第四十八話:そんな馬鹿なことが

「赤い旗を追ってー、去り行く馬車へ駆けるー♪ 黄色の旗は見えぬ見えぬと目を瞑りながら、夢の中、ああ♪」


 ――小さく歌を口ずさみながら、クインは上機嫌で自ら夕食の卓を片づけていた。


 食器などは使用人に片づけさせていたが、各国の国旗と、備えた蝋燭だけはクインの手で片し、ついでのように、テーブルをピカピカに磨き上げていた。


「貴方は笑っていないでしょう? その横顔は蝋のようだと信じてる。――ああ、私は無惨な無情人♪」


「御精が出ますね、クイン様」


 婚約レースと評した場でなんて歌を歌っているんだという突っ込みではなくクインに声をかけたのは、いつの間にかゆっくりと歩み寄ってきていたセラだった。


 途端に目付きを険しくするクイン。しかし織り込み済みとばかりに、セラはそれを受けても変わらず柔和だった。


「私も手伝っても?」

「駄目だ。上手くいった会合の運に感謝し、縁起を担ぐ意味で主自らが円卓を磨くのは、オルエヴィア連合の風習である」

「そうなのですか」


 それは本当に知らなかったのだろう、“主自ら”という部分には突っ込まず、セラは興味深げに相槌を打った。

 クインは「フン」と鼻息を漏らすと、テーブルを丹念に磨きながら、セラに話を向けた。


「何の用だ」

「少しお話を交わしたいことが。何ということはない意見なのですが……」

「フン、また甲斐甲斐しくアイツの味方か?」

「私は誰の味方でもありません」


 きっぱりと言い切るように――セラは珍しい断言調子を口にした。


 テーブルを磨く手を止め、クインはセラの表情を見やった。――別段、表情に変わったところはない。

 結局、クインはただ肩を竦めた。


「そうか。――で? 話というのはなんじゃい」

「ただの雑談なのですが……リプカ様がどうして、クイン様の提案を承諾なさったのか、それについてどうお考えになっているのか、お聞きしたいと思いまして」

「それは、私の意見に一考の価値があったからだろう!」


 再びテーブルを磨く手を動かしながらに、クインは高らかな声を上げた。


「フハハ、そこを私の詐術――いや話術でもって、狭き穴を穿つように道をこじ開けたのだ!」


 哄笑するクインだったが――その表情には、僅かながらに違和感があった。

 セラはそんなクインの表情――頬のほんの一部が僅かに強張っているさまに、じっと注視を注いでいた。


「間違いないっ!」

「一考の価値があったから。私も、クイン様のその意見には同意致します。――しかしリプカ様はいったい、クイン様の提案、そのどの部分に、一考の価値を見出したのでしょうか?」

「あん? ――どういう意味じゃい」

「その内容に価値を見出したのか、慮りを大切に思ったのか、それ以外であるのか、――または、その全てであるのか」


 ピタリと、動きを止めて。

 今度は中断ではなく、布巾を乱雑に投げ捨てると、クインは尚表情を変えないセラへと向き直った。


「――繰り返すぞ。どういう意味だ? 分かりやすく言え」

「貴方様も、僅かながらにその可能性には思い至ったはずだ。――クイン様をその重要職に据えること、リプカ様はそれ自体に意味を見出していたのではないでしょうか? 私はそう考えました」

「…………」

「その重要職に就いたクイン様が今後何を為すのか、それを見定めたいと考えて」


 今や刃物のように危うく鋭いクインの視線を受けながらも、一歩、彼女へと近付いて。

 セラは、己の考えの核心を語った。


「リプカ様は、貴方様の目的に力を貸したいと思い始めている。私にはそう思えました」

「――――……」


 クインは押し黙った。


 蘇ったのは、リプカへ己を嫁に選ぶ利を語ったときの会話。彼女らしくない、決して揺れぬ意思を宿した、輪郭鮮明たる言葉を思い出す。



『――クイン様、私は、私のこの力を、大切なものを守ることだけに使い続けると決めているのです』



 ――大切なものを守るため。

 リプカ様は貴方様の目的に力を貸したいと思い始めている。


「フ――」


 思わず漏れ出た息に次いで、クインが口にした言葉は――。



『クイン様。――エルゴール家にとっての利になると考えた事柄については、必ず連絡役を通して私に確認をください。しかし、私に確認を取る必要はありません。エルゴール家にとって、また私にとって、その両方であった場合は、やはり連絡役を通し、私に確認を取ってくださいませ。――よろしいですか?』



 ――あの奇妙な提示を聞いて、呟きよりも小さな声で漏らした言葉と同じものであった。


「まさか。そんなはずはない」


 そう返しながらも――失笑の表情は僅かに引き攣っている。


「何を根拠に――」

「リプカ様は夕刻前に、全ての王子にクイン様の滞在を約束させました。そしてティアドラ様には、頭を下げて警護の協力を要請したようです。貴方様を守るための、万全を期すために」

「――――……」



『暴力沙汰における、正当防衛権が欲しい。屋敷外の者だけに適応するやつでいいからよ』



 今度こそ表情を硬直させて、クインは虚空を見つめながら、思い返した情景を脳裏に映して呟いた。


「あれは――。…………馬鹿な。何の益があって?」

「益は見込んでいないのでしょう」

「馬鹿を言うな」


 見下した声でセラを蔑むと、クインはふらりと僅かによろめいた。


「世の不条理を知らんのか?」

「私はそのように思います」

「――――そんな、そん、なッ、馬鹿がッ、――この世に居るかッ!!」


 叫び、視線を彷徨わせテーブルに縋り付きながら荒い息を繰り返し――ふと冷静を見せると、クインは鋭くセラを睨み据えた。


 ――リプカと出会ったときと同じような、幽鬼のように青白い表情で。


「お前はなんだ?」


 射るような視線を飛ばし、正体を見極めるようにじっとセラを見つめる。――そんなクインの視線を受けて尚、セラの表情は変わらない。


「お前はなんだ? ――この婚約レースで集められた王子の中で、お前にだけ、個性というものを感じない。没個性とも違う――潜むような隠者の気配でもない。と言ったな。【信教名】か。お前の目的はなんだ……?」

「私は事なかれ主義なだけですよ。誤解やすれ違いが生む悲しみの波風を、あまり見たくないというだけです。――私に目的はない、強いて言うのならば……私の目的は一つだ」


 セラは肩を竦めてそう答えた。


「……後半、何を言っているのか分からないぞ?」

「深い意味はありません。――それよりも、よろしいのですか?」

「なにがだ?」

「そろそろご就寝の時間かと思われます。今日のうちに胸の内の思いを伝えるのならば、急いだほうがいい」


 疑り深くねめつけるクインに――セラは、ふわりと微笑みを浮かべてそれを伝えた。


「クイン様の滞在、そして警護の助力願いに対する是の返答――それへの感謝に、涙さえ流したお方です」

「――――」

「信じる信じないは自由ですが……もう本当のところ、貴方様は分かっているはずだ」


 目を瞑り、最後の一言を口にした。


「貴方様は愚かですか?」


 その聞きようによっては罵倒とも受け取れる問い掛けに、クインは歯を食い縛り、俯き拳を握り締め震わせたが――。

 やがて感情を露わにした表情で顔を上げると、突然何処かへと、スカートを翻す遮二無二な勢いで駆け出した。



 その背中を、セラはどこか温かな、凪いだ微笑みをもって見送った。


 不変と思われるほど変わらなかった雰囲気を、情に満ちた風に揺らしながら。


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