【シュリフ】・2-1

「なにか私に聞きたいことがあれば、仰ってください。それにお答え致しましょう」


 時間は昨晩のこと。

 従業員スペースにしては小奇麗な一室での会話の、その続きであった。


 ――それはいくつかの雑談を挟んだ後の、だいたいの時間に焦点を合わせた“続き”というわけではなく、彼女は歓迎の言葉から何かしらの会話を挟むでもなし、文字通り前置きなくそう切り出したのだった。


 際立った色香はどこか雲のように捉えどころなく思える怪しげな妖艶、胡乱ともいえる雰囲気を纏う彼女は、その外見からの印象と反して、出会ってからそれが信念なのかと思われるほど一貫して、端的であった。


 リプカは迷った。試されているのかと思ったが、彼女の表情を見ても、その答えは窺えない。そういったわけではない気もするし、実はそうであるような気もする。口紅の赤を思うほど彼女の表情は鮮明であるのに――なぜか、どうしてか、捉えどころがないと感じてしまう――。


「……貴方様は、ミスティア様ですか?」


 リプカは結局、こういったことに頭を使うことは不得手と半ば諦めるように割り切って、一番聞きたかったことをそのまま問い掛けた。


 彼女はリプカの見るところ、形作りだけは確かにミスティアのものである容姿で、ニコリと微笑んだ。


「ある意味間違いございません」


 しかし返ってきた答えは、曖昧なものであった。


「ある意味……?」


 リプカは呟いたが、彼女はそれに対してはなにも返答しなかった。


 駆け引きについて割り切る潔さを選んだ今、できることは一つと、リプカは長考の間に囚われずに問い掛けを続けた。


「……ミスティア様は、【眠り病】の病状で、いまは眠りについているはずでは……?」

「【眠り病】という名の奇病は存在しません。それは今から百五十年前にシィライトミア領域で観測された、解決された不思議であり、とある種の岩肌が削れると天然の睡眠薬となるといった事情の現象でした。いまはそれが不眠の薬として使用されることすらあります。――【眠り病】とは、我が姉がミスティアのために流布した虚実です」

「え――……?」


 端的なうえに補足まで付け加えられた答えに、混迷に陥る。


 分かりやすいが故に消化の難しい質量をもった情報の塊に、聞いておきながら勝手に事実という柱に激突したような有様で、リプカは必死に整理をつけようと頭を働かせた。


「あの、えっ、では……――。……――――」


 落ち着け。

 リプカは目をぎゅっと瞑り、自分に言い聞かせた。


 こんなとき――。

 こんなとき、クイン様ならどうする?


 もう何度も助けてもらった、その冷静な観察眼をもって答えを導き出す在り様を思い出しながら、リプカは自身に冷静を言い聞かせて、問題を構築する一つ一つへ、確実にしっかりと目を向けるように努めた。


 ――彼女の歩幅でゆっくりと長い時間をかけて、リプカはやっと、一つの問い掛けを口にした。


 それは確かに、いかにもクインが真っ先に尋ねそうな問い掛けであった。


「貴方様は、何者ですか?」

「私はミスティア・シィライトミアに巣食う病巣です」


 彼女は表情を変えずに答えた。


「ミスティア・シィライトミアの第二人格ともいえるかもしれません」


 ――思考がホワイトアウトした。


 意識にホワイトイメージを吐き出し続ける脳機能。そんな場合でないと言い聞かせても、応答すら返ってこない。思考はただ、焼け付くような臭いを立たせながら空転を繰り返すばかりだった。


 そでれも――懸命に叱咤をかけ、気を強く保とうと努める。


「びょ……病、巣? あの、第二人格とは……いったい……」


 リプカの絶え絶えな問い掛けに、彼女は微笑み、答えた。


「ミスティア・シィライトミアは先天性の病を頭部に抱えていました。大脳皮質の異型変異です。母の腹で育つ過程で変異した大脳皮質の形態は、彼女へ定期的な異常深度の睡眠という特性と、もう一つ、眠りに落ちている間に現れる、電気信号の例外がもたらす人格の発露という現象を与えました。それが、いま貴方様の目の前に居る、私。【シュリフ】とお呼びください、それが私の病名です」


 ……残念ながら、リプカの気丈は一度、ここで折れてしまった。


 完全に焼き付いた脳髄で茫然を浮かべて、ただ、【シュリフ】と名乗った彼女の話を、カラッポの筒みたいな様相で聞いていた。


「【眠り病】という流布は、そういった意味ではまったくの偽りというわけではないのでしょう。セラフィは妹のこの病状を隠すことに躍起でした。それが知れれば、周囲からミスティアがどんな目で見られるかは察せられるところです。セラフィは献身ともいえる働きでそれを隠し続けましたが、しかし、セラフィにも一つ誤算がありました」

「誤算……?」

「それは、私が、例えるなら人として、特に優れた知的能力を有していたということです」


 シュリフは何気なく、感情も交えず口調も変えずに、自身の優秀を殊更な強調で言い表した。


「私には大概なことが分かりましたし、大抵のことを成すことができました。他者が奇跡と思うことも、論理をもってそれを組み立てられた」


 リプカは、アルメリア領域で起こったあの、超常現象に近しい現実を思い返した。


 シュリフはニコリと笑った。


「私は所詮病巣ですが、セラフィの妹という自覚はあった。何度か姉を助けるうちに、私の存在に勘付いた者も現れ始めた。――アルメリア領域で、観察されるような視線を感じませんでしたか? あれは、不確定要素が私と接触することを危惧した者の仕業です。もっとも害意があるわけではなく、その者たちは私の力を敬い、私を崇めているようですが」


 アルメリア領域で食事をとっていたときの、こちらをじっと観察していた、遠くからの視線を思い出す。


「そしてセラフィはといえば……姉は、敬いを向けるでも崇めるでもなく――病巣である私をも、愛してしまった。妹として」

「……それは、本当にセラ様らしいお心だと思いました」


 これには感慨を抱くのと同時に、はっきりと、そう答えていた。


 するとシュリフは、初めて、少しだけ表情を別のものに変化させて、小さく笑った。


「人が人を認識したときそれは人格たりえると仮定するのなら、私とは、第二人格とは、そのような存在です。そして医学的に説明するのなら、大脳皮質の異型変異が起こした、電気信号の流動経路変質の産物でございます」


 医学的な説明の部分はまったく分からなかったが、人の認識というものを介した自己説明は、リプカにとって分かりやすかった。


 己の目で見た認識という意味を介して――彼女は確かに、第二人格の人であった。



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