第2章   1983年 プラス20 – 始まりから20年後 〜 2 二十年前(2)

 2 二十年前(2)

 二十年前のあの日、塀を飛び越えた家まで戻ると、不思議なくらいに雨はすっかり上がっていた。日も完全に暮れて、突き刺すような寒さだけが辺り一面を覆い尽くす。

 剛志は伊藤の亡骸を横たえた後、さんざん林の中を歩き回った。

 幸い炎は消え去ったようで、時折焦げたようなニオイがするだけだ。しかし漏れ届く月明かりさえない状態で、林の中はあまりに暗く見通しが悪い。だから智子が倒れていても、気づかないで通り過ぎていたかもしれなかった。

 そうして智子と会えぬまま、くたびれ果ててその家の窓を叩くのだ。

 ずぶ濡れの侵入者に家人は驚き、それでも家に上げてくれ、すぐに警察へも電話してくれた。

 やがてパトカーがサイレンを響かせながら現れる。剛志は警察官二人を従えて、再びあの広場まで舞い戻った。

 剛志が解放されるのは、それからさらに二時間以上が経ってからだ。

 パトカーに乗せられ帰宅するが、彼はこの時のことを何も覚えていなかった。

 そして次の日、日曜日の朝っぱらから電話があって、地元の警察署に呼び出される。

 最初はあくまで、第一発見者として話を聞きたいということだった。それが段々、おかしな感じになっていき、昼も過ぎた頃には刑事の態度も大きく変わる。

「桐島智子をどうしたんだ? ずっと尾けていたんだろう? なのにおかしいじゃないか、気がついたら伊藤博志が血だらけで? 女の子の方は? 神隠しにでも遭ったってことか?」

 いくら記憶の通りに説明しようと、なんの助けにもならなかった。逆にそんなことを言い続ければ、刑事の口調はますますキツくなる一方だ。

「ナイフをどこに捨てたんだ! 明日にはあの林一帯の捜索が始まる。そうなれば、どうせすぐに見つかるぞ! そうなる前に、なあ、正直に言っちまえって」

 刑事は大真面目な顔をして、そんなことばかりを言ってくる。

 剛志とて、どこだと言ってやりたいのだ。しかし何も知らないのは事実だから、「知らない」「やってない」を繰り返す以外に道はない。

 それでもこの頃はまだ、夕方には家に帰れるくらいに思っていた。

 しかし剛志が考えている以上に、その立場は危うい状況に追い込まれていたらしい。

 結局、伊藤を刺し殺したナイフは見つからず、二日目の夜を迎えても、智子は行方不明のままだった。なんの進展もなく三日目を迎え、その間、両親との面会さえ許されない。誰もが長引きそうだと思い始めた頃、それはあまりに突然で、かつ予想外の展開だった。

 警察に匿名で、一枚の写真が送られてきたのだ。

 紛れもなくあの現場で撮られたもので、大きな〝岩〟が中央にあって、しっかり犯人の姿が写っている。横たわる伊藤の顔が正面を向き、そんな彼目がけてナイフを振り下ろそうとする瞬間だ。

 かなり暗かったはずなのに、伊藤の顔つきまでがはっきりわかる。さらに彼の両目が光って写り、なんとも不気味な写真だった。

 ただとにかく、これが剛志にとって天の助けとなってくれる。

 伊藤博志はかなりの長身で、一メートル九十センチ近くはあったろう。そして写真に写るもう一人の方も、背景からすると伊藤と同じくらいの大男だとわかった。

 さらにヒョロッとした痩せ形というところまで、写真の二人は共通している。

 それからすぐに写真鑑定が行われ、ありがたいことに加工の痕跡は出なかった。となれば写真が示す通りに、長身の男が伊藤を殺し、さらに智子をどこかへ連れ去った……そう考えれば辻褄は合うが、それでも多くの疑問は残されたままだ。

 警察がどこをどう調べても、伊藤博志がどこの誰だかがわからない。写真に写っていたもう一人についても、どこからも目撃情報が出てこなかった。

 昭和三十八年の日本なのだ。

二メートル近い大男なんてまずいない。

 だからもし見かければ、普通は記憶にだって残るだろう。なのに目撃者は見つからず、まるで降って湧いたように現れて、男は忽然とどこかへ消え失せていた。

 そいつは何ゆえ伊藤を殺し、どうして桐島智子を連れ去ったのか?

 それ以前に、彼女こそが伊藤を追っていた理由は何か?

 何から何まで不明のままで、さらに警察はあの火事についても人為的なものと断定する。

 午前中雪が降り、まさに凍てつくような雨の日だ。放火でもしない限り火事になどならないだろうし、さらに言えば、あんな日にマッチを擦ったくらいじゃ火は燃え移らない。

 となれば、ガソリンでもふり撒いたのか? 

 あるいは化学薬品でも使ったか?

 どちらにせよ、その痕跡は残るはずだし、すぐに原因物質は特定できる。誰もがそのように考えたのだが、消防がいくら調べても発火原因は不明のままだ。

 事件の日、炎は現場を取り囲むよう燃え広がって、不自然なくらい唐突に消えた。

 そんなことすべてが、二十年経った今でも変わらず謎のままなのだ。

 ただとにかく、謎の写真のおかげで剛志はその日の夜には釈放される。これでやっと無罪放免となったわけだが、元の生活は簡単には戻ってはこない。事件はまるで未解決だったから、町のあちこちで様々な噂が囁かれ、さらに尾ひれがつきまくって、剛志の高校へもあっという間に飛び火した。

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