第4章  1963年 - すべての始まり 〜 9 蘇った記憶(2)

 9 蘇った記憶(2)




 その日から、一年くらいが経った頃だ。銀座デパート一階の隅で、ある人物がたまたま商品を手に取った。二十代中盤の女性で、日本ではまず知らない人がいないであろう有名人。

 彼女は真っ赤なスカートを手に取って、やはりたまたま通りかかった女性店員に声をかけた。

「これ、一つしかないんだけど、他にサイズはないのかしら?」

 こんなことを聞かれて、店員の返すべき答えはだいたいの場合が決まっている。

――申し訳ございません。それは一点ものなんです。

 閉店間際だったこともあり、実際にその店員も喉元までそう言いかけたのだ。

 しかしそう返してしまえば、きっと彼女はここからさっさといなくなる。ここまでの有名人と話せるなんて、一般人にはそうそうあるような機会ではない。

 だから彼女は思い切って声にした。もしかしたら上司に怒られるかもしれないが、そうなったらそうなった時だと覚悟を決める。

「さすがにお目が高いですね。それって店には在庫はないんです。でも、少々お待ちください。きっと製造元にはあると思うので、事務所から問い合わせてみますから……」

 女性からスカートを受け取り、店員は足早に去っていった。

 本当のところ、製造元にだって残っているかはわからないのだ。

もう一年以上前に返品した商品で、つい先日返し漏れが一点だけ出てきてしまった。けれど、さすがに今さら返せない。寒くなる前に売ってしまえと言われて、つい先日、在庫室から目につくところに出したのだった。

 そうして店員がいなくなると、後ろに立っていた男がスッと女性に近づいた。彼女の耳元に顔を寄せ、囁くように、それでもかなり慌てた感じで声にした。

「先生、もう行かないと……パーティーに遅れてしまいますから」

「いいのよ、どうせ最初はお偉いさんの挨拶なんだからさ」

「それでも、もうギリギリですから……また、社長に叱られます」

 そこでやっと振り返り、

「それでもいいのよ! 何よあいつ、オリンピックのおかげでヒットしたとか、久しぶりのヒットだから盛大にしようとか、本当に失礼しちゃうわ! だから言わせておけばいいの、今回は、少し待たせるくらいどうってことないのよ」

 顔を傾けながらそう言うと、女性は何事もなかったように前を向いた。

 もちろん多少遅れて到着しようが、彼女自身は痛くも痒くもありゃしない。

 パーティーに遅れて叱られるのは、いつでも付き人である男の方だ。しかしそんなことを口にも出せず、彼は小さく息を吐いてから、スッと一歩だけ後ろに下がった。

 昨年から今年にかけて、日本中で大ヒットした〝柔の道〟。

 これは確かに久しぶりのヒットで、昨年の歌謡レコード大賞を受賞した大当たりの曲だった。

 そのヒット記念パーティーが、今夜銀座からほど近いホテルで開かれる。そんな会場に向かう途中、数寄屋橋交差点を過ぎたところで彼女が突然言い出したのだ。

「ちょっとこの辺りに停めてくれる? あそこで、少し洋服見ていきたいのよ」

 いくら時間がないと告げても、もちろんそんなことお構いなしだ。

結局、パーティーには三十分以上遅れて、それでも気に入ったスカートが見つかったと彼女は終始ご満悦。

 あれから、五分ほどで女性店員は戻ってきて、まるで自分のことのように嬉しそうな顔で言ってきた。

「お客様、ありました。製造元に確認したところ、お探しのサイズ、先方にはまだたくさんあるそうですよ」

 そう聞くや否や、彼女はニコッと微笑んで見せる。

ところが後ろを振り返るや否や、瞬時にその顔つきが真顔になって、

「三つ、お願い」

 とだけ声にする。

つまり同じものを三着買うよう付き人に言いつけ、それから再び前を向いて、

「試着は大丈夫だから、あとは、よろしくね……」

 と言い残し、彼女はさっさと歩き出してしまうのだった。

 そんな出来事から一年以上が経った頃、女性は再び大ヒット曲を生み出した。

 歌謡界の女王として君臨する彼女は、その曲のお披露目で、なんと膝小僧を露わにしてステージに立った。銀座デパートから届いた真っ赤なスカートを身にまとい、踊りながらテレビで歌って見せたのだ。

 それが大きな話題となって、それからまもなくミニスカートは流行り始める。

 そしてさらに数年後には、日本各地で空前のブームとなっていた。

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