第9章  1963年 プラスマイナス0 – 始まりの年 〜 2 「22年 8月28日 友子」(2)

 2 「22年 8月28日 友子」(2)

 



 ――これで本当に、桐島智子としての自分は、もうおしまいだ……。

 心の底からそう思え、意外なほどスッキリした気分で施設を後にしようとした。ところがふと目にした光景に、彼女は思わず大声をあげる。

 目の前を、一台の台車が横切ったのだ。

 大きなダンボールが載っていて、ある品物が目に飛び込んだ。

「あ、ちょっと待ってください!」

 思わずそんな声が出て、慌ててその台車に走り寄る。ダンボールを覗き込めば、やっぱり思った通り……それは佐智の着ていたパジャマだったり、智子が持ち込んだぬいぐるみだったりと、すべてが佐智の部屋に置かれていたものだ。

「あの、これをいったい、どうするんですか!?」

 静かだった施設の廊下に、そんな大声が響き渡って、

「あ、あの……ご家族の方から、すべて廃棄するよう言われまして……」

 大人しそうな施設職員が、いかにも困ったという顔を智子へ向けた。

 遺体はすでに、専門の業者が引き取っている。だからそのご家族とやらは施設に一切姿を見せずに、残ったものは廃棄するようにと伝えたらしい。

 この時、特に智子が気になったのは、一番上に載っていたあまりに懐かしいアルバムだった。

 あの時代のものにしては珍しく、真っ赤な表紙に大きく花びらが刺繍されている。確かこの刺繍が気に入って、小学校の入学記念に両親に買ってもらったものだった。さらにダンボールの中を見せてもらうと、衣類などと一緒にあと三冊のアルバムも見つかった。

 智子も会ったことのない親戚が、佐智の入所と同時に実家から持ち込んだものだろう。

 とにかく智子は、その四冊のアルバムを譲ってほしいと頼み込む。すると不思議なくらい呆気なく、「構わない」という返事が返った。

 ある意味、まるで顔を出さない親戚よりも、しょっちゅう現れる智子の方を近しい存在と見てくれたのだろう。そして今でもそのアルバムは、クローゼットにある棚の奥に隠してあった。

 万一智子の方が先に死ねば、剛志がこれを見てしまうかもしれない。

 しかしそう考える一方で、あの日記にさえ気づかないままってこともある。そんなふうにも思うのだ。

 これはある意味、勝ち負けのない賭けだったし、智子自身は正直なところ、どっちでもいいくらいに考えていた。

 持ち帰った花柄のアルバムには、やはり智子の写真ばかりが目についた。

 そしてあと二冊にも、記憶にある写真がいくつも貼られていたのだった。きっと小さい頃に、何度も眺めたりしたのだろう。ところが残りの一冊は、その大きさからしてまるで違った。

 いかにも古いアルバムで、他のものよりふた回りは大きい。

 きっと勇蔵が結婚する以前のものなのか? 彼の尋常小学校時代の集合写真や祖父母の写真が、時代の流れをけっこう無視して並んでいる。だからこの一冊は何ページか眺めただけで、しっかり目を通していなかった。

 それを再び目にするのは、佐智が亡くなってひと月くらい経った頃だ。

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