SF ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら that had occurred during the 172 years
第4章 1963年 - すべての始まり 〜 8 智子の両親(5)
第4章 1963年 - すべての始まり 〜 8 智子の両親(5)
8 智子の両親(5)
だから剛志は仕方なく、起こさぬようにしてリビングを出た。それから家政婦に声がけしようと、長い廊下に立って「家政婦さん」と呼んでみる。
ところが一向に返事は返らず、代わりに妙な物音が耳に届いた。
見れば奥にある扉が開けっぱなしで、そこから聞きなれない音が響いている。さらに耳をすませば、物音に交じって唸り声のようなものまで聞こえてくるのだ。
動物でも飼ってるのか? 一瞬そう思うが、決して犬猫の鳴き声なんかじゃない。
ただ少なくとも、扉が開いているからには、そこに家政婦がいるのだろう。そう思うまま扉に近づき、彼は開け放たれた扉の先を覗き込んだ。
――ああ、やっぱり、ここにいたんだ。
最初、目に飛び込んだのは、やはりさっき目にした家政婦の背中だ。その奥側にももう一人いて、同時に視界の隅に見知った顔が映り込んだ。
その瞬間、剛志の心はあっという間に凍りつく。
声をかけることも忘れ去り、ただただ目の前の光景に釘付けとなった。
ずいぶん、変わり果ててしまっていたのだ。一見すると別人のようだが、それでもそれは、紛れもなく智子の母、佐智の顔だった。
ベッドに寝かされ、家政婦が細長い管を彼女の口へ押し込んでいる。
きっと、相当苦しいのだろう。さっきの唸り声こそ佐智のもので、もう一人が彼女の両腕をしっかり押さえ込んでいた。
少なくとも片方は、きっと本当の家政婦じゃない。
漠然とそんなことを考えながら、しばらく部屋の入り口からその様子を見守った。やがて喉から管が外され、と同時に佐智の呻き声もピタッと止まる。そうしてようやく、二人は入り口に立っている剛志のことにも気がついた。
喉に詰まった痰を、取って差し上げてました……。
そう言ってきたのは、やはり正真正銘の看護婦だ。
「ただここでは、二人とも家政婦ということになっていますから……」
だから余計なことは口にするなと、無表情のままそんな意味合いを匂わせる。
桐島佐智が、恍惚の人になっていた。
恍惚の人――確か作者は有吉佐和子だったか……。
剛志が就職してしばらくした頃、母恵子が真剣に読んでいたのを覚えていた。
ドラマにもなったから剛志もストーリーは知っていて、痴呆の進んだ主人公があれ以降も生き続けていれば、いつの日かこの佐智のようになったのだろうか?
声をかけても返事はなくて、もちろん話などできるはずがない。起きていることすべてを理解せずに、寝たきりで、時に探し物でもするように両腕だけを動かしたりする。
歩けなくなってから、ここまではあっという間のことだったらしい。
「娘さんが行方知れずになる前から、きっと、徴候くらいはあったんだと思います……」
さらにこんなことを告げられて、
――神に誓って、兆候なんかなかったさ……。
心だけで、剛志はそう言い返すのだ。
それからすぐに、勇蔵が寝てしまったと告げて、彼は逃げるように智子の家を後にした。
外はまだまだ明るかったが、時刻は夕方五時を過ぎている。いつもならとっくに児玉亭にいる時間だが、どうにもそんな気分にぜんぜんなれない。
もちろん、智子の母親のことも影響していた。ショックだったし、智子が知れば剛志以上に苦しむだろう。
ただこの時、剛志の心を覆っていたのは、勇蔵が語った驚きの真実に他ならない。
きっと彼は途中から、話している相手さえ理解していなかった。でなければ赤の他人に話すはずはないし、話したところで意味があるとも思えない。
ただなんにせよ、それは本当にあった過去の事実であるのだろう。そしてほんの一部に過ぎないが、正真正銘、智子の人生でもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます