第8話 踊り子の涙


 部屋に戻る途中の団欒スペースで、本来なら片付けに追われているであろうサンドラが1人でブツブツ言っているのを発見して、エルは近づいて声をかけた。



「大丈夫ですか?」


「っ! あんたは限定チケットの…」


「こ、こんばんわ」



 エルは失礼にならないようにしっかり頭を下げて挨拶をする。そんなサンドラは緊張が抜けたんだろうか、少し笑った。



「本当に変な客よね…本来は限定チケットをもってくる客なんて、私たちを見たらずっと舞い上がってるはずなのに」


「劇…すごかったです」


「あら…ありがとう」


「劇をはじめてみたんですけど、なんだか胸が暖かくなりました」


「初めての劇団が私たちで、しかも限定チケットだなんて凄いわね?」


「リーシャさんがチケットもってたから…」



 サンドラは心配して声をかけてきたはずの子が、何を理由かわからないけれど自分たちを褒めてくれるのを見て、少し胸が痛くなった。



「歌劇のどこが良かったの?」


「歌も凄かったですけど…サンドラさんの踊りも、言葉じゃないのに見てると胸が暖かくなって、不思議だなって思いましたっ」


「ちゃんと踊れてたかしら?」


「とってもキレイでした! どうやったら踊ってるだけなのにあんな気持ちになるんですか?」


「…どうかしらね、踊っている時は夢中で細かいこと考えてないから分からないわ」


「すごいです! 明日は中止で残念ですけど、またいつか観たいです」



 サンドラはエルを見て、どこか昔の自分を見た気がした。


 世界の歌姫と大好きだった踊る父、周囲からは母の歌を真似なさいと言われたけれど、サンドラはいつも父の踊りを練習するのが好きだったし、両親も楽しんで踊っているのを喜んでくれていた。

 だけど踊れば踊るほどに、周囲の大人たちは冷たくなっていった。それが怖くて歌の練習をしたら、また皆褒めてくれた。


 サンドラの目に涙が光る。



「大丈夫ですか?」


「ごめんね…色々思い出しちゃって」



 父が亡くなって母はあまり歌わなくなり、どれだけ頑張っても褒めてもらえなかったけど母を笑顔にするため頑張った。

 劇場でも歌に踊りにセリフも忘れずに懸命に頑張ったけれど、母を笑顔にしたのは拾われてきたフィオナだった。

 母はフィオナと毎日籠って練習、一人前になったからと私は劇をこなす毎日、周りの大人にはチヤホヤされるけど、だんだんと母ほどの歌の実力がないと分かったのか、また皆離れていった。

 そこから歌は好きじゃなくなった。父が楽しそうに踊っていた記憶だけを支えに私は踊り続けた。踊りのほうは才能があったようで、それから数年で有名になることが出来た。母は変わらずフィオナばかり、容姿も良かったから周囲の大人は昔の私のようにフィオナに近づいていく。


 気に入らない。


 見ているだけで…不快になる。


 そんな想いを一度持ってしまったら、もうフィオナを妹となんて見れなかった。お互い出ていくなんてないから一緒に過ごすんだけど、いつもチヤホヤされているフィオナを見てイラついていた。

 どれだけ有名になり、どんだけ立場を上げても、誰も私のことなんて見てくれない。

 舞台にすら出ていないのに、フィオナは誰からも愛されている。


 この差はなんなんだろう?


 今もずっと、そんな想いを抱えながら生きている。


 あの種を貰う日までは。



「ねぇ…」


「は、はい?」



 サンドラはエルに問いかける。



「劇団員が魔物になっちゃったのが、もし私のせいかもしれなかったら…どうする?」


「……まずはごめんなさいです」


「えっ?」


「悪気がないなら…まずはごめんなさいです。サンドラさんは悲しいから泣いてるんなら、お話しないと…」



 エルの純粋でストレートな言葉にサンドラは何かを決意したのか、その場を立ち上がって、一息吹いてエルの頭を撫でる。



「ありがとう……少し元気になったわ」


「よかったですっ」


「この話は2人だけの秘密にしておいてね」


「わかりました」



 手を振ってサンドラは去っていく。エルは緊張がほぐれたのか、座ったままロロを撫で続ける。



「緊張しました…」


「にゃ~」



 ロロの眠そうな鳴き声が辺りに響き渡った。











ーー船外 広場



「もぉ~こんな時間に片付けなんて信じられない!」


「そうですね」



 フィオナは事件のあった広場を他の劇団員たちと片付けていた。力仕事が必要だったり、飾り物の修理など時間がかかることが多く寝る前の時間だが、ほぼ全員駆り出された状況だ。



「このままじゃ潰れちゃうかもね、フィオナはここ出たらしたいことないの?」


「えっ?…皆さんと違って世界中周っても街の景色なんてみたことないので、観てみたいですね」


「マザーって本当にフィオナを出したがらないよね」



 フィオナが舞台にも外にも全然出ることが出来ていないのは劇団員みんなが知っていることである。歳の近い劇団員たちはフィオナのことを心配している。



「他にはないの~?」


「…世界中の人を歌で笑顔にしたいなって思ってるよ。私が経験したことや感じたことを歌にして伝えてみたいなって」


「マザーが許可しないと歌わせてもらえないもんね」


「それはまだ私の実力が足りないからだよ」


「遊びで歌うのも禁止でしょ?」


「うん」



 マザーと2人っきりか1人の時以外で歌うことは禁止されているフィオナ、誰かと遊びで歌うことも出来ず、部屋で1人で歌うことが多いフィオナ、今のままでは夢は到底叶うことはないと少し落ち込んでしまう。



「ここを出て旅したいとか思わないの?」


「マザーは私の部屋から出してくれた恩人だから、お母様だし」


「ぁ~昔は閉じ込められてたんだっけ? 酷い親だよね?」


「…もうあんまり覚えてないけどね」



 嫌なことしかなかった記憶しかない。


 フィオナの中にあるのは毎日変わらない景色、人に会うことはなく、マザーの歌う曲だけが楽しみで唯一自分の生活に色をつけてくれるものだった。


 マザーの歌が無かったら人形みたいな人間になっていたかもしれない。



「本当に人生の恩人だからね、マザーの期待に応えられるように頑張らないと!」


「本当すっごいポジティブだよね」



 夜に片付けの中でのポジティブなフィオナに少し呆れる同い年の劇団員たち、舞台にあがって良い給料をもらっている自分たちよりも数倍元気なフィオナに負けていられないと、みんな手を動かす速度を速めたのだった。

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