令嬢リプカと六人の百合王子様。~悪女と蔑まれ宣告された婚約破棄から始まる逢瀬物語~

第一話:神速の婚約破棄


『何事にも理由はあるもの。

 とりあえず、ファンファーレ。』


◇---------------------------


 古今東西、婚約破棄の成り行きに様々あれど、まさか三日天下ならぬ三日夫婦なんてものがあろうとは……。

 えにしを司るとされる神々といえども、さすがに予期しないことであっただろう。


(婚約破棄とは、もっとこう、紆余曲折の事情の末に起こる一つの悲劇ではなかったのか?)


 エルゴール家の令嬢リプカは、その余りにも唐突で、即断としか言いようのない宣告に、茫然となってしまった。


「な、なぜですか……!?」


 心中では……何故もなにもないと思いながらも、リプカは掠れた声を上げた。


 リプカ・エルゴール。

 背はとおにも満たない幼子のように低く、髪は色気のない、漆で塗ったような黒色。身体の起伏も無いに等しいものであり、程々に整った顔の造りが、せめてもの生まれ持った慰めのような女――それが、鏡の前で自覚する姿見である、己に自信というものがない少女であった。


「どうして……こんな唐突に……」


 小さな叫びに、リプカが嫁いだ夫、ハーレヴァンは、少女へ白い目を向けた。


 ハーレヴァン・エイルムメイティル。


 彼はリプカが嫁いできたその日から、己の妻となった女に対し、薄ら寒い態度を取り続けていた。


「お前の妹、フランシスが来てくれれば文句などなかったのだがな」


 嫁ぎ、その日初めて顔を合わせた最初の会話がそれであった。


 その後も、才女であり、その美しさからも名を馳せる、リプカの妹であるフランシスと見比べるようなことを、ハーレヴァンは事あるごとに口に出した。――むしろ、リプカに対して、そのことでしか口を開かなかったというのが正しいか。


 あの美しいフランシスが我が元に来てくれればどれだけよかったかという愚痴を、度々漏らし、リプカが何かに失敗するたびに、フランシスならば、フランシスであればそんなことは、と滔々と口にする。


 二人の関係は最初から冷え切っていた。

 リプカはハーレヴァンに、人間とすら見られていなかった。だから婚約破棄の宣告は当然といえば当然の成り行きではあったのだが――。



 しかし――それを宣告されるとは。



 何をどう考えても、乱心としか思えない不自然である。


「なぜです、ハーレヴァン様! 至らぬ事の多いわたくしですが、これはあんまりでございます……!」


 三日で嫁ぎ先を追い出された女という噂が広まればどうなるか?

 ハーレヴァンのそれは、リプカを虐げるためだけの迫害であるとしか思えなかった。


 ――すると。


 ハーレヴァンは途端に……額のみならず表情のあちこちに青筋を浮き立たせた、気でも違えたのではないかと疑う程の、鬼の形相に変貌し、恐ろしく飛び出した血走り目でリプカを睨み据えた。


 そして、リプカよりも掠れた震え声で、それを告げたのだった。


「リプカ。私は女中から、ある密告を聞いたのだ」

「み、密告? それはなんでございましょう……?」

「リプカ……リプカお前……」


 瞳に蜘蛛の巣のような充血を走らせながら、ハーレヴァンはその宣告の理由ワケを口にした。


「お前……下女が清掃のため床を拭いた布から絞り取った汚水を……私が口にする紅茶に混ぜて……素知らぬ顔で私と同じテーブルについてそれを見つめていたらしいな……」

「――――なッ!」


 リプカはその突拍子もない告げ口の内容に驚愕の表情を浮かべて、茫然と口を開いた。


 ハーレヴァンの馬鹿舌は有名な話であった。


 肉を食っても、それが何肉であるのかも当てられない。

 どころか彼の舌にかかれば、紅茶の種類すら一緒くたであるようだ。という、もの笑いのタネに陰口するような噂は確かにあった。密告を受けたというその内容は、まるでそれを皮肉るようなものである。


 だが、とついだ嫁が、夫の紅茶に汚水を注いだなど、そんな話は誰も信じないだろう。

 もしそんな噂が真実として広まれば、リプカの社交地位は底辺に落ちる。しかしそんな馬鹿けた話は誰も信じぬ突飛であり、そのような奇天烈を真実として吹聴すれば、信用を致命的に落とすのはハーレヴァンのほうであっただろう。


 であったのだから、否定さえすれば、その場は収まりがついたかもしれなかったのだが。


「――え」


 もののはずみというやつだろう。


 驚きのあまりの動揺を突いて出た声、その突飛を現実に映す最悪の返答が、茫然と開かれたリプカの口から滑って出てきた。


「な、なんでバレたの……?」


 ――それを聞いたハーレヴァンの表情たるや、仁王も身を引くが如しである。


 大広間にいた全員が身を凍らせる中、リプカは自分の失態を認めると、すんと真顔になり、続いて苦渋の表情を浮かべて「ぐぐ、ぐ……」と詰まった声を漏らしながら、これから起こる様々を考え――。


 ――やがて、全てを諦めた表情を浮かべると、ハーレヴァンに、どうしても気になっていたことを最後に尋ねた。


「ハーレヴァン様、あのあと、お腹はちゃんと下されましたか……?」


 ――ハーレヴァンの平手が一閃し、それを頬に受けたリプカはオペラのワンシーンみたいに、後方の壁まで勢い良く吹っ飛んでいった。


 

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