第4章  1963年 - すべての始まり 〜 5 常連客と「おかえり」(3)

 5 常連客と「おかえり」(3)




「それじゃあ、わたしはこれで、そろそろ失礼します」

 そう言った途端、正一は驚いたように振り返り、

「ダメだよ旦那。もうすぐうちの息子が帰ってくるから、ちゃんと紹介させてくれよ。生意気な野郎だが、頭だってそう悪くねえし、俺にとっちゃ出来がいいってくらいの息子なんだ。だからぜひ、会ってやってくださいよ」

 なんて言いつつ、剛志の飲み残したビールをグイッと一気に飲み干してしまう。

 それから空になったコップに日本酒を注いで、

「ねえ旦那、いいだろ? 俺の息子のために、涙まで流してくれる人をさ、そう簡単に帰しちまうわけにはいかないんだって……」

 低い声でそう言うと、剛志の前にそのコップ酒を突き出した。

 息子のために、大の大人が泣いている。そんな姿を眺めてたとあっちゃ、とんと気の回らない野郎だ――くらいきっと思ったに違いない。だからすぐに視線を外して、正一は見て見ぬ振りをしてくれた。

 ただとにかく、このまま居続けたらどうなるか? 剛志はとっさに考えたのだ。

 その瞬間、同じ空間に同じ人間――もちろん三十六歳になった剛志の方は細胞だってくたびれている。だからまったく同じとは言えないだろう――が、同時に存在することになる。

 もしかしたら、そういった不合理を防ごうとして、

 ――爆発が起きるとか、まさか、どっちかが消えちゃうなんてこと、ないだろうな?

 なんて思うと同時に、さらに突拍子もないことを思いついた。

 ――まさかあの二人、どっちも伊藤博志! だったんじゃないか!?

 違う時代から来た伊藤博志二人が、どのような理由であろうとあの林で出会ってしまった。

 ――だからって、どうして殺すなんてことになる?

 過去を生きる伊藤が殺されたなら、さらに未来を生きていた方は、

 ――その瞬間、消えちゃうってことだ……。

 過去の存在がなくなれば、当然それ以降の未来など訪れない。だから写真の男は忽然と消え失せ、その足取りは未だ不明のままなのか? そんなことを思えば思うほど、いよいよここにいちゃダメだという気がしてくる。

 ――やっぱり出よう!

 だからそう決めて、正一が背中を向けている隙にソッと席を立ったのだ。

 人と会う約束がある。そう告げて、何を言われても無視すればいい。そんな決心を心に思い、彼が足を一歩だけ踏み出した時だった。

 まるで後ろにも目があるように、正一の顔が剛志を向いた。

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