第二十二話:始まりの教訓

「ただいま戻りました」

「おー、おかえりー!」


 自室に戻ると、ベッドに腰を降ろしていたアズが元気に出迎えてくれた。

 クインはまだ、寝息を立てて眠っている。


「お疲れ様! どうだった?」

「ええと……結局、フランシスには会わなかったんです。当初の予定と異なりましたが、他のえんを通じて、とても有意義な時間が得られた事がありまして」

「ふうん? どんなことがあったか聞いていい?」

「ええ、聞いてくださいますか? ――ありがとう。あれから――」


 アズと並んでベッドに座り、その一つ一つを振り返り確認する意味でも、フランシスの部屋へ向かおうとしてからの起承転結を、事細かに打ち明けた。


「――ということがあったんです」

「……この子が、戦争組織の一個を指揮していた策士――」


 すやすやと眠るクインを瞳見開いて見つめながら、アズは茫然の声を漏らした。


「い、意外すぎる……。――てぃうか、いまこのお屋敷に、凄い人揃いすぎでしょ!」


 言われてみれば確かに、局地の戦闘ならば今ここにいる者だけで制圧できそうな揃い踏みである。


「…………」


 それを思えば。

 やはり今は、お国に帰らずここに留まったほうが、安全を得る面でも状況好ましいのかもしれない。そんなことを考えた。


「アズ様はどう思いますか? 静観という選択は正しいのでしょうか……?」

「ん、クインちゃんのことを思うのなら、良い選択だと思うな! ベストというよりベターだけど、悪くないように思う。……ただね」

「ただ?」

「ただ、覚悟は必要だと思う。誰も予想できない方向に状況が拗れるかもしれない可能性だけは、そのリスクだけは、分かっておくべき、かも」

「…………」


 クインの寝顔を見つめる。

 ――昨晩のクインは、まるで限界ぎりぎりの淵に立つ者のように思えた。危ういというより、危うさの火中に苦しんでいるように見受けられたのだ。


 いま、彼女は一時の安らかを浮かべている。


 ――様々が頭に過る。


 勘違いだったとはいえ、あのとき感じたフランシスへの身の上の心配。

 政略に巻き込まれるかもしれない可能性。


 あのずぶ濡れの、彼女の必死の表情――。


「――時間くらい、いまの彼女に与えられても良いように思う」


 リプカはクインを見つめながら、低く、輪郭の確かな声で呟いた。


「私であれば、面倒など気にしません。あのときの勘違いが現実になる恐れがあっても、それは私がクイン様のことを気にかけていれば済む話です。……でも。他の王子方には、迷惑をかける話になるかもしれない……」

「――私たちのことなら心配いらないよ」


 不安に揺れるリプカの声色に、アズは断定口調を返した。

 こちらを向いて視線の合ったリプカにずいと顔を寄せると、驚くリプカに指を一本立ててみせた。


「リプカちゃん、私たちはエルゴール家に縁談を申し込む立場でここに来たワケです。しかもこれは複数国が参加しての、政略も絡む縁談騒動。だから私たちも、ここに来るにあたって色々なことを覚悟してるの。例えば、お国の事情絡みのゴタゴタに巻き込まれる可能性、とかね」

「し、しかし、私の選択によってそれが起こり得るとなれば、また話は違います……」

「それも問題ないの。私たちはゲストとはいえ、力関係から見れば、エルゴール家におもねる立ち位置にあるから。だから、このお家における決定はリプカちゃんにあるといっていい。もしワケを打ち明けて王子の皆に確認を取っても、内心どう思っていようと必ず承諾の返事が返ってくると思う。文句を言う人なんていないと思うな」

「そ、それは――! 少し、強引すぎる考えであるように思えます……」

「じゃあ、クインちゃんのことは諦める?」

「――――! …………」


 言われて、リプカは。

 僅かだけ間を置いてから、首を横に振った。


「――いいえ」

「ん。――リプカちゃん、堂々としなきゃ!」


 アズは言うと、突然リプカの背をバチーンと叩いた。


「ひゅえっ!?」


 驚き背筋の伸びたリプカの背と胸に手を当て、両側からポンポンと叩く。


「胸を張って。――リプカちゃん、誰かを助けるって、きっと想像するよりもずっと難しくて、モノスゴク力を使うことだと思う。だから、堂々としていて。助けたいと願ったのなら、揺れちゃダメ。胸を張って、戦うべきモノとしっかり向かい合って。今回は、自分の意見を押し通すところから始めなきゃいけない。――現実を見据えたそのとき、人は覚悟を決めていなければいけないの。いい? 堂々と、胸を張って! そして、どんな現実も見つめて、歩んで。大丈夫――リプカちゃんならできる!」

「……は、はいっ!」


 信頼の言葉。

 それは初めて受け取った真っ直ぐな熱で、胸に静かな灼熱を灯す言葉だった。


 自然と、背筋が伸びる。


 リプカの瞳から少しだけ迷いの靄が消え去り、虹彩が輝きを帯びた。


 アズはリプカの様子に頷きを浮かべて、もう一度その背を、今度は優しくポンと叩いた。


「頑張れッ。私にできることがあったら言ってね? 約束」

「……アズ様、ありがとう」


 アズの浮かべたとびきりの笑顔に、リプカははにかみの微笑みを返した。


 ――そのとき、部屋にノックの音があった。

 使用人からで、朝食の準備が整ったとのことである。


「おー、そういえばお腹空いたかも! ……クインちゃんはどうしようか?」

「――もう少し寝かせてあげましょう。朝食は取っておいてもらえるよう、フランシスに頼んでおきます」

「そうだね、そうしよう! ――あ、そうだ。朝食を済ませたら、急いでこの部屋に戻ってきて! 私も急いでまたここに戻るから」

「あ、はい、分かりました! あの、なにか大切なことが……?」

「クララちゃんが来るんでしょ? 私がドレスアップしてあげるっ!」

「――お、お願いしますっ!」


 リプカは意気込んで答えた。


 笑顔のアズと、それに応えるように、まだ少しぎこちない笑顔を返すリプカ。


 春の陽光みたいに柔らかな、胸に陽だまりを落とす、不思議な温かさ。少女たち二人が交わし合う微笑みの温度には、そう思わせるような兆しがあった。


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