第4章  1963年 - すべての始まり 〜 5 常連客と「おかえり」(2)

 5 常連客と「おかえり」(2)

 



 それからはまさに大宴会だ。ご近所連中は皆それぞれ、惣菜やら缶詰などを持ち寄っていた。だから正一がやきとりを焼こうとすると、「そんなことしなくていい」やら、「自分も飲め飲め」などと言ってくる。

 それでもこの日の正一は、剛志の顔を見るまで飲まないんだと決めていた。だから何を言ってこようと受け付けない。ところがそんな頑張りも、今宵も長くは続かなかった。

「俺はさ、剛志が優しいやつだって知ってんだ! あいつはさ、じいさんばあさんにだってちゃんと挨拶するし、この前なんて、裏のばあさんの荷物を持ってあげてさ、急坂の階段を一緒に上がってやったりさ……」

「そうなんだって! それにだいたい、あいつが智子ちゃんをどうこうするはずがないんだ。あそこまで〝ほ〟の字の女の子をだぞ、そんなこと絶対にありえないし、そもそもさ、智子ちゃんの方がよっぽどしっかりしてるしな」

 いつもボソッとした口調のフナだったが、この時は妙に自信たっぷりだ。そして続いたスーさんの声にも、誰もがそうだという顔をした。

 ――ちょっと待ってくれ? それじゃあ、あれか、俺が智子を好きだって、みんな知ってたってことなのか?

 そんな心の声に応えるように、さらにエビちゃんが続けて言った。

「そうだよね、智子ちゃんはいい子だもん、剛志が惚れちゃうのも無理ないって。だからさ、早く元気に戻ってきてほしいよ……じゃないとさ、僕だって困っちゃうよ」

「何しんみりしてんのさ、だいたいさ、あんたが最初に、正一を盛り上げようって言い出したんだろ? 大丈夫だって、剛志は釈放で、智子って子もすぐに見つかって、いよいよ万々歳ってことになるさ!」

 その声の主は初めて見る顔で、その後自分からスナック「夢振舞」の由美子と名乗った。

 兎にも角にも、剛志の気持ちはバレバレだ。その後もさんざん二人についての言葉が続いて、店の客がどうしてここまで? というくらいに剛志のことをよく知っている。

 さらに彼の釈放を本当に喜んで、同時に智子の安否を心の底から心配していた。

 ――どうして俺はこの人たちを、あの頃あれほど嫌っていたんだろうか?

 顔も見たくないと思った常連客が、こうなってみればなんとも愛おしいと感じてしまう。

「僕はさ、剛志がこの店を継いで一丁前になるまで、ずっと通い続けるからね。だから正一、おまえさんはいつ死んでも大丈夫だよ!」

 さらに、この頃まだ顔を見せていたムラさんが、そう言ってケラケラと笑い声をあげた時だった。正一が勢いよく立ち上がり、顔をあらぬ方へ向けて大声をあげた。

「ええい畜生! どいつもこいつも嬉しいことばかり言いやがって、今夜は本当にもう店じまいだ! 酒代はいらねえから、みんな、とことん飲んでってくれ!」

 そう言うとコップ酒を手にして、それを高々と頭上に掲げる。それから感極まったという素振りいっぱい、下を向き、震える声で「乾杯」と言った。すると申し合わせていたように、一糸乱れぬ乾杯の声が店内中に響き渡る。

 この瞬間、剛志の心も震えまくった。熱いものがグッとこみ上げ、気づけば目を開けていられない。慌てて顔を両手で覆い、そっと涙を拭き取った。

 ちょっと酔っ払って眠くなったな……。まさに、そういう感じを意識しながら、目では周りの視線に気を配る。が、幸い誰も見てなどいない。正一も違う方に目を向けていて、店内はさっき以上に楽しげなのだ。

 思えば、自分だけが部外者だ。

ここにいる誰をも知っているが、向こうは誰ひとり自分のことを知っちゃいない。そんなことまで思ってやっと、剛志はこの場に踏ん切りをつけた。

 日が暮れればあっという間に、この時代の剛志が帰ってくるのだ。

 そうなれば当然、十六歳の自分と対面することになるし、それだけはどうしたって避けたいと思った。だから背後から静かに近づき、正一の耳元でこそっと呟く。

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