第9章  1963年 プラスマイナス0 – 始まりの年 〜 2 「22年 8月28日 友子」(5)

 2 「22年 8月28日 友子」(5)

 



 ギッタンバッコンで遊んでいた子供が、智子ではなく友子であるのは、書き残した切れ端からも間違いない。

 ――ならわたしはいったい、どこの誰の子供なの???

 そうは思ってみても、写真に写るのは記憶にある両親だし、他のアルバムに写っているのもどれもこれもが智子自身だ。

 ――でも、わたしの誕生日は六月だし、名前だって、友子じゃないわ……。

 そう思って、再びアルバムに目を向けた瞬間、不意にある疑念が浮かび上がった。

 ――6、なの……? 

 途端に全身がビクッと震え、そのまま一気に凍りついた。体温が瞬時に下がった気がして、身体がまるでどこかへ吸い込まれていくようだ。

 〝8〟という数字が、一瞬、〝6〟に見えたのだった。

 慌てて書き殴ったせいだろう。8だと意識しなければ、6と思う人だっているかもしれない。

 そう思ってみるが、こうなってしまって眺めると、だんだん6にしか見えなくなった。

 書き出しの丸みがまるでなく、妙に小さい上に掠れているからそう見える。

 そのせいで、28日の8とはまったく別の数字に見えていた。

 ――だったら、友子だって、おんなじだ……。

 ユウイチだからユウコ――友子だった。

 そんな事実を知らないままなら、

 ――トモコと、これを読んだのね……?

 だから自分はトモコで、〝友子〟がどうして〝智子〟なのかは、今となっては知りようもなかった。

 智子(トモコ)の子である友子(ユウコ)が、十六歳で過去に戻って女の子を出産した。

 その子は友子(ユウコ)と名付けられ、桐島家に引き取られたのち、なぜか漢字が智子(トモコ)に変わって伊藤博志と出会うのだ。

 ――じゃあ、最初の最初、わたしを産んでくれたのは、いったい誰なの?

 まるで意味がわからなかった。吐きそうなくらい混乱して、床がぐにゃりと歪んだように身体もゆらゆら揺れている。

 そこからは、しばらく記憶がはっきりしない。

 智子は知らぬ間に家を出て、無意識のうちにかなりの距離を歩いたらしい。

 気づけばアルバムを小脇に抱え、ちゃんと靴を履いて土手への道を歩いていた。

 このまま行けば、昔、台風の近づく中、友子を負ぶって歩いた土手下の道に行き着くだろう。

 さらに土手を上がって、そこから川の方に下りていけば、毎年手を合わせに訪れているところにもすぐ行ける。

 また一年、無事に暮らすことができました……。

 毎年九月、智子は花束を手に持って、多摩川の河原で念じ続けてきたのだった。

 

 ――じゃあ、あの時、わたしの背中にいた子供って……?

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