第6章  1983年 プラス20 – 始まりから20年後 〜 3 革の袋(4)

 3 革の袋(4)

 



 彼が三十六歳の時、ここに五十六の自分だって絶対にいた。そいつは今の自分と何もかも一緒で、当然考えていることだって同じだろう。

 智子を元の時代に戻そうとするのが、今、この場にいる自分だけってはずがない。

 ――くそっ! どうしてこんなことに、今まで気づかなかったんだ!

 どんなものかはわからないが、きっと何かが邪魔をする。

 もしかしたら明日の朝までに、剛志が死んでしまうってこともあるだろう。

 死ぬまで行かずとも、事故に遭って病院にでも担ぎ込まれれば、あの三人を阻止するものはいなくなってしまうのだ。その結果、金目のものすべてこの時代に残したまま、あいつは一文無しで向こうの時代へ行くことになる。

 ――ではいったい、俺はこれからどうすればいい?

 昭和五十八年発行の一万円札なんか持っていけば、偽札だと思われて大騒ぎになるだろう。

 以前、どこかで聞いたことがあったのだ。

 紙幣の寿命は意外と短い。千円札なら一年二年で、高額紙幣でも、五年以上流通し続けるのは珍しいことらしい。

 そんな短い寿命なのに、二十年以上流通している紙幣だけをかき集めなければならない。

 それも四百万近い金額をだ。

 そんなことが、明日までにできるか?

 そのような不安を感じる一方で、剛志はなんとかなるんじゃないかとも思うのだ。

 ――過去の自分ができたんだから、この俺にだってできるだろう。

 革袋が置いてあったということは、五十六歳の剛志が用意できたということになる。素直にそう考えて、思いの外スムーズにいくだろうと剛志は思った。

 ところがだ。事はそう簡単には進んでくれない。

 もっと古い時代の紙幣であれば、古物商とかに問い合わせればいい。

 しかし発行年だけが問題で、それ以外は普通に流通している一万円紙幣と変わらない。となれば、あっちこっち探し回るくらいしか手がないだろう。

 ――どうする? どうしたらいい? 明日朝一番、銀行に行って相談してみるか?

 と、そう思った途端だった。

 以前、節子から聞いた話を、剛志はいきなり思い出した。

「銀行なんて信用できないんですって。だからぜんぶ現金で、自宅に置いてあるって言うのよ。逆に怖いわよね。ご夫婦だけで、それもけっこうなお年寄りなんだから……」

 農協で知り合った老婆がそう教えてくれたと、節子が驚いた顔で告げたのだった。

 ――あれは、どの辺だったか……?

 さらに近所を散歩していて、急に声にしたことがあったのだ。

「あれ、あの大きなお家がそうよ。ほら、話したじゃない……銀行嫌いの、やっぱりうちと一緒で、無農薬やってるお婆さんのこと……」

 そう言って指差された古い屋敷の形を、剛志は今でもぼんやりとだが思い出せる。

 こうなれば、その屋敷を探し出して頼んでみるしかない。節子の話が本当であれば、きっと古い紙幣だって貯め込んでいるはずだ。たとえ四百万に及ばなくても、ゼロなんかよりはよっぽどいいに決まっている。

 剛志はそう決断し、一万円札の束をショルダーバッグに詰め込んだ。

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