第4章  1963年 - すべての始まり 〜 4 二人の苦しみ(2)

 4 二人の苦しみ(2)




「ちょうどあの時、わたしら夫婦も警察に呼ばれてね、だからここで、あんたのことを見てたんだ。あんたがとっつかまってさ、両脇を抱えられるようにして林から出て行くのをね。まあ、俺の方は、警察に何を聞かれたってわからねえしさ、母ちゃんを先に帰して、何か見つからないかって、わたしだけこの辺をうろうろしてたんだ。そしたらさ、またあんたがいるじゃねえか……最初はまさかって思ったよ。でもさ、どう見たってあんただしよ、あんたさ、あんなところにいたら、また捕まっちまうんじゃないかい? それに、まさかだけど、本当の犯人ってわけじゃないんだろう? でもよ、もしそうだったらさ、俺には正直に打ち明けてくれないかな……」

 力無い笑顔でそう言ってすぐ、彼は「冗談、冗談」と言って否定してみせた。

 そうして剛志からゆっくり視線を外し、

「うちのせがれがさ、実は今、大変なことになっちまってるんだ……」

 そうポツリと口にして、再び剛志を見つめて吹っ切るように言ったのだ。

「まあさ、人を殺すような輩かどうかくらい、普通はひと目見りゃ、だいたいがわかるってもんなんだよな。それなのに警察ときたら、よりにもよってうちの息子を犯人扱いしやがって。どうしてあいつが、智子ちゃんをどうにかしなきゃならないってんだ? まったく、どいつもこいつも、阿呆ばっかりだぜ……くそっ」

 だから、人ごとのようには思えなかった。

 彼は林から出るなり、これまでのいきさつをざっくり説明してくれた。そうしてとりあえず、うちに来て休んだらどうかとまで言ってくれる。

 もちろん顔を見た途端、誰だかすぐにわかっていた。だからきっと、ずいぶん間の抜けた顔をしていたと思う。そんなのが余計に、彼の親切心に火を点けたのか……ただ、とにかくだ、

 ――十九年前に死んだ父親が、今、ピンピンして目の前にいる。

 そう思って最初は、確かにずいぶん驚いた。それでもすぐに冷静になれたし、不思議なくらい動揺などしなかったと思う。もし、この場にいたのが母親だったら、きっと少しは違った感じになったのかもしれない。なんと言っても母親の死から、たった四年が過ぎ去っただけだ。

 さらに彼の話しぶりから察するに、やはり智子は戻っていないらしい。

 ――智子が現れるまで、この辺りから離れるわけにはいかないな……。

 そんな思いを剛志は胸に、父親の申し出を素直に受け入れることにした。

 家までの道をドキドキしながら歩き、遠くに我が家が見えた時だ。彼はそこで初めて、昭和三十八年にいるんだと心の底から実感する。

 暖簾は出ておらず、開店前の店から入った。すると母、恵子が正面の厨房で何かしている。

 そんな姿を目にしてやっと、剛志の心は微妙に震えた。そうしてすぐに、

 ――まさか俺だって、わからないよな……?

 などと思うが、母親の方もまるで剛志だと気づかない。

 あの頃は坊主だったし、顔もずいぶんと丸くなった。しかしそんなこと以上に、目の前の中年が息子だなんて思う方がきっと馬鹿げているのだろう。 

 それから両親二人は、剛志がつきまくった大嘘を、不思議なくらいなんの疑いもなく受け入れた。家はどこかと尋ねられ、剛志はとっさに言ったのだ。

「実は昨日、東京に出てきたばかりでして、住むところがまだ決まってないんです。この辺りなら、きっと家賃も安いだろうとウロウロしていたら、いきなりあんなことになってしまって、ホント、まいちゃいました……」

「そうか、そりゃ大変だったなあ。でもホント、なんだかさ、あんたを見てると、人ごとって気がしないんだよ。現場にいたからって犯人扱いされてよ。まったく、ニッポン人ってのも地に落ちたもんだぜ……。さあ、飲んだ、飲んだ! とりあえず今日のところは、飲んで嫌なことなんて忘れちまった方がいい!」

 そう言ってコップ酒をあおる正一は、剛志の年齢とたった十しか離れていない。

「うちの息子もね、きっと明日くらいには無罪放免ってやつですよ。だから今日のところは、遠慮なく泊まってってください。同じ事件でこうなるなんて、ホント、他人事じゃねえし……」

 きっとろくに寝ていないのだ。あっという間に酔っ払った正一が、突然そんなことを言ってきた。そしてさらに、疲れ切った顔をして、四十にもならない恵子も夫の言葉を受けて言う。

「そうですよ、どうぞ、どうぞ、汚いところですけど、遠慮なさらずに……」

 そうして彼は、昭和三十八年での最初の夜を、育った家で迎えることになった。

 正一の寝間着を借りて、懐かしい自分の部屋で横になる。すると記憶通りに正一のイビキが筒抜けだったが、以前とは違ってまるで腹など立たないのだ。

 剛志はその夜、恵子が酒を口にするのを初めて目にした。

 小さなコップに冷や酒半分程度だが、それだけで恵子はすぐに真っ赤になった。彼女は後半ずっと涙目で、酔っ払った正一の話にただただ耳を傾けていた。一方、正一の方も酔いつぶれる寸前に、「くそっ、くそっ」と呟きながら、今にも泣き出しそうな顔をした。

 普通なら、決して出くわすことない光景だ。

 当然、心配しているとは思っていたし、恵子には早く無罪なんだと伝えたかった。

 ところが実際、まさかこんなにまでとは思っていない。あの頃、自分のことだけで精一杯で、両親の気持ちを思いやる余力を持ち合わせていなかった。

 さらにそんなところは、大人になった今だって同じようなものなのだ。

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