第7章  2013年 プラス50 – 始まりから50年後 〜 2 すべては、書庫と日記から……(4)

 2 すべては、書庫と日記から……(4)

 



 四月の二十三日が最後で、それ以降は一文字だって書かれてない。

 それも最後のページには、何を言いたいのかわからない文章がたった一行あるだけだ。

 拍子抜け。まさにそんな感じで、最後のページを意味ないままに見つめ続ける。

 すると不意に、目にしている文字に違和感を覚えた。

 ――あいつ、こんな字だったかな?

 記憶にある節子の文字は、もっとしっかりして美しかったはずだ。

 ところが目の前の文字はぜんぜん違う。筆圧の感じられない弱々しい線で、ミミズが這ったような文字ばかりが並んでいる。

 どうして? そんな疑問を思いつつ、剛志は2001年の日記帳を床に置き、その隣に並んでいたもう一冊を手に取った。

 開いてみれば、しっかりした字で「2000年」と書かれている。

 ――またどうせ、似たような感じなんだろうな?

 さっきまであった高揚感は消え去って、一冊目とは段違いの気軽さで最初のページに目をやった。ところがページの一番上に目を向けた時、剛志の心はそこで一気に凍りついてしまう。

『このままわたしは、どんどんおかしくなっていくの?』

 そんなのが目に飛び込んで、剛志は思わず手にある日記を閉じたのだ。

 2000年、平成十二年の正月といえば、節子がおかしいと気がつく二年以上も前のことだ。

 ――そんな頃からあいつは、自分の状態に気づいていたのか!?

 そんな可能性をうかがい知って、いっときのお気楽さが跡形もなく消え失せる。

 正直、読むのが怖かった。それでも節子はまだ生きていて、日記から彼女の願いが知れるかもしれない。そうなれば、まだ何かしてあげられる可能性だってある。

 ――それに、さっきのことだって、何か書かれているかもしれないし……。

 だから嫌でも読まなきゃならない。そう決めて、彼はその場に腰を下ろした。それから深呼吸を一回だけして、2000年の日記に目を通していったのだ。

 不思議なくらいさっきと違って、文字もしっかり節子のものだ。

 きれいな字が気持ちよく並んで、だいたいページいっぱいに書かれている。そして年明けから四月中旬頃までは、剛志も知らない失敗談があっちこっちに綴られていた。さらにその後には必ず、この先どうなってしまうのか? という恐れの言葉が続くのだ。

 ところがそれ以降、梅雨の頃にはどんどん日記が短くなった。

 内容もありきたりに傾いて、天気がどうだったとかどうでもいいことが多くなる。

 さらに年末に近づくと、もうほとんど2001年の日記と変わらない。きっと五月を迎えた頃には、〝何かおかしい〟という事実さえ彼女は忘れてしまったのだろう。

 思考そのものが鈍化して、何が起きようとおかしいなどと思わなくなる。そんな状態だったというのに、それから剛志は一年以上気づかなかった。

 ――だから、料理教室もやめたのか! ならばどうして、ひと言俺に言ってくれない!?

 素直にそんなことを思ったが、たとえ相談されたとしても果たして何ができたのか?

 もちろん、検査する時期は早まったろうと思う。しかし治癒の手段がないのだから、遅かれ早かれおんなじ道をたどるだろう。

 もしかしたら節子は、そんなことだって知っていたのか……だから、恐怖に怯えながらもなんの行動も起こさなかった。

 ――いや、そうじゃない。彼女なりに、抵抗はしたんだ……。

 ほとんど見なかったテレビを剛志と一緒に観るようになったり、確かパソコンを始めたのもこの頃だった。そして何より日記帳にも、彼女なりの抵抗がしっかりある期間だけ残されている。

 三月からのほぼひと月、多い日には、日記半日分くらいにまでそれは及んだ。

 いわゆる記憶の羅列に他ならない。口に入れたものすべてが書かれていたり、誕生日や血液型など、剛志に関することばかりが並んでいたりする。

 さらにそんな日記の中には、剛志が初めて目にする過去の事実もあったのだ。

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