。


「もちろんです。私にできることがあれば、お力になりたい。私はアリアメルの地へ、それをするために来たのです」


 リプカの、精一杯に胸を張って言葉にしたことに、シュリフはニコリと微笑んだ。


「ありがとう。不出来な姉ですが、どうかよろしくお願い致します」

「――セラ様は、とても聡明なお方です。私も何度も助けてもらった」

「不出来ですよ」


 シュリフは眉を下げて笑った。


「だって、こんなときになっても――私は、セラフィのことが心配で堪らないんです」


 ――シュリフ。病巣だと自己を表現した少女。


 リプカは迷ったが、考えた末に結局、彼女のことを――そのように呼んだ。


様、今晩は会いに来てくださって、嬉しく思います。私、きっとセラ様のお力になりますから。だから――ミスティア様、貴方様とまた会える機会も、楽しみにしております」


 シュリフの手を取って伝えた、リプカのそんな台詞に。

 彼女は、暁の光のような、透明な微笑みを浮かべた。


。……そうだと思っていました」


 そう言うと、ゆっくりと、リプカのほうへ歩を詰めた。


「窓が開く頃に会いに来てください。――また幾度かお会いできる機会もあるでしょう、それでは、今晩はこれで。次は星の降る夜にお会いしましょう」


 顔を近付けて、耳元でそう囁かれた――次の瞬間。


 バタン、と。


 部屋の扉が、聞こえた。


「――――えっ!?」


 気付けば、部屋にはもう誰もおらず。

 従業員スペースにしては小奇麗なその小部屋には、リプカひとりぽっちであった。


(――そんな馬鹿な)


 人がなんの気配もなく、意識の目すらも掻い潜って行動できるものかと愕然として、いまさっきまでの、僅かばかりの邂逅の時間は幻であったのではないかと疑ったが――意識を飛ばすほどの驚愕から覚め、慌てて外に出てみれば、厩舎からこの真夜中に、リプカたちの乗ってきたものとは違う馬車が今まさに出立するところであった。


 リプカはその馬車を、ただぼんやりと見つめながらに見送った。


 馬車の姿が見えなくなると、体の芯から力が抜けてしまうような息が、意識せず漏れた。

 脱力したまま佇むうちに、ふと、今になって気付くことが多くあった。


 シュリフ――彼女の佇まいには、礼儀で底を隠すような態度や、表情豊かな薄っぺらな能面といった、ありふれた虚実の取り繕いは一切感じなかった。しかし、人柄を隠すことなく見せていた、温かさえ感じるその表情には――思い返せば、微笑みの表情の一点しか、存在していなかった……。


 感情の欠落を感じてしまった理由。

 喜怒哀楽のどれかが、欠けてしまっているかのような違和感。

 今更に、彼女が自身を指して病巣と言った、その表現に含まれるいくつかの深刻にも気付いた。


 病巣。


 病巣は――取り除かれなくばならない。

 そしてその要因を取り除かない選択を取った場合、今度は――病巣以外の全てが覆い潰され、亡くなってしまう。


 セラの苦境に、今更に至る。

 そして自分は、セラの力添えになりたく思い、ここへ来た――。


 急に寒さを感じて、リプカは小走りで宿のエントランスへと駆けた。

 不穏を煽り不安に染める闇をかき消す、温かとすら感じる人工灯の灯りのほうへ逃げ込むことに、何故か少しばかりの負い目を覚えながら、リプカはみなの元へと急いだ。



 

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