第三十二話:反省会・1-1

「――と、いうことがあったんです」


 場所は変わって、リプカの自室。


 クララを出迎えてからのことを、騒動の後、セラに相談を持ちかけたところまで余さずリプカが語り終えると、テーブルに対面して座るアズは腕組みしながら難しい表情を作った。


「そっか……。再び戦争を起こす、か」


 目をぎゅっと瞑りながら呟くと、アズは椅子に深く腰掛け、膝の上で合わせた手を見つめながら、長く息をついた。


「……実は私、あの戦争のことについては、まったくと言っていいほど知ることがないんだよね。オルエヴィア連合がエレアニカ連合に領土侵犯を働いて、機を見たフランシス様が国々を統率してオルエヴィア連合を制圧したってことくらいしか……。イグニュス連合と対極でウチの国は一番離れた位置にあったし、正直、実感すら湧かないんだ……」

「……クイン様の申し出を受け入れるわけにはいきません。でも、彼女が置かれている現状はより見通せた。セラ様がくださった助言で、視界も晴れました、今後は、彼女が想定したものとは異なる、新しい形での関係を築いていきたいと思っています。いまはまだ何の構想もないけれど……彼女と向き合うことで、それを見つけられればと」

「難しい問題だ……。今すぐには、答えは見つからなさそうだね」


 アズは息をつき、しばしそこで話の間を区切ると――。


「――というわけで、いまは他の話をしようか」


 強調した声色で宣言するように、話を切り出した。


「他の……何のお話をしましょう?」

「話題は決まってマース。反省ターイム」

「は、反省……?」


 再び腕を組み、冗談めいた半目でリプカを見やりながら口にされたお題目に、リプカはかしこまった姿勢をとった。

 アズはわざとらしく顔を顰めて頷いた。


「ソウデス。リプカちゃん、今回クララちゃんとの逢瀬が途中まで大変に上手くいったことについては、とっても幸いでした。――しかァし!」


 突然、くわっとその瞳が見開かれた。


「その中に、看過できない無作法、反省点がありましたッ! さてそれはナニ!?」

「え……。…………え、っと……。――お具合が優れないことを、もっと慮るべきであった……?」

「ノン、その点については、リプカちゃんらしく、素晴らしい気遣いであったと思います。――ふむ、――それはね……」

「そ、それは……?」


 こくりとツバを飲むリプカにビシリと指差し、アズは勢い込んだ声を上げた。


「それは――クララちゃんとの逢瀬中に、他の人の名前を心の中で叫んだことですッ!」

「…………。えっ――?」


 リプカは目を点にして、アズを見つめた。

 まったく響くものがない表情を浮かべて、沈黙する。


(他の人の名前を、心の中で叫んだこと……?)

(そ、それって……)



 ア……ッ!

 ――――アズ様ああああああああああああああああ!



(あ、あれのこと……!?)


 確証が持てないまま、他の可能性についても考えてみたが――しかしどうも、あのときのことを指しているに違いなく。

 リプカは知恵熱でも出そうな一生懸命の表情を浮かべながら、か細く問うた。


「それが……反省点、ですか……?」

「そうだよ、リプカちゃん」

「それは、なぜでしょう……?」

「ん。リプカちゃん、逢瀬――デートっていうのは特別なの。特に、家柄を服として着る私たちにとっては」


 アズは表情を改め真面目な顔つきになると、持論を語り始めた。


「特別な時間と空間、そしてそれは、実は繊細な側面が多分に含まれてる機会なの。なぜなら、その段階では互いの姿が曖昧にしか見えていないから。――誠実な人かも。……でも、どれだけの、どんな種類の誠実を持っている人かは分からない。――気のいい人かも。……けれど、その人だっていつも気のいい笑顔を浮かべているわけではない。その裏側はなかなか見通せるものじゃないし、あやふやなまま見つめる他ない。――わかる? 誰でも最初は、相手という幻想と向かい合って逢瀬を重ねるの」

「……なる、ほど」


 リプカはまだ理解の及ばない曖昧を見せながらも、一生懸命理解しようと努めて、コクコクと頷いた。


 アズは微笑み、続きを語った。


「だから、デートは特別! 双方の事情で気軽に会えるような仲じゃないなら、尚更。全力を尽くさなきゃ! なぜなら全身全霊をもって微笑めば、相手はその幻想に大きな好意を抱いてくれるかもしれないから!」

「えッ。で、でも、それはズルでは……?」

「デートはズルでできています」

「ええッ!?」


 アズは身を乗り出し、リプカをじっと見つめた。


「重要なのは――相手がそれで、想いで満ち足りた気持ちになってくれるかもしれないということなの。リプカちゃんだって、待ち望んだ逢瀬でさ、想いでいっぱいになる気持ちを抱けたら素敵だな、って思うでしょ?」

「そ、それは、確かに……!」

「だしょ? ――それの実現や程度は、互いの心掛け次第ってこと。始まりの時点で、もっとお互いのことを確かに知った後のことなんて望む必要はない。はっきり言ってそんなの、蜃気楼の形がああだこうだと言ってるようなものだしね。遠くても近くても見えるのは結局幻想なんだから、最初は脇目も振らず、より良い逢瀬を演出すること、それだけに精一杯になって臨めばいいと――愛しいなら、そんな心構えで臨むべきだと――私は思う」

「な、なるほど……」


 含蓄ある格言を耳にしたように、リプカは感心しきりで頷いた。


 そこでアズは、再び悪ふざけの半目になりリプカを見やった。


「だから、その逢瀬中に、他の人の名前を心の中で叫ぶようなことは、あってはならないのデス」

「そ、それは、よく分からないです……」


 リプカは俯き、声はか細いが、意思のはっきりとした答えを返した。


 アズは苦笑いを浮かべて頬を掻いた。


「まあ、目の前の、その人だけを見つめることを心掛けましょうってことです」

「で、でも……思い人を前にしても、他の全ての人が消えるわけじゃない……」

「そのときだけ消しなさい」

「ええッ!?」

「これは半分冗談」

「は、半分なのですね……」


 アズは少し笑うと、その表情を一転、難しくした。


「あのー、これは誤解を招くような言い方になっちゃうケドさ。クララちゃんは女性でしょ? んで、私も女性なワケで……」

「あ、ああ……」


 やっとアズの言いたいことを察し、リプカは気付きの顔つきになった。


 しかし、すぐに――むぐぐと、何かを考える難しい表情に変わった。

 理解そこに至っても――。


「でも、でも……」


 リプカは言いにくそうに、しかし主張はっきりと、語った。


「それでも……繰り返すようですが、思い人を前にしても、他の全ての人が消えるわけじゃないと思うのです。その人を前にして他の人を思い浮かべるのを躊躇うということは……私には少し、受け入れ難い」


 最後は輪郭鮮明に――そう語った。

 今度はアズが難しい悩みの表情を浮かべて、「うーん」と唸りながら眉を寄せる番だった。


「むー、それもまた難しい問題だ……。んむー……」


 アズは悩ましげに唸り、ぎゅっと目を瞑った。


(他の人を思うことを躊躇するのは、受け入れ難い……)


 アズはその言葉から、リプカの人柄のみならぬ内面を見出していた。

 出会ってからずっと感じていた、歩幅を寄せて歩みたくなるような独特の人柄をそこに見たが、それ以上に――。


 ……内面を見出したというのは、語りの言葉面ことばづらからなにかを読み取ったとか、そういった憶測を交えた理解ではなく――もっと、単純なお話であった。



 彼女リプカは気付いていただろうか?

 それを語る自身の表情が、恐怖で僅かに引き攣っていたことに。



 根が深い。

 アズはそこに、いまはどうすることもできない、彼女の心の隅に巣食う、染みた闇を見た。


(これは……いまそれに触れても、仕方がない気がする)

(でも――……いや。そんなことはリプカちゃんが考えることだ――)


 彼女には彼女の道のりがある、そんな当たり前のことに気付き、アズは過干渉な考えを内省した。


 だが、そうなれば――。


 アズは懸念すべき未来を予測したが、首を振ってそれを振り払った。


  

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