第7章  2013年 プラス50 – 始まりから50年後 〜 3 あの日とその日(3)

 3 あの日とその日(3)

 



 すべてが、「あの日」から始まったのだ。

 そしてそれからずっと、「その日」がやって来るのを今か今かと待ち受けている。

 だから八回目となる今日という日も、ただただ待っているだけだ。

 今、剛志のいるテラスから、以前と変わらず庭全体が見渡せた。しかし東側にあった畑は消え去って、ただの更地になっている。

 もしこの瞬間、以前の屋敷を知る人物がいれば、室内の閑散とした光景に驚きの声を上げるだろう。

 引っ越しでもするのか? そう思うくらいに物が減り、飾ってあった絵画などもきれいさっぱりなくなっている。リビングもその例外ではなく、かろうじてソファーセットはあるが、それ以外の家具や装飾品の類は一切置かれていなかった。

 そんな殺風景なリビングを背にして、剛志は節子と一緒にテラスにいる。

 何度も何度も庭を眺めて、その都度、節子の状態に目を向けるのだ。

万一抱きかかえても寒くないようジャンパーを着せ、さらにその上から厚手の毛布を掛けてあった。

 そんな節子の隣に椅子を置き、さらに備え付けの丸テーブルを持ってくる。その上に三冊の日記帳を並べ置いて、毎年そのうちの一冊を読み始めるのだ。そうしてそろそろ二冊目へというところで、いつも決まって帰りの支度を始める時刻となった。

 三冊のうちの一冊は、市販の日記帳ではなく丸善の大学ノート。

 それを譲り受けた時、ノートはすでにボロボロだ。

 きっといろんな状況の中書き込んで、長年にわたって読み返したりしたのだろう。

 ページの端っこは破れたり折れ曲がったり、ちょっと乱暴に扱えば、すぐにでも解けてバラバラになりそうなものだったのだ。細かな文字がページ一面に書き込まれ、このノートだけは日付が書かれていないところも多い。

 期間は昭和二十年から五、六年の間で、この一冊こそがまさに衝撃的なものだった。

 一方、残りの二つは市販のもの。どちらもちょっとした百科事典くらいの厚さがある。

 昭和二十年代後半から四十年代に使われたもので、この二冊にも驚きの記述はあるものの、なんとか冷静に読むことができる。

 ところがボロボロのノートの方は、今でも手に取るだけで熱いものがこみ上げた。

「どうしてなの?」

「誰か助けて!」

「もう、死んでしまいたい……」

 こんな心の叫びが至るところに書き込まれ、剛志はそんなのを目にするたびに大学ノートを静かに閉じた。そして再び読み始めるまで、時にけっこうな時間がかかったりする。

 こんな時、彼はいつでも思うのだった。

 ――絶対に、治してやるからな……だから二人して、何年でもここで待っていよう。

 こんなふうに、剛志は何十回思ったかしれない。だから今日も、そんな日記を手に取って、

 ――絶対に、俺はおまえを治してやる。

 力強くそう念じ、剛志がふと、顔を上げた時だった。

 ――え?

 彼の目が何かを捉え、思わず椅子から立ち上がる。

 と同時に手からノートがこぼれ落ち、剛志はそれを拾おうともしないのだ。視線の先にある何かを見つめ、まるで夢遊病者のようにテラスの隅に近づいていく。やがて、呆然と立ち尽くし、ふと我に返って節子の方を振り返った。

 その時、剛志の目には涙が溢れ、不思議なくらいその唇は上下左右に揺れている。

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