【信教名】・1-3
「あとはそうだな……パレミアヴァルカ連合の、あの女のフルネームは知っているか?」
「アズナメルトゥ・リィンフォルン・リリーアグニス様です」
「リィンフォルンか。やはりあの女のお家は、特級の富裕層だな」
「えっと、どうしてそうだとお分かりになられたのですか?」
「パレミアヴァルカの貴族で、伝説の武器の名称を名に頂いているのは、例外なく超次元の金持ちだからだ。その名は、特別な功を成した家柄である証だ。リィンフォルンは、絶望を滅する鈴の形を取った武器の名称。リリーアグニス家はほぼ無尽蔵の財力を誇っているはずだ、金銭面で困ったときは利用すればいい」
「そ、そんな……! 利用だなんて、そんなことは――!」
「頼ると言い換えてもいいがな、私はその案も考えておいた方がいいと思うぞ」
クインは据わった瞳の光をリプカに向けて、宣告するように言った。
「ダンゴムシ、これだけは助言しておく。誰かを助けるということは、とてつもない労力を必要とすることだと。想像を絶する尽力を必要とし、あらゆる手段の行使が必須となる。そしてそこまでしても――あらゆる何もが助からなかったという骨折り損を迎えることが、ままある。『助ける』という言葉の簡単さに惑わされがちだが、それは言いかえれば――『運命を変える』ということなのだから」
「――――……」
リプカはその助言を受けて、横面を張られたような衝撃を覚えた。
目を覚ました、そんな感覚が訪れる。
前にも、リプカは同じようなことを教えられた。それはアズに、誰あろうクインを助けたいと相談したときに渡された言葉だった。
『――リプカちゃん、誰かを助けるって、きっと想像するよりもずっと難しくて、モノスゴク力を使うことだと思う』
(そうだった……)
思い出し、こくりと息を飲んだ。
(そして……アズ様は、どうすればよいと教えてくださったか――)
『だから、堂々としていて。助けたいと願ったのなら、揺れちゃダメ。胸を張って、戦うべきモノとしっかり向かい合って』
(戦うべきモノと、しっかり向かい合う――)
きっとそのために、己の情を理由に、今あるものから愚かに目を反らすなと、クインは言っているのだろう。
そのように解釈し、リプカはぎゅっと組み合せた手を握り込んで、前を見据えて気持ちを新たにした。
「――しっかりと、考えておきます」
「そうするべきだな。忘れるな、やりたいと思っているのはお前で――歩むか退くかを決めるのも、お前だ」
「はい」
「私はべつに、アリアメルのがドロップアウトしてもどうでもいいしなー」
「クイン様……っ」
「正直な気持ちである。――まあ、気が向いたら相談には乗ってやろう。だが、あまり無理な役目は勘弁である」
「……はい、そのときはお願い致します。心強く思っております」
「……フン、明け透けな奴だな」
リプカから視線を外して、調子が狂ったようにクインはぼやいた。
その後も、アリアメル連合の治安環境や情勢問題、主な流通品や流行っているもの、注意すべきことや覚悟しておくべきことなどの諸々を、時計の短針が数度回る程の長時間で教わった。
事前に学び準備を整えたという僅かばかりの自信と、やはりこの目で見るまではいまいち異国の姿を想像できないという大きな不安を抱えながら――それでもリプカは無理にでも胸を張って、自身で決めた行く先、期待と不安が入り混じる真新しい道筋を自らの瞳で見据えたのだった。
「……ところでダンゴムシ」
諸々の話を終えた、別れ際であった。
クインは僅かだけ声色を下げた調子で、リプカへ話を向けた。
「なんでしょう?」
「お前にとって、誰かを守るというのはどういうことだ?」
「誰かを、守る。ええと……」
「いや、謎かけではない。深い意味などないし、知を求めているわけではない。
「ええと……はい。私にとって、誰かを守るということは――」
それを聞く意図を見通せず、少し戸惑いながらも――リプカは当然を回答するような、至って昂るところのない抑揚で返答を返した。
「敵を屠り去るということです」
「――――そうか」
その回答に、クインは目を瞑り、ただ一度だけ頷いた。
そしてしばらく沈黙すると、首を傾げるリプカへ、ぽつぽつと語り始めた。
「……ダンゴムシ、お前には四人の王子がついている。私には知ったことではないが、アリアメルのを助けるために、お前は迷宮のような困難に迷うこともあるだろう。――例えば、助け方が分からなくなったとき、とかな」
「助け方が……分からなくなる?」
「そうだ。だから助け方が分からなくなったときは、他の王子に頼ればいい。――話はそれだけだ。覚えておけ」
「は、はい。 ……あの、クイン様、助け方が分からなくなるときというのは……どのような状況で起こるものなのでしょうか……?」
「その時がくれば分かる」
「…………?」
まったくもって一つの想像もつかぬ疑問に対する、クインのすげない返しに、リプカはますます首を傾げたが――。
「…………。――はい、心に留めておきます」
それも僅かの間で――すぐに考えるのをやめ、素直にそれを心に刻んで、クインに頭を下げた。
「そうしろ。――それでは、また後でな」
「はい。あの、ありがとうございました、クイン様!」
リプカの礼を背で受け、クインは後ろ手を振って部屋を後にした。
そして――。
誰にも声が届かなくなった頃に、ぼそりと、独り言した。
「絶対の敵が存在するなど都合の良い妄想だった。単純とは無縁の世界に生まれ生きてきたはずであったのに、誰もがその当然に気付けなかった」
ぐにゃりと、ひん曲がったような異様の苦笑が浮かぶ。
「だから、失敗した……。お前の、始まりの物語を読んで、それを知った」
ふと足を止めて立ち止まると、くるりとリプカの部屋の方を振り返り。
クインは聞こえるはずもないと分かりながらも、言い渡すようにそれを言葉にした。
「――お前は私たちと同じ過ちは犯すな」
それだけ言うと。
後はもうなんでもないかのように前を向くと、速足でその場から立ち去った――。
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